冷たい予測 [ショートショート]
冬、私は古びたガスボンベを抱えて自転車を漕いでいた。坂道を登るたびに、足元から聞こえるガス漏れ防止弁の微かな音が気になった。このボンベは今夜の鍋の命綱であり、湯気の立つ食卓の約束だ。しかし、そんな思いも冷たい風にさらされるうちに薄れていく。
帰宅すると、部屋の片隅で小型のAIアシスタントが光を放っていた。「おかえりなさい。寒さが厳しいですね」と、定型文の挨拶を投げかけてくる。彼女の声は心地よいが、私の疲れた耳には少し機械的すぎた。ガスボンベを台所へ運び込むと、彼女が突然話しかけてきた。
「ガスボンベは安全基準を満たしていますか?」
「え?」と聞き返す私に、彼女は淡々と答える。「2016年製のこのボンベは、劣化の可能性があります。交換をお勧めします。」
少し驚いた。ボンベのラベルを見直すと、確かに古い。けれども、まだ使えるはずだ。私はそのまま火を点ける準備を始めた。
「もしも事故が起きた場合、損害額は最大で15万円程度です。」彼女は、私の迷いを見透かしたように続けた。その冷静な声は、計算の正確さゆえに、かえって私を不安にさせた。鍋を火にかける手が一瞬止まる。
ふと、部屋の窓越しに雪がちらついているのが見えた。湯気が立ち始めると同時に、私はAIの警告を振り払うように蓋を閉めた。火の青い光が小刻みに揺れ、彼女の光もそれに合わせて微かに変化する。食卓に座る私の目の前で、鍋が静かに沸騰し始めた。
安全性と危険性、そのどちらを選んだとしても、この冬はやってくる。湯気を見つめながら、私は彼女の予測と自分の判断を天秤にかけていた。