意地悪とかモヤモヤとか
周りよりも少し変わったこどもだったと思う。
たぶん、人の気持ちや場の雰囲気の変化に敏感だったのだと思う。
あの頃のモヤモヤを書き起こしてみる。
いとこの家に泊まった時、寝返りせず”きをつけ”のまま寝ていたと叔母さんにおどろかれた。いつもと違う場所で緊張したからと、周りで寝ているほかのいとこ、きょうだい達にぶつかって迷惑をかけたくなかったからだ。
急なお泊りのときに、いとこから下着のパンツを借りた。明らかにゴムが伸びきっていて、はいてもずり落ちた。スカートだったからとても困ったが、どうにか一日過ごし、次の日洗濯をした母に驚かれた。なんで言わなかったの、と。貸してくれたいとこの悪意がわかっていたから、言えなかった。わざと伸びきったゴムのパンツを渡してきたのだ。私は聞き分けの言い子だったので、怒られがちな子からは妬まれることがあるとわかっていた。いいつけたら、そこでまたその子が怒られて、告げ口をした私は恨まれる。そういう流れがわかるのだ。
幼稚園になぜ通っているかわからなかった。私はなぜ毎日ここに通っているのか。母と離れ、他人だらけで頼れる大人も数人しかおらず、まして暴力的で理不尽なふるまいをしている理解できないこどもがたくさんいる。歌とかみんなで活動する時間はまだましだが、休み時間がどうにも苦手だった。おもしろい遊具はいつも同じ子がぶんどっていく。おかあさんごっこやお姫様ごっこでいつも主役になりたがる子と、それにとりまき達がつどう。どこにも仲良く遊びたいと思える子はいなかったように思う。主張してまでやりたい遊びもなく、まぜてもらう勇気もなく、とりまきの一人になるほど自分を捨てられない。
いつもバスが同じの女の子。私のヘアゴムを指して、かわいいからちょうだいと言ってきた。とくに特別でもない無地のゴムだったと思う。こども心に勝手にあげるのは親に悪いなと思ったし、善悪ははっきりわからなかったが、このように人のものを軽々しく欲しいと言ってもらおうとする行為は人としておかしいと感じた。そして言い方にも意地悪さが感じられた。かわいいなどとは少しも思ってない言い方で、隣の子と半笑いながらしつこく言うのだ。何日かに分けてひとつずつ、いくつかあげた。
そのうち私の親がゴムが減っていることに気づき、問い詰められ、その子にあげたと打ち明けた。ぼんやりとしか覚えていないが、その子のお母さんは本当の気持ちでお詫びの言葉をくれたと思う。女の子はたしか、泣きながら、ごめんねと繰り返していたと思う。私も同い年のこどもだけど、そのようすをとても冷静な気持ちで見ていた。そんなに泣いて謝るくらいなら、最初からしなければいいのに。泣いてるけど、そんなに反省はしてないだろうな、よくないことだってわかっててやってたでしょ、とか、思っていた。
それでもその子はとんでもないカリスマ性の持ち主で、なにかと気にかけてくれたので、私も完全なひとりぼっちで過ごすことはなかったし、感謝もしている。ただ、少なからず機嫌を伺う必要があったし、疲れた。
小学生になると、ある男の子がいじめられていた。くさい、きたないと言って、近くにいるとあからさまに嫌な顔をして避けていくクラスメートたち。
その子はべつに臭くなかったと思う。臭さがわからない自分がおかしいのか。意地悪でもなかったし、特に嫌がられる理由も感じられなかったので、遠足のときだったか、手をつないだし、げーと言って避けることはしなかったと思う。むしろなぜ人を傷つけるような嫌がらせを集団でやっているのか不思議だった。みんなに合わせないと自分が変な扱いをうけそうだなという不安は感じていた。ただ、必要性のわからないことはできなかった。実害のない相手を不当にあつかうことは苦手だった。男の子は、へらへらしているようだったが、さびしそうな、悲しそうな表情が混ざっていた。
このことがクラスで問題になり、話し合いの中、男の子が嫌なことをされた相手を順番に言っていくということになり、私の名前は、挙がらなかった。あともう一人くらい言われなかったと思う。私のとった行動は間違っていなかったのだと思った。やめようよと呼びかけることはできなかったが、やはり、嫌なことをされて傷つかない人などいないのだ。いじめていた子たちは泣きながらあやまっている。どこかで見た光景。じゃあやらなければよかったのに。そして、嘘のようにみんな態度が一変。先生のやり方が上手だったのか、その話し合いのあとからだれも男の子に嫌なことをすることはなくなった。なんて単純なんだろう。こんなに簡単に態度を変えられるんだ。やさしくなりすぎて、気持ち悪ささえ感じた。
この学年の時、特に記憶に残っている出来事がある。初めて意地悪の対象にされたのだ。
父の会社のノベルティだった文房具セットを、それまでそれなりに友達だった子たちからある日急に難癖をつけられ、奪われた。なにこれ、へんなのーとか馬鹿にされる言い方で。もちろん返してと抵抗したが、返してくれなかった。無視され、意地悪な目線を受けた。ほんとうにうんざりしたし、一番ゆるせなかったのは、父を馬鹿にされたと感じたからだ。お父さんにもらった大事なものだと言ったのに、変だと言うなら奪う必要ないだろと、とてつもない憤りを感じた。許さないと思った。
無視されたので、無視し返した。移動教室、休み時間、ひとりで過ごした。あんな子たちと関わる必要はないと思った。迎合なんてできない。
一日の間の出来事だったか、3日くらいだったかはっきりしないが、あるとき、急に謝ってきた、というか、冗談よー本気にしたのーとか言いながら、話しかけてきた。文房具は返ってきたが、返し方は雑だった。聞けば、私がふだん怒ったりしないから、怒らせてみようとしたらしい。この”怒らせてみたかった”の理由は衝撃的だった。相手は3人くらいだったか。なぜこれがおかしなことだと判断できなかったのだろう。
たぶん、大きく取り乱すことなく、うろたえもせず、自分たちの仲間にもどしてと泣きつくこともせずな私が面白くなかったのだろう。意外に早い終わりを迎えて拍子抜けした。しかしどうでもいいと思った。案外ひとりでもやっていけることが分かったし、友達のくくりなんてなんの保障もないし、よけいな縛りだなとここで悟ったような気がする。集団はこわい。同調圧力。この頃からだったか、特定のグループに所属することに抵抗を覚えるようになった。ちなみにこの時のメンバーは、引っ越していなくなった。
このようにして友達というものの儚さ、もろさを知り、特定の人物に依存することなくふわふわ生きていると、中立の立場でいる人とか、不思議な人という感じでありがたく存在できるようになった。
中学生のころ、大変美しい容姿をしているが、若干意地悪さがある女の子に、〇〇さんを一緒に無視しよう、ということを持ち掛けられた。なんかむかつくらしい。私とは全く接点のない相手だったし、無視していることを忘れてしまいそうだしやる目的がないな~とやんわり断っていたら、「そうね、(私)はそういうことする人じゃないもんね」といって諦めてくれた。意外にはやく諦めてくれたので驚いたが、そういう認識でいてくれてありがとうと思った。
なんだかんだで、意地悪をしている子は、自分も嫌われていることをわかっていたりする。私は、実害がなければ基本話しかけられて無視することはないし、態度もべつに変わらない。そのかわり特別仲良くもしない。納得できないことに嘘はつけないし、個性が強いタイプにもそれなりに発言できる。そのためか、この立場がいつ危うくなるかわからない不安定な人たちの肯定もされないが否定もされない、あたりさわりない避難所のような、ちょっと雨宿り的な、空き家みたいな対象だったと思う。
自分としてはそのくらいの存在でいることは嫌いではなかった。
このような態度が気に入らないという人もいた。誰にでもいい顔をしていて、自分の好きな男の子ともしゃべっていて、何あいつというような。トイレで名指しで悪口を言われているのを聞いた。私がいることに気づき、相手はあわててごめんね、と言っていたが、不思議と気にならなかった。もっともこうやって覚えているので気にしているのだが、既視感がありすぎたし、取るに足らない妬みであり、言い返すよりも流すことが有益と判断できた。全部はっきり聞いていたわけではなかったので、いいよ、いいよ~と笑顔で返したが、相手からすれば何がいいのか分からず逆に怖かったかもしれない。
もっとはっきりした方がいいのかと悩んだ時期もあったが、向いていないのだ。無論わたしも悪いことをしたことがないわけがない。いろいろやらかしもして、後悔の念が消えることはない。知らない間に人を傷つけてしまっていることもあるだろう。自分にとっていいことは誰かにとって都合の悪いことであるのは世の常だと思う。ただ、少しでも悪いなと思うことをしてしまうと、人一倍思い悩んでしまう。これは最近認識したのだが、自分は思った以上に考えすぎな傾向にあるのだ。知らない間にストレスが蓄積され、脳がヒート状態になるというか、寝て忘れるということはなくいつまでも続くのだ。詳しい内容を忘れても、モヤモヤしたことが残り続ける。この文章でさえ、表現したりない膨大な考えを削っている。キリがないのでこれでよしとしているだけだ。そしてまた、これでよしとした自分のふがいなさにモヤモヤすることになる。