父とサーカス
父が死んだので実家に帰った。
亡くなる少し前に母から電話があった。父はこの頃足腰が弱っており、母の言うことも聞かなくなっていたので私から少し言ってほしいということだった。母からそんなことを頼まれたのは初めてだった。
「お母さんの言うことを聞かなくちゃだめだよ」
と言うと、父は弱弱しい声で何か話していた。ここ何年か父の話し方は明瞭ではなかった。
「お父さん泣いてる」
と母が言った。
「ねじちゃんには言いたくなかったの。ねじちゃんはお父さんが大好きだから」
驚いた。私はお母さん子だと思っていた。
とにかく近いうちに会いに行かないとな、と思っていると、亡くなってしまった。
11日に父が亡くなって、12日に実家に帰り、13日に葬儀があった。葬儀は家族葬だった。みんなで父の話をしていた。バラバラに住んでおりあまり集まらない家族なのでいつも会話はあまり弾まないのだが、みんなずっと話していた。
私は十年ほど前、父に「何故結婚したのか」と尋ねたときに「子どもがほしかったから」と言われた話をした。とても驚いたのでよく覚えている。父は私にも兄にも優しかったけれど、まったく父親らしい人ではなかったから。
子供がほしくて結婚して、子供ができても「こう」なんだ、ということに、少し恐怖を感じた。父は愛嬌のある、楽しく面白い人だったけれど、誰かと長い時間を過ごすことには向いていない人だった。
「私とお兄ちゃんのこと、犬と同じようなものだと思ってるでしょ」
父の機嫌がいいときに聞いてみたら、父はにこにこして
「そうだねえ」
と言っていた。実家は長く犬を飼っていたけれど、父は犬を扱うのも下手だった。でも犬は好きだったのだと思う。小型犬を何匹も飼っていた時期、寝るとき特に大人しい子と一緒に寝ていた。にこにこ嬉しそうに茶色い犬を抱っこしていた。
母は父が昔私をよく連れ出していた話をしてくれた。
サーカスに連れて行って、出先で私をほったらかしにしたのだと言う。
それがあんまり可哀想だから、父に病院の受診を勧めたらしい。父はずっと精神科に通っていた。
「全然知らなかった。全然覚えてない」
と私は言った。家族で出かけた記憶はあっても、父と二人で出かけた記憶はあまりなかった。母が止めていたのかもしれない。
葬儀が終わって、兄に母を任せ、私は帰った。父の兄と途中まで一緒に帰ることになった。伯父ときちんと話すのはほとんど初めてだったけれど、二人ともずっと話していた。伯父は父とあまり似ていないけれど、物事の説明の仕方などがよく似ているなと思った。いつもにこにこ、あるいはへらへらしていた父と違って、伯父はあまり笑わない。
「弟は私が見送ることになるとは思っていました」
と伯父は言った。
「こんなに早いとは思ってなかったけれど」
この人はそういうことを考えていたのだなあ、と思った。
私は兄から自分より早く死ぬだろうと思われていた男の子供なんだな、とも思った。
子供がほしかったから。
無責任だ。父は多分、子供を持つべき人ではなかったのだと思う。
「私、自分は絶対に情緒が安定した男の人と結婚しようと思ってたんですよ。親の情緒が安定していないと、子供は家が安心できる場所じゃなくなるから」
伯父は私に尋ねた。
「それはうまくいったんですか」
私は頷いた。夫の情緒は安定している、と思う。でも母だって情緒が不安定な人と結婚したかったわけじゃないだろう。
伯父は父が子供がほしかったことも、父が荒れていた時期に私と兄が、伯父の妻だった人の家に預けられていたことも知らなかった。
みんな知らないことがある。私も知らないことがたくさんある。
そのうち父に聞いてみたいことはたくさんあった。でも今じゃなくてもいいと思っていた。父にあまり会いたくなかった。
そのうちに、が、近いうちに、になっても、やっぱり会いには行かなかった。行かないうちに死んでしまった。
父がどうして私をサーカスに連れて行ったのかは知らない。サーカスのことも私は覚えていない。母は本当に怖かっただろうと思う。ちゃんと面倒を見ることができないなら子供をサーカスになんて連れて行ってはいけない。
覚えていないから何もわからない。
でもきっと、子供の私はサーカスに連れてきてもらえて嬉しかったのだと思う。私は鈍い子供だったから、兄や母と違って父の異変にもなかなか気づかなかった。ただお父さんが大好きだった。一緒に遊べると楽しかった。いっぱい話をしてほしかった。大好きだったのだ。
サーカス、父は楽しかっただろうか。そうだったらいいと思う。もう尋ねることはできない。
悲しい。