入管収容、戦前の予防拘禁との比較は不適切か?入管OBの意見に反論する。
前の投稿の末尾に以下を書いていたのですが、あまりにマニアックかなと思ったので、分けてこちらに書きます。
入管収容が戦前の予防拘禁よりひどいと書いたら、入管OBの方々から批判を受けましたので、ここで反論しておこうと思います。
収容送還専門部会における寺脇委員の質問
一つ目は、2020年1月16日、今審議されている法案の土台となった提言をした収容・送還に関する専門部会で、私がヒヤリングを受けたときの寺脇一峰委員による質問です。
この質問を受けて私は驚きましたが、なるほど、とも思いました。寺脇委員は、最初に出席した会議で、以下のとおり、挨拶をされています。
古い話になりますが、2001年10月にアフガニスタン難民申請者9人が一斉収容されるという事件があり、彼らは東京地裁の収容執行停止決定によって11月に解放されるのですが、ムキになった入国管理局が彼らを難民不認定にした理由を記者会見で公表するという暴挙に出ました。
その記者会見をした法務省入管の総務課長だったのが寺脇一峰委員でした。
http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/about1128.html
寺脇委員の「本来収容されている者」という言葉。私は、人身の自由は基本的な人権で、人であれば誰でも享有している、国籍や在留資格には関係ない、なので、「本来収容されている者」は存在しない旨の回答をしました。
その場では気づかなかったのですが、戦前の大日本帝国憲法の下では、現行憲法下のような基本的人権の保障はなく、法律が認める限度での人権保障しかされていませんでした。ですから、寺脇委員の「本来自由な生活ができる人を予防拘禁していた治安維持法」という部分も誤りだと指摘すべきでした。
元東京入管局長 福山宏氏の批判について
また、大阪入管や東京入管の局長を務めた福山宏氏は、インタビューで次のとおり批判をされています。長くなりますが、引用します。以下のPDFで通しページ132頁以下です。①,②などはわかりやすくするために私が付しました。
①治安維持法は現行憲法下では成り立たないので前提が違う?
まず、①「同法は,国家権力を批判する言論,集会及び結社の自由を制限するための法律であり,現在では憲法違反で,成り立ちようがありません。この意味で,そもそも議論の前提を間違えています。」という部分ですが、現在では成り立ちようのない法律のもとで行われていた予防拘禁よりも、手続が緩く、件数も多く、期間も長いという批判をしているのです。議論の前提を間違えているのは福山さんの方だと思います。
②法益の違い?
②の法益の違いも全く正当化する根拠になりません。司法が関与せず、要件もゆるゆる、期間も長いというところを問題にしているのであり、法益は関係ないです。また、先の原則仮放免を許可しない8類型のうち、④〜⑧は国家の利益を保護することが目的ですよね。その点でも誤りです。
③原則と例外が違う?
③予防拘禁は拘束する、仮放免は解放するという方向で誤りというところですが、身体拘束を継続するということでは同じです。仮放免運用方針も「重度の傷病等、よほどの事情がない限り、収容を継続する。」と書いています。
④主張立証責任が違う?
④主張立証責任が違うという点については、戦前の予防拘禁ですら「再犯の虞が顕著」を検察庁が立証できた場合に、原則として2年の上限を設けて、裁判所の決定によらなければ拘禁できなかったのに、入管収容は拘束されている者が解放されるべき理由を主張立証しなければ解放されないというのでは、どちらが厳しいのでしょうか。
福山さんが言われるように、治安維持法が現在の憲法下では成り立ちようがないというのであれば、それよりもひどい入管収容は即刻憲法違反という理屈になるのではないでしょうか。
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