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「山野幸一郎」という人間 次でダメだったら椎茸継ぐわ。

僕は椎茸農家の長男です。
「椎茸」これでシイタケって読みます。スーパーで売られているキノコです。農家というのは後継ぎがいないと成り立ちません。椎茸も一緒です。僕が継がないと山の整備も、収穫も、干しも、菌打ちも出来なくなります。
農家というのは跡取りがいる前提で進められる仕事なのです。
ですが僕にもやりたい事が出来ました。ここで問題が発生です。
いつまで僕は夢を追いかけていいのでしょうか?
「そりゃ叶うまでさ!夢は追いかけ続けるものだよ!」
そんな夢見話はありません。
いつまでいいのか、決める事になりました。ですがここでも問題が。
僕のお父さんは九州男児。熊本の方言で「肥後もっこす」(頑固者)という言葉があるほどに熊本の男は頑固者です。
もしお父さんが、
「20た」
と言えばもう僕には道が残されていないのです。

どうするかというと、お母さんにお願いします。
僕の気持ちをワンクッションおいてお父さんに伝えてくれます。僕の家ではこれがルールです。
そして母から告げられます。
「幸一郎。25歳。25歳までに就職出来んかったらスッパリ諦めて椎茸ば継ぎなっせ。」
その時僕は20歳。後5年か。
2年専門に行き、1つも受からず。5年でいけるのか・・・?
「わかった。福岡の専門学校に行かせて。そこ卒業する時に何もアクションなかったら諦めるわ。」

「マッキー、一緒に住まんかね?」

というわけで福岡の専門学校へ。そこに行くときも「山野君受からんよ。あそこは難しかよ。」と言われて受かりました。

受かったはいいけど、住むところがありません。
福岡なんて都会に僕は住めるんですかね?ええ?住んでいいんですかね?オシャンティーな街に。
物件を探せど、高い高い。
熊本の時は月2万で廊下、ユニットバス、部屋全部合わせて4畳のドブ臭い家に住んでましたから、福岡の家は全部高い。
行くのにも往復3200円かかりますからね。マヨネーズご飯食べてる人に3200円って結構しんどい額です。

僕は友達の家でクリスマスにも関わらず悩んでいました。
「どぎゃんしようかね・・・。今度の専門は1年しかないし、バイトもしたくないとなると、またお金出してもらわなん。でも今回ダメだったら諦めんといかんしなー。授業料100万出してもらっとるのに今の計算だとプラスで月々10万円年間で120万。合わせて220万。ゲロ吐くわ。どんな親不孝やねん。」
そこに現れた我が親友。マッキー。
「メリクリー♪鶏持ってきたバイ!」
マッキーは高校の時からの友人で、高校卒業後、四国の居酒屋で正社員として働いてたが、辞めて熊本に帰郷。当時はバイトをしながら過ごしてました。
「マッキー、そういやオレ福岡いくバイ。」
「マジ?オレも行くバイ!」
神様ありがとう。
「マジか!オレ金ないつたいね!一緒住まんかね?」
「ええね!楽しそう!」
1週間後物件決めてきました。5万位の家を借りて2人でルームシェアをすることになりました。

ラストチャンス。同じ間違いは起こさない。今回は最初から本気だす。

とうとう始まった福岡編。
大きな期待と大きな不安と親友のマッキーを引っさげて2人暮らしが始まりました。マッキーとは最初から最後まで仲良く過ごしました。
前の専門学校の時の友人が「福岡でプログラマーとして働きたい。でも就職活動が出来ない。」と言っていたので、僕の部屋に泊めていたら、払うはずのお金を払わずマッキーから1万をパクり。就職活動しないで、モンハンの韋駄天ランキング10位以内に入るという屑の極みのような行動をして熊本に逃げてました。貸したお金は今でも返ってきません。うーんこの・・・。

そんな話はさておき、またもや学生生活が始まります。正直最初は調子乗ってました。
「いうても2年はCG勉強しとるけんね。素人じゃなかですバイ!」
一瞬でしたね。鼻は長い方ご簡単に折れますね。3日位でみんなに追いつかれて、最初天狗だった分、先生にもOBの方にもボッコボコにされました。
「センスないね」「何も出来んやん」「絵も下手やね」「私服だっさ」「金もないやね」「いや不細工やん」「2年間なんしよったん?」「調子乗っとるね」「オタクでもアニメオタクはきついね」「オタクっぽい動きしてみてん」
罵詈雑言でしたね。いじめかと思いました。まぁでも実際調子乗ってたんで仕方ないと思います。最初の頃に鼻が折れて良かったです。

学校では夜止まって制作活動を行うことが出来ました。その際にはOBの方が来てくださり、色々聞いてもいいよ。っていうシステムです。
全部行ってやろうと思い300日位泊まりました。メッチャきつかったです。睡眠時間も3時間くらいだったんですが、昼間の授業で寝たら意味ないんで、カフェイン剤を飲んでました。2日1回家に帰り、風呂に入ってまた学校へ。日曜日だけは泊まれなかったので家に帰ってました。
朝飯はジョイフルへ行き、昼飯はお金がなく食えず。夕飯は安くなった弁当です。いやーしんどかったです。でもラストチャンスなんで頑張りました。剣道してたおかげで体力あって良かったです。
頑張ったかいもあり、メキメキ技術が上がっていきました。

ある日、OBの方からバイトを紹介して頂き、とうとうCGの仕事をすることになりました!「やった!とうとう認められた!お母さんありがとう!」

スープしか食えない。いや、マジか。

とうとうバイトが始まりました!
ありがてぇー!OBさんに本当に感謝!オレはとうとう仕事が出来るんやなぁ!
そんな期待でいっぱいでした。
紹介していただいた職場は社員は社長だけの小さなCG会社です。マンションの一室でやってる感じです。業界では別に珍しくありませんし、至って普通の事でした。

軽く挨拶をしてバイトが始まります。出だしは好調。世間話を交えつつ1日目が終わりました。そのまま学校に行き制作へ。夕方から夜までをバイトをする時間にしようと考えていました。

3日目すべては変わりました。
「遅すぎる。クオリティ以前の問題だ。」
先方からの電話でした。社長は
「うーん。どうしよっか?どうしたい?」
「やらせてください。死ぬ気でやります。」
僕にはこの仕事が蜘蛛の糸に見えました。これは掴んでおかないとまずい。オレならやれるはず。やれないにしても全力でやってから諦めよう。バイトを完遂できんで、仕事が出来る訳がない。やったらぁ!
そこからは本当に地獄でした。
寝る時間はなし。深夜でも響く電話。謝る社長。修正の嵐。知らないCGの単語。匂う体臭。飯が喉を通らない。
「山野君!ご飯が食べれない時はね、スープがいいよ!美味しーね!」
「マジっすね!うへへ!」
凄い業界に足を踏み入れたと思いましたね。でもすごく楽しかったんです。
1週間後。やっと終わりました。
体感では1ヶ月位に感じてました。
社長には感謝しかないです。足手まといであった僕に仕事を完遂させてくれました。1週間働いて、給料は2万円と古いデスクトップPCをもらいました。中に入っているソフトも使っていいよとの事。これはありがたかったです。古くて使い物にならないとくれたのですが、僕にとっては大切なものでした。これで、家でもCGが作れるのですから。

就職はしない。時代はフリーランスだ!
※就職出来んかったけどバイトなら出来る!

長かった専門学生時代も終わりを告げます。
卒業制作で作った動画はボロカスに叩かれ、現実は難しいな。と思いながら卒業しました。
卒業前にバイトを数件やったかいもあり、卒業後はバイトの話を色々もらいました。就職は出来ませんでした!
ていうか受けてもないです。色んな会社を見て回りたかった!っていうのは建前で、本当は、受かる気が全然湧かなかったんですよね。初めてのバイトで怒られすぎて、絶対受からんやんけ!って思ってました。
ただ、バイトでは働けるみたいなので、バイトでCG勉強しながら、お金稼ごう。マッキーとのルームシェアも後1年残ってる。1年やってみようぞ!

今回は長くなってしまいました。
読んでくれた方ありがとうございます!

次回!
初めての給料は7万円!10時4時!三社三様!白米美味しい!怒涛の社会人編始まります!

お楽しみに☆

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