7回裏でどうしても 飛ばせなかった風船が 手元でゆらゆら揺れている 7回裏でどうしても 飛ばせなかった風船が 玄関でゆらゆら揺れている ただ手を離すだけのことが ただ手を離すだけのことに
笑った顔しか知らないから 笑った顔しか思い出せない やさしい顔しか知らないから やさしい顔しか思い出せない 追いかけたりしない 忘れたりもしない 誕生日にはケーキを買って帰る
この世にいて インターネットにいないひと この世にいなくて インターネットにはいるひと この世にも インターネットにもいないひと 今日が誕生日だと じぶんから言い出せないひと 言い出せないまま 今日が終わってしまうひと
ふたりの夜がひとりの夜よりも 長ければいいのに ふしぎな色をしたやさしさを 頼りに歩く 長い廊下 手をつないでいようね ふたりの夜がひとりの夜よりも 長ければいいのに 笑えない冗談が降るたびに 透明になって今をこなす 手をつないでいようね ほんとうに透けてしまわぬように ふあんな夜にひかりを探しては 月と街灯を間違える なまえもかたちも持たぬまま なかったことになるのかな 手をつないでいようね ふれられなくても ふるわせて
食べるのも 歩くのも 覚えるのも 動くのも のろい と、あなたは言う わたしに向かって ゴールに立って それは、のろい と、わたしは言う ちがう、事実 と、あなたは言う ちがう、のろい と、わたしは言う 言い続ける のろいをとくために
私は月が好きです。 高校生くらいのころ、夕方にとても仲の良い友人と並んで歩いていました。 空に聖体みたいな月がぽつんと浮かんでいて、きれいだなと思ったのだと思います。 「つき…」とつぶやいたら 「好き?」と聞き返されました。 これはほんとうにあったことなのか、もうかなり怪しい記憶だけど、友達が制服を着ていたことと公園の脇道を歩いていたことを妙にはっきりと覚えているのでたぶんほんとうにあったことなのだと思います。明るい時間の月っていいですよね。 ⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎ 実家に
Aさんが「ドントウォーリーやで」と言うと、 Bさんが「道頓堀?」と聞き返しました。 そう、空耳です。 そのあと一瞬の沈黙があり、尾をひくようなじわじわとした笑いがその場に広がっておりました。 側からその会話を聞いていたわたしは、とても感動していました。直感的に、これまでに聞いたどの空耳よりも美しいと思いました。 ドントウォーリーから道頓堀まではかなりの距離があるように思います。もとの言語も違うし。 でも音のちからで同じ場所に居合わせたわけです。 音というのは、全く関係
夜、布団に入って電気を消したものの ぜんぜん眠くないことがままある。 電気をつけて別のことをはじめてもいいけれど、次の日の朝がはやかったりするとそこまで割り切って起きているのも気が引ける。 私は眠れないとき、よくア・カペラでうたを歌う。最初は暇だし練習になるから歌おう、みたいな感じだったけど、そのうちこれは良い効果が色々あるかもしれないと思うようになってきた。 電気を消した部屋で目を瞑ると、視覚から受ける刺激が減り、聴覚の感度があがる。寝る前のこの状態は音を集中して聴く
ほんとうに やることがなくて 花火を買いに行きましたね まだ夏だと 言い聞かせながら 花火を買いに行きましたね あんな棒切れのために 秋が定価で売っている コンビニを渡り歩いて
接写の仕方がわからず、カメラをいじっていると、ふと「拙者、接写がしたいでござる!」と誰かに言いたくなってしまい、もう頭がそのことでいっぱいになってしまいました。 ダジャレを思いついたら口に出さずにはいられない人、という人が世の中には一定数いるように思います。場がしんとすることはわかっているのに、それでも言ってしまうんです。なぜでしょうか。語感って恐ろしいなと思います。 わたしはというと、しんとした空気に耐えられる気がしないので、すんでのところでいつも言わずに引っ込めます。
詩ってなんだろうと考えたとき 例えば雑巾は自分だとして 絞ったときに出る濁った汁が詩。 というイメージが頭に浮かんだ。 最近、窓の結露を拭きながら そのイメージがより明確になった。 考えたことも感じたことも大事なこともすぐに忘れてしまうのでnoteに書いてみようかな。