あの頃の自分(大学生part1編)
こんにちは。
今回は最終章でもある大学生編のpart1をお話していきます。大学4年間は人生が大きく動いた4年間だったので楽しんで読んでいただければと思います。
プロを目指して大学進学
高校野球が終わりエースとして活躍、そして甲子園出場して日本一になるということはできませんでした。もちろんその年のNPBドラフト会議に選ばれることもなく大学の進学先を探していました。
高校の監督さんにはプロ野球選手になりたいと進路調査の紙に記入しましたが、ある日呼び出され「お前の今のレベル知ってるのか?本当になれると思うのか?」と呆れられました。
たしかにそうかもしれませんが、その時ダメだったとしてもいずれなるかもしれないだろ。と思いだいぶ馬鹿にされてたので悔しくてしょうがなかったです。
ある日高校の監督さんが「お前横浜商科大学はどうだ?」と提案され心が揺れました。
横浜商科大学野球部は神奈川大学野球連盟に所属しており、現阪神タイガース岩貞投手や現楽天イーグルス渡邊投手と言った左腕王国でもあり投手王国の名で知られている大学でした。
やはりプロに輩出しているくらいだから良い大学でプロにいけるには近いのではないかと思い、高校の監督さんに「横浜商科大学の練習参加したい」ということを伝えました。
そこで練習に参加し大学の監督さん、助監督さんにお会いし、お話を聞くところかなり面倒見がいいのかなと思い、そこで横浜商科大学に入学することを決めました。
もちろん横浜商科大学の野球部は推薦でしか入ることができなかったので、大学進学もテストを受けず面接のみで入学が決まりました。
入ってからの現実
大学の野球部自体の参加は高校の卒業式前から参加し、オープン戦(練習試合)にも数試合登板しました。
高校の卒業式が終わるとすぐに宮崎県でのキャンプがありました。
はじめての飛行機で移動し九州で野球。一年生ということもあり、わずかの登板と雑用が少々。新鮮ではありましたが当時は試合に投げたくてしょうがなかったです。
キャンプが終わると1ヶ月ほど空いて春のリーグ戦が始まりました。ただその頃には同級生が野球部を何人も辞めていくのを見ました。
入ってわずかのうちは大学野球はきついけど、高校野球にはない楽しさがあるのではないかと最初はそう思っていました。
しかしそうではありませんでした。
野球は楽しいには楽しい。でも"環境"という面で僕は一年生のころからストレスになっていました。
毎日同じ時が流れ、毎日同じ練習、毎日同じ話、毎日変わらない。このように毎日が同じことの繰り返しで嫌気が差すほどになりました。
そしてその嫌気が差したころには愚痴を漏らしたり、言い訳することも多く、自然と出るようにもなり、ここではじめて腐っていく自分がわかりました。
設備、時間等だけではなく
指導者に問題がありました。
あまり悪くは言いたくありませんが、ザ昭和と言ったところでしょうか。やること、考えなどがかたく何を言っているんだろうと思うことがたくさん。
正直ここでは言えないことは多々あります。
そのこともあって、大学まできてこの状況は嫌だなと思いながら野球をやっていました。
チャンスが来るその日のために努力
一年生の春のリーグ戦が終わり、次の秋のリーグ戦までの間に練習、オープン戦、キャンプなど日程が入っており、正直それまで登板数は多くなく使われる選手は数名いて悔しいと思いながらも、いざ試合で出してもらって結果が出るように努力するようにしました。
その成果としてオープン戦である試合から先発を任され、結果もついてきて毎週のように先発を任されるようになりました。
その結果を見ていただけたのか、一年生の秋リーグに一度だけベンチ入りをすることができました。
試合に投げはしませんでしたが、とてもいい緊張感でいい経験をすることができました。
ここで思ったのは自分が腐るまでいったとしても、そこから努力して頑張っていけば自ずとチャンスが来るんだと実感しました。
冬を超えいざ勝負
一年生の冬らかなりきついトレーニングをこなし、秋のいい結果のまま年を越し、いざ年を越して初のオープン戦。
僕はまさかの大事な年を越して一発目3月のオープン戦で先発を任されました。
相手は六大学野球の慶應義塾大学。
結果は散々な結果に終わってしまい、そこから約3ヶ月ほど試合に投げるどころか一度もオープン戦のベンチすら入ることはありませんでした。
そこから僕は腐りに腐りました。
周りの同級生も次々に野球部を辞めていき、僕自身も辞めたいという気持ちが強くなりました。
それでもどんなに練習しても指導者はみてもない。
技術力が上がり実感してもそれを試す実践の機会もない。
これで本当に上手くなるのか。
自分の行動を見直してトレーニングができると思う時間にトレーニングをしましたが、先輩から「なんで今トレーニングするんだ。」と言われる。
じゃあどこで周りと差をつけるか、自分が上手くなっていけるのか。と考えた時に環境を変えるしかないと思い行動に出ました。
人生が大きく動いた瞬間
環境を変える為には野球部を辞めるということにしました。
大学の監督さんに退部届を持っていき辞めることを伝えますが、受け取ってもらうまで1ヶ月ほどかかりました。
退部を止められた理由としては、
人として魅力があるから。
ということを説得され、就職先も面倒見てやるからとも言われました。
でも1番は僕はプロになりたいという夢がある中で野球をやってきたので、心は揺れることなく野球部を辞めるということに変わりはありませんでした。
やっとの思いで監督さんに退部届を受け取ってもらい野球部を退部しました。その時の解放感そして、憂鬱や縛りから逃れられた時は今までにないくらい気持ちが晴れました。
そこから僕の大学野球人生第二幕が始まりました。
読んでいただきありがとうございました!
次回は大学生part2編を投稿していきます。
次回もお時間があれば読んでいただきたいです!
よろしくお願いします🤲
小井手和宏
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