今こそ花井愛子を語ろう -『夢の旅』編-
今から30年前、X文庫ティーンズハートで大人気だった花井愛子作品の代表作といえば『山田ババアに花束を』だろう。
ドラマや舞台などメディア化されたこの作品は花井作品の中においてストーリー性が高い。
しかし、私の中での花井愛子ランキングの位置は低い。なんというか、花井愛子が足りないのだ。
中年になって花井愛子を読み始めた私にとって、花井作品群の最大の魅力は句読点を含めた語彙力とテンポにあると思っている。話の展開が単純であればあるほどそれを堪能できる。ストーリーが目まぐるしく動くと状景描写が多くなりどうしてもそこの部分が薄れてしまうのだ。
そんな私がお勧めする花井愛子作品は『夢の旅』である。
電子書籍化されている『山田ババア~』に対してこちらは絶版のままである。読む術はネットで中古を買い求めるか、図書館で探すかしかない。
この本を読みたくなる人が増えることを願いつつ(そして電子化されることを祈りつつ)、私なりに魅力を語らせていただこうと思う。
この作品は、高校入学を控えた少女・殊理と、戦後の昭和21年から昭和63年にタイムスリップした少年・カツオが出会うという花井には珍しいSFものだ。しかし、重要なのはそこではないと推測する。設定は特殊だが話の展開はシンプルだ。
なぜSFになったか、それは硬派な男子が出したかったからではないだろうか。
花井作品の男子は、年上・年下、キザ、優しい、などいろいろいるが、全員どこか軽い。ウブだったとしても軽いノリにノれるバブル期の男子なのだ。
そんなノリもない不器用で言葉足らずな男子を出すにはどうしたらいいか。
時代を飛ぶしかないのである。
その対比として主人公がいつもに増して世間知らずで天真爛漫な少女であり、その相乗効果で花井愛子120%な作品となっている。
突然だが、フランツ・カフカの小説を読んだことがあるだろうか。カフカといえば一番有名な代表作は『変身』だが、私がとてもカフカらしいと感じているのは『城』である。
主人公Kが所要で城を目指すのだが城に着くことなく未完で終わっている。未完だがやたらと長い。
完成された作品ではないので細部の描写が長いのは故意でない部分もあるとは思うが、構成のアンバランスさ・城に着けないことも含めて結果、完成作品のような気がしている。城までの道が永遠と続きそうな気だるさが妙にリアルで、さいこーにつまらなく絶妙に面白いのだ。
『夢の旅』を読んでいる時、このカフカの『城』を思い出した。
ストーリーと絡まない描写の長さよ。少女・殊理の脳内を延々と聞かされている時、私たちは彼女のリアルに触れることになる。
銀座・数寄屋橋の交差点で不注意から殊理が車に轢かれそうになったところをタイムスリップしてきたカツオに助けられたことから二人の物語は始まる。
一歩間違えたら死んだ可能性もあったこの危機直後に殊理はカツオに見惚れる。その描写、約3ページ。ついさっき「ああ、いま、死ぬ」と覚悟したと思えない色めきようだ。
つい考えすぎである。あんたたった今、轢かれそうになったのよ!その観察眼すごすぎるでしょうよ!!殊理の切り替えの早さと冷静なハンターのような目に本を持つ手が震える。
その後、タクシーに乗り(15歳でタクシーを捕まえられる、それがバブル期の東京娘…)自宅に恩人・カツオを招く殊理。
お互いに淡い恋心が芽生え始め、硬派なカツオは殊理の顔を見ることができない。幼い殊理はそれを察せずカツオの態度にヘソを曲げてしまう。その脳内くだ巻き約6ページ。
この調子で6ページである。拗れた原因がウブなカツオの態度という些細なことだっただけに中年である読者(私)は殊理の暴走に振り落とされて3メートルくらい吹っ飛んだ。
しかしこのウジウジずっと理不尽に怒っている様がもう少女タイムなのである。
主人公が精神的に幼いため、今作はこういった主線がより一層際立っており、花井愛子作品の中でも特に興味深い。(ただ、初めての人にはちょっと難易度高い作品かもしれないので、『山田ババア〜』などで馴らしてからの読書をお勧めする)
また、花井作品というと「少女に向けて」いる意識を色々な場面で感じることができる。
今作でも、箸の持ち方(花井は特に「食」に関するエッセンスが多い)を詳しくレクチャーしているが、もうひとつ特記すべきはカツオが終戦1年足らずの昭和21年から来ていることだろう。
「軽っ!!」と声が出てしまうくらいカツオに惚れる過程でさらりと入ってくる要素なのだが、花井作品のテイストからするとここに比重を持ってくるわけにもいかないのだろう。
しかしそれでも入れたのは、花井作品にはいつか花開くエッセンスとして言葉を散りばめられている節があり、これもその一つであろうと推察している。
そして、タイムスリップしてきた少年との恋はいずれ終わりを迎える。冒頭の画像帯にも「失恋ヒロイン」とのキャッチコピーがあるとおりカツオとは結ばれずに終わるのだが、花井愛子はティーンに必ずハッピーエンドを与えてくれる。今回も超展開でベストエンドを用意してくれていた。花井愛子作品の要ポイントはストーリーではないが、これはネタバレをせずにとっておこうと思う。
ぜひ手に取ってブッ飛んでほしい。