父が風呂場で語ってくれた数学小噺
肥満体型の父は、日々仕事から息を切らせ、汗まみれで帰宅していた。幼い私にとっての日課は、そんな父と共に風呂に入ることだった。 風呂場は、父の話に耳を傾ける場所であった。
そして彼の話が一段落つくと、私には試練が待っていた。父が出す計算問題を1問3秒以内で100問解かねば、風呂から上がることが許されなかったのだ。時には私が倒れてしまい母に叱られる父の姿も見たが、父との風呂の時間を拒んだことは一度もなかった。なぜなら、父が風呂場で語る様々な話は常に私の興味を惹いたからだ。
ある時は、タクシー数の話からラマヌジャンについて語ってくれた。
ある時は、オイラーの橋の問題から一筆書きを教えてくれた。
ある時は、ピタゴラスの逸話から三平方の定理の証明を幾つも示してくれた。
特にフェルマーの最終定理の話に私と父は夢中になった。 「私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という言葉に二人で盛り上がり、解けるはずもない最終定理について2人で想像を膨らませた。 1ヶ月ほどはフェルマーの最終定理について語り合った。父は最後に「浩一郎がこれを証明するんだぞ」とまで言っていた。
しかし、年齢と共に父との風呂の時間は減少し、いつしか遠い存在となってしまった。
大学生になったある日、父の部屋で一冊の数学の歴史書を見つけた。中を開くと父の汚い字で多くの書き込みがされていた。
『5/23 フェルマーの小定理は難しすぎて口を開けていた』
『8/4 23人いれば誕生日が同じ組が50%以上いることを伝えたら、嘘つきと怒られた』
日々の会話のための内容を探し、私の反応を狭ますぎる余白に綴ってくれていたのだ。だがその書き込みも『岡潔先生の逸話』のページから無くなっていた。同時に私は気がついたのである。中学生になってからの父は、帰宅時には息を切らせず、汗をかいていなかったことに。
今度は私が父をのぼせさせる番だ。駅から実家まで駆けた後、歳を重ねた父を銭湯に誘おう。そしてあの数学の歴史書の続きをまた始めよう。