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ピザとバリカン [ショートショート]
近所の公園は、午後の日差しが心地よい場所だ。私は買い物袋を持ち、石畳の道を歩いていた。右手にはスーパーで購入したピザの箱、左手には青いスポーツバッグがある。バッグの中身は、娘が使う予定だったバリカンだ。結局、彼女は使わないと言い出したが、返品するのも面倒で持ち帰ることにしたのだ。
公園のベンチには見覚えのある姿があった。近所の理容師、松田さんだ。彼の店は、家から数分の距離にあるが、私は訪れたことがない。ただ、彼が休日に公園で本を読む姿を何度か目にしていた。「こんにちは」と声をかけると、松田さんは顔を上げ、少し驚いたように微笑んだ。
「ピザですか?」
「ええ、家で食べようと思って」
私はピザの箱を軽く振りながら言った。松田さんは本を閉じ、指先で表紙をトントンと叩いた。
「ここで食べるのもいいですね。この天気なら特に」
ふと考える。家に帰れば、冷蔵庫を開けてジュースを出し、テレビをつけながらピザを食べるだろう。しかし、公園での昼食というのも悪くない気がした。私はその場で決めた。「一緒にどうですか?」と松田さんに提案すると、彼は少し戸惑ったようだが、やがて笑顔で頷いた。
ピザの箱をベンチに広げると、チーズの香りが漂い、近くを歩いていたカラスがこちらをちらりと見た。松田さんは気さくに話しかけてきた。「家で髪を切る道具とか、今増えてますよね。お持ちのあれも、そうですか?」
「これですか?」私は青いバッグを軽く開け、中身を見せた。「娘が使う予定だったんですが、結局やめたみたいで」
松田さんはバリカンをじっと見つめ、小さく笑った。「丸刈りにするつもりだったんですかね?」
「多分。でも、思い切りがつかなかったんでしょう」
二人でピザを食べながら話すうちに、私たちは自然と髪の話題に戻っていった。松田さんは、自分がこれまでどんなお客さんの髪型を手掛けてきたかを楽しげに語った。特に印象に残っているのは、子どもたちの初めての丸刈りだという。「泣く子もいれば、大喜びする子もいるんですよ」と彼は言い、ピザの最後の一切れを取った。
食べ終わり、空になったピザの箱をバッグにしまうと、松田さんがふと真剣な表情になった。「髪型って、けっこう人生に影響しますよね。だから、大事にしてあげてください。娘さんの気持ちも」
「そうですね」私は小さく頷きながらバッグを肩にかけた。
夕方の風が少し冷たく感じられるようになってきた。松田さんと別れ、私は家に帰る途中、ふと思った。娘がバリカンを使わなかったのは、ただの気まぐれだったのだろうか。それとも、何か踏み出せない理由があったのだろうか。
家に戻り、冷蔵庫を開けてジュースを取り出す。そのまま窓の外を見ると、公園での会話が頭に浮かんだ。丸刈りにするつもりだった娘の思いを、少しだけ理解できた気がした。