忘れられない出会い②ゆきちゃんのこと
私が一度目の結婚生活を送った仙台で、はじめて友達になった子だ。
当時私は24歳で、確かゆきちゃんは1〜2歳年上だった。
お互い結婚していて、子どもがいない。
家も近いし彼女は専業主婦だったから、私が休みの日はよく会ってお茶していた。
彼女の家は落ち着く。
私達は他愛もない話を延々としていた。
楽しかった。
夫の会社絡みの奥さん達とも仲良くしていたけど、個人での友達はゆきちゃんだけで、本当に仲が良かった。
色んな話をした。
彼女がなかなか子宝に恵まれず悩んでいること。
私も職場での話などを聞いてもらっていたがそもそも子どもを持つ気はなかったから、気の利いたアドバイスも出来ずただ聞くことしかできなかったように思う。
私達の関係は、私が急に離婚して東京に帰った以降も続いた。
一度仙台から旦那さんとふたりで車で、私の実家まで来てくれたことがある。
東京観光で、とは言っていたけどわざわざ会いに来てくれて凄く嬉しかった。
東京に戻る直前、すなわち私が酷い鬱になり誰にも会えない時も手紙をくれたり訪ねてきてくれた。
仙台の生活が破綻し、帰った直後彼女から手紙が届いた。
急なことで驚いています。
でも私はずっとこいけちゃんの友達だよ。今までありがとう。
そんな文面だった。
別れは突然やってくる。
ずっと仲良くいつまでも友達。
そうは思っていても、時間が状況がそうさせない。
手紙でのやりとりはポツポツと続いた。
数年後、彼女が妊娠し双子の男の子を出産したと手紙で知った。
私も仙台での思い出があとを引き、なかなか吹っ切れずにいた。
お金もあまりなかったし夜行バスで仙台に行き、誰に会うでもなく町中を歩いた。
彼女と過ごしたあの街にも行ってみた。
いつも並んで歩いていた駅前の横断歩道。
一人で歩いていると、向こう側から、ママチャリの前後ろに小さな子どもを乗せて必死に漕いでいたゆきちゃんとすれ違った。
向こうは私のことを気づいていなかった。
一瞬のことだけど、嬉しかったし同時に寂しかった。
もう仙台には私の居場所はないんだなと確信した。
それから仙台には行っていない。
もうあの双子ちゃんはいくつになったのかな。数えてみたら多分だけど20歳前後だろう。
私もあれから色んなことがあって、7歳の息子がいるよ。連絡先もわからなくなりもう連絡手段はないけど元気にしてるかな。
11年前に東日本大震災があって、真っ先にゆきちゃんのこと思ったよ。
私が仙台を出てからゆきちゃんも宮城の沿岸部に引っ越ししたんだよね。元気でいてくれてるといいなぁ。
会ったらきっととびきりの笑顔でかけよってきてくれるんだろうね。
そんな優しさいっぱいのゆきちゃんのことをいつまでも忘れないし、これからも覚えてる。
仙台は大変なこと、辛いことあったけど行って良かったよ。
ゆきちゃんに会えただけで、仙台に行ったかいがあったよ。ありがとう🍀