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「山野幸一郎」という人間 最悪白米にマヨで生きていける。

「山野は今期のアニメ何見てる?」

ゲームクリエイターの専門学校に入学した僕は最初の壁に当たっていました。友達と話が全く合いません。
「え・・・?こんき・・・?」
と言った時にその場がスっと冷めていくのが分かりました。あーそうか、僕はゲームが好きで専門学校に来たけど、ゲーム好きなのは当たり前でみんなそれ以上にアニメとかも好きなのか。
郷に入れば郷に従え。アニメ見てみるか!
僕は高校生の頃にクラスの友達と分け隔てなく話していました。最初は部活の顧問の先生が担任で、怖くて「クラスでいじめなんかがあった日にはオレの責任になる。それだけは避けなければいけない。」という、凄まじく自分勝手な理由でした。
結果から言うと、誰にでも喋りかけていて、深い友情ではないですが、みんな色んな事があって、色々考えているなーと思うところまではいきました。考え方も感じ方も十人十色。クラスのみんながここまで熱く面白く話しているのならきっと面白いだろう。
というわけでクラスのみんなに何から見ればいいかを聞き、帰り道geoで「らき☆すた」を借りて家で見ました。
オープニングで何故か汗が溢れて出てきました。
恥ずかしい。という気持ちがありました。この年でアニメ。しかも可愛らしい女の子のアニメを。オレが見ているなんて。
汗がドバっと出ました。

まぁそんな気持ちも10分くらいでなくなって、最終話を見る頃には汗の代わりに涙を流していましたよ。
ここから、僕はアニメというコンテンツを知り、オタクの道を2段飛ばしどころかエレベーターを使って駆け上がります。
専門学校の友達には馴染めました。良かった良かった。

「山野、お前店長にならんか?」

僕は専門学校の最初の頃はバイトをしていました。
熊本の歓楽街で串カツを揚げていました。
カウンター席しかなく、お客さんと話をしながら串を揚げる。というバイトです。すごくしょうに合ってました。田舎では人と話すのが当たり前なので、話は何となくできましたし、今まで会ったのない人(サラリーマン、歓楽街に遊びに来ている人)と話と色々教えてもらえて楽しかったです。
実家から送ってもらった椎茸をお客さんに出したりして、好評だったりしました。
ある日お客さんと話している時にお客さんに電話がかかってきて
「お、今行くわ。待っとれ。」
「何かありましたか?」
「んーちょっとなー。行かんといけんくなったわ。飯の途中やけど、戻ってくるけん1回席外してええか?」
「大丈夫ですよ。」
「ならバックと財布はここに置いていくわ。戻ってくるという証明や。」

1時間後自転車に乗ったゴツイお兄さんが店にやってきました。
「お前。親父から何か預かってないか?」
「あ、バックとかここにあります。」
「ちょっと持って一緒にこい」
「はい。」
何故か自転車の横を走らされ100m走ったくらいでさっきのお客さんがパトカーに連行されてました。
「おぉすまんの串カツやの兄ちゃん。ちょっと行ってくるわ。」
「お前!親父がこういっとんのやぞ!何か言う事ないんかぁ!」
(うわぁ怖い)「お疲れさまでした。」
その後警察の方から何でここにいるのかと言われ、あそこの串カツ屋で働いてまして、お客さんです。
と言われ開放されました。後日お客さんはお店にきて、迷惑料だよ。っと5000円くれました。
いやー熊本市内怖いやんけ。
という感じで僕は田舎では学べない色んな事を学んでいきました。世の中のアンダーな部分に触れたのは初めてだったので、新鮮でした。
今思えば良い経験をさせてもらえました。
新しい店舗の店長を任されて、キャバ嬢の愚痴を聞いたり、店舗の売り上げをパクられたり、ヤクザに怒られたり、出前に行った先のおかまのほっぺにキスしたりしました。
いやーいい経験をしたと思います。

「山野今いくらある?」「35円」

忙しかったバイトも学業がおろそかになっている事に気づき辞めました。
その時僕は実家からの仕送りのみで生きていました。
お金は常になく、2畳しかない自宅でノートパソコンを開き、玉子をひたすら食べて生きていました。
玉子も買えなくなると、実家から送ってもらった白米にマヨネーズをかけて食べました。マヨネーズもない時は塩です。
お金がある時は近くの定食屋の390円でから揚げがしこたま入っている定食をお持ち帰りして3日に分けて食べてました。
友人も貧乏だったので、お互いに助け合って生き抜きました。ちなみに友人は塩コショウをかけて白米食ってました。
実家に居たころは何もしなくても美味しいご飯が食べれたなー。
山菜の天ぷらに文句つけてごめんよ。お母さん。と思ってたりもしました。
カレーから虫がわいたり、キャベツが溶けたり、いろんな事がありましたね。
まぁ経験としては良かったですし、若いうちは一度は野菜を溶かします。
貧乏でも、米さえあれば生き抜けることが分かりました。
実家が米農家で良かったー!!

「就職氷河期に突入した。全員戦闘に備えてくれ。」

※上の写真はイメージです。
僕は2畳の部屋で友人とモデリング合宿たるものを開催して3週間共に過ごしました。住んでたアパートで毒ガス騒ぎもありました。自殺未遂でした。カフェで課題をしている学生はそれだけでオシャンティですね。すごい。
さてさて、そんな専門学生生活も半ば、2年制の専門学校だったので2年の始まりには就職活動の開始です。
「就職氷河期です。厳しい戦いになります。」
そう、時代はまさに就職氷河期でした。そんな時に僕らのクラスでは真面目に勉強している生徒は3名位しかいませんでした。戦いの結果は無残なものでした・・・。
就職できたのは1名のみ。
僕じゃないですよ。

次回!
2度目の専門学校!響く悲鳴(両親)!山野福岡へ!始まるルームシェア!学校に300日泊まる!やっぱり金はない!

お楽しみに☆

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