「お母さん」との出会い
前にやっていたブログには書いたのですが、noteではまだ書いてなかったので文字にして起こそうと思います。
私は20歳前後の頃、様々なアルバイトを掛け持ちしながら通信制大学に在学していました。
学費を自分で捻出せねばならず、朝から晩まで働いていました。
バイトのひとつ、ある酒屋でAさんと知り合いました。
私とは40以上歳の離れた60代の女性。
近くに住んでいて、自転車で酒屋に来て事務を担当していました。もう何十年とその酒屋で働くベテランでした。(私は売り子)あっという間に仲良くなりました。
「こいけちゃん、こいけちゃん」と慕ってくれました。
ある時「家に遊びにいらっしゃい」とお誘いを受けお邪魔すると旦那さんもいました。
Aさんはチャキチャキの江戸っ子のような口調で明るい。対して旦那さんは物静かでゆっくり話す穏やかな人。
対象的な二人でしたがとにかくそれから繋がっだ縁は何十年と続くことになります。
バイトや学校の課題でいっぱいいっぱいでしたが、スキマ時間を狙ってよくAさんの家に行きました。
当時から私には母がいなかったので、よくふたりに母の話を聞いてもらっていました。
「とんでもないお母さんだねぇ。こんないい子をおいて出ていくなんてさっ!」とガハハと笑いながら話すAさん。
よく頑張ってきたねと優しい言葉をかけてくれる旦那さん。いつしか私は二人のことを「お父さん、お母さん」という様になりました。
どんなにつらいことがあっても、そこにいけば話を聞いてくれた。あったかい家庭があった。
Aさん夫妻には息子が二人いて、様々な事情があり姪っ子を幼い時養子にいれて3人育ててきたよ、と。
明るく笑いながら話すAさん。きっと苦労も多かったろうにいつも笑顔。
こいけちゃん、ラーメン食べに行こう。
銭湯いこう。
ルノアール行こう。
上野で好きなもん買ってあげる(いつもの行きつけの乾物屋さんやお茶屋さん)
そうやって様々な場所に連れていってくれた。行く先々で「私の娘なのよぉ」と言ってくれた。
旦那さんは旦那さんでアイススケートにつれて行ってくれたりカラオケ行ったり。
そんな関係が何年と続いた。途中私が結婚し仙台に行き二年半で離婚しまた帰ってきた時もあたたかく迎えてくれた。何も聞かずに。
再婚しまだ夫婦二人で千葉にいた時も夫を連れて遊びに行った際も「○○君!こいけちゃんを宜しくね」と沢山言ってくれた。
Aさんの旦那さんが倒れて都内の病院に入院しているときAさんから「お父さんはね、あんな性格でしょう?周りは入院ってだけでイライラして看護婦さんに当たり散らす人が多いのに、あの人は穏やかだからなにしてもありがとうありがとうって。おかげで看護婦さんたちから大人気で(笑)」なんて嬉しそうに話していたな。
旦那さんの訃報を知ったのはそれから半年以上経ってから。うちのポストの中に喪中はがきがあった。
私は気が動転し、泣きながらお母さんに電話をした。
葬儀はとうに終わっていた。
Aさん曰く「こいけちゃん具合悪いのにわざわざ電話するの悪いかなと思ってね。お父さん穏やかに逝ったから大丈夫だよ😊」と。
Aさんなりの配慮だったかもしれないが、とにかくあの時程号泣したことがなかった。
それからAさんは一人で暮らしていた。お父さんと暮らしたあの家で。
数年後、長男さんから電話がありAさんが手術をするという。自宅で倒れて開頭手術しないと命が危ないと。
長男さんとはAさんと出会ってすぐの頃一度だけお会いしたことがあった。
入院先に行く前にファミレスで長男さんに何十年ぶりに会った。二度目の再会だ。
長男さんもAさんに似て、ちゃきちゃきした人だった。
私を見て「随分変わったなぁこいけちゃん!良いふうに!」なんて笑って言った。
わたしも30代になり一応酸いも甘いも知ったからか。。
長男さんは言った。
「自宅で倒れてたんだよ。なんでもっと早く行ってあげなかったかなぁって。悔しいよ。。お天道様はなんでもお見通しっていうじゃない?ちゃんとお袋のこと見てたのかよって‥」一緒にご飯を食べながら今にも泣き出しそうな子供の顔をしていた。
わたしは何とか笑って欲しくて、3人で出かけたときの話や貰ったブローチ(Aさんはブローチ集めが趣味)の話をした。長男さんは二人からそういう話はあんまり効いたことなかった!と驚いていた。私が来てることは知っていたみたい。
「オレにはそんなことしてくれたことねぇのになぁ」なんて笑っていた。
ファミレスを出て、二人で病院へ向かった。Aさんは起きていた。
開頭手術後から横になりながら。私を見るなりめちゃくちゃ喜んでくれた。
そして「私、なんにも悪いことしていないのにね。ねぇ?こいけちゃん」と言った。
私は涙が溢れそうでただ黙って頷くしかできなかった。
「お母さんは頑張ってきましたよ。今までずっと。だからこれからはもうがんばんなくていいよ」と言ってあげました。
何十年と働きながら夫と子供3人育てた立派なお母さん。天童よしみが好きで一人で何回もコンサートに行くお母さん。
天真爛漫でいつも明るいお母さん。
その日みたお母さんは見る影なく痩せこけて、別人だった。
長男さんが、こいけちゃん!これからまだまだ頑張って貰わなきゃいけないんだからそんなこと言わないでくれよな〜なんて笑いながら言ってたけど、私は本心で言った。
ほんとにもうゆっくり過ごしてください。そう思って言った。
それから時間の合間を縫い何回か病院に行った。
すべての回で、お母さんはねていた。
だから寝顔をじっと見て、黙って病室を出た。
病室でだけは絶対に涙を流さない。堪えて駅に向かう道でふいに涙が溢れる。その繰り返しだった。
洋裁が得意で古いミシンを使いなんでも縫った。私がミシンを買ったと話したら「とにかく大事にしなさいよ」と言われた。
子供ができなくてまだ不妊治療もはじめてなかった頃で、Aさんには息子を見せることはなかったけど
知ってか知らずが子供の話には触れられなかった。
Aさんの訃報も後々聞いた。「ごめんなこいけちゃん
。バタバタしてたから中々連絡できなくてよ」長男さんからそう電話が来た。
それから今まで一度も長男さんと話をしていない。電話番号もどこかにいってしまった。
すべて終わってしまった。心に穴があいた。
しばらく立ち直れず思い出してはツーっと涙が溢れた。一緒に行った場所や駅をみると涙が零れそうになる。
あれからもう何年経ったのかな。
今はただ二人の声や笑顔をたまにふと思い出しては、一人でにやけている。
思い出をありがとうございますという気持ちで。
私はいま元気でやってますよ。
息子もいるんだよ。
なんとかやってるよ。
沢山心で会話する。
またいつか会いたいなぁ、二人に。