やばい人事ワード「エンプロイアビリティ」(社畜力)
こんなことを書いたら人事の研究者/実務者に怒られちゃうかもですけどね…
人事管理分野に、エンプロイアビリティという概念があるんです。
Employ(雇用)
Ability(技能)
で、「雇用されるための力」と訳される。
この不確実な時代にあって、安定した雇用が約束されない中で、自分は雇うに足る人材だと納得させられるような能力、精神、行動特性、人柄を育みましょう…と。
厚生労働省とか、人事系のコンサル/メディア、大学のキャリアセンターとかが唱えている概念です。
何がやばいって、これ、雇われる側ではなくて、雇う側や送り出す側が唱えていること。
厚労省・大学「企業に気に入られるような人になってね!」
企業「使い勝手のよい人になってね!」
というわけです。
雇用されるための力、とはまあ上手く言ったもので、さすがに社畜力という本音のところは、うまく隠してる。なんたって厚労省の定義では、職務技能よりも、思考や人格面のほうにこそ重きが置かれているわけだからね。
(問題の厚労省資料はこちら。)
厚生労働省:エンプロイアビリティの判断基準等に関する調査研究報告書について
そりゃあコミュニケーション能力(笑)に秀でた潤滑油(笑)ばっかりになるわけです。
私としてはこの投稿をSEO対策しまくって、エンプロイアビリティ=社畜力というのを、定説にしたいところです。
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さて、自分の独立の話。
会社(大学)勤めの終わりのころは、本当に大学には申し訳なく思うけれども、自分の信ずる教育活動が、所属先のルールに収まれず、怒られることが増えてきていた。授業運営の仕方、成績評価の仕方、学生との接し方、研修や共同研究の取り組み方…。また、誰もが経営学を無料で学べるほうがよいはずだ、とYouTubeなども始めてみてしまったりもして、悪目立ちもするようになってしまった。
念のために強調するが、会社(大学)のルールに従えない私こそが、決定的に悪い。だが、ともかくも、私としてはやりたい教育があって、それが会社のルールでは実現できない、という状況に陥ってしまったのである。そのせいで、会社に迷惑もかけ始めていたし、私自身のメンタルもぼろぼろになってきていた。
そんなときに学んだのが、この「エンプロイアビリティ」。
この概念のお陰で、私は一気に、眼前が開けたような気がした。
そうか、私は「エンプロイアビリティ」が低かったのか。
最初の就職から、ずっと抱えていた違和感の源泉はそれだ。
どうも私は、会社に好まれる人格というものを、最初から持ち合わせていないみたいなのだ。
―そろそろ、会社勤めも、潮時だな。