私が入管を信じられない理由 その1
入管法改悪案が成立してしまいました。入管に裁量を委ねる内容です。
送還停止効の例外規定「相当の理由のある資料」や、収容に代わる監理措置の判断、監理人の報告義務を課すかどうかの判断、在留特別許可の考慮要素を13個も挙げて「その他の事情」を考慮できるとしたところなど、運用次第では現状維持あるいは良くなることもあり得るのですが、司法修習生のころから数えると30年以上も信じられないところを見てきたので、どうしても運用をきちんとやるとは考えられないのです。
以下、小さいことから大きなことまで、思い出せる順に、不信感を抱いている理由を挙げていきます。以下、ご遺体の写真もありますので、ご注意を。
1 司法修習生時代 横柄な態度
私が入管という存在を始めて知ったのは1992年、司法修習生のときです。指導担当の弁護士と依頼者と一緒に、当時大手町にあった東京地方入国管理局に行きました。25歳でした。
私は大学卒業後受験に専念し社会人経験はありませんでした。大学時代からアルバイトはしていましたが。
社会問題に関心を持ったこともなく、今の活動に繋がるようなことは何もしていない、ノンポリでした。
なので、最初に入管に行って、依頼者・担当弁護士が在留期間の延長に関する交渉をしていたのですが、相手の入管職員の横柄な態度に非常に驚きました。それまで、大人でこんな横柄な態度取る人はみたことがなかったのです。具体的なことは忘れてしまいましたが、ともかく、国家公務員がこんな態度を取るのか、弁護士が一緒でこれだから、いなければもっとひどいのだろうなと感じたことは覚えています。
2 弁護士2年目 小学生が収容されていた
そして、決定的なのは、弁護士2年目に受任した小学生が収容されていた事件です。詳しくは佐々涼子さんの「ボーダー 移民と難民」で紹介してもらいました。なんで小学生を拘束できるのか?全件収容主義との闘いはここから始まりました。
3 赤ちゃんも1年以上収容されていた
同じころ、赤ちゃんも1年以上入管に収容されていました。日光浴40日に一度とのこと。詳しく知りたい方は当時の東京新聞縮刷版を読んでみて下さい。97年5月13日の同紙でも「離乳食も1日1回だけ」と、大きく取り上げられています。
4 1997年8月9日 イラン人男性死亡事件(東京入国管理局第二庁舎) !閲覧注意!
私が最初に関わった入管収容施設の死亡事件です。
この下にご遺体の写真があります。閲覧注意。見たくない方は目次に戻って、次にとばしてください。
写真
本文
こちらは死亡した直後の病院での写真です。
背中にこれだけの傷跡があります。
死因は頸椎に垂直方向で強い力が加わったということでした。
国賠訴訟での入管の説明は、ご本人が暴れていたので制圧し、後ろ手で革手錠を施し足も毛布でまいてその上からローブで縛った、おとなしくしくなったので、革手錠を外そうとして仰向けになっている状態から上体を起こしたところ、海老反りにぴょんと飛び上がって、頭頂部から垂直にコンクリートの床に落ちた、というものでした。
訴訟の過程で、体育大学のレスリング部学生さんにお願いして実験しましたが、到底そんなことができるわけがありませんでした(ですが、訴訟は裁判所が国の主張を鵜呑みにして負けてしまいました)。
5 アフガン難民一斉収容事件
2001年10月、タリバンからの迫害から免れるために日本に逃げてきたアフガン難民が一斉収容される事件が起きました。
どうも、アルカイダの一味と間違えたようで、土井香苗さんの以下の書籍によれば、「彼らは、寝ていたところを防弾チョッキを装備した入管職員らにたたき起こされ、家宅捜索された」「その捜索は、家にあったビデオテープを再生し、本を一ページごとに確かめ、天井から吊り下げられた電球の裏まで調べる徹底的なものだったと言います。」というものでした(55頁)。
その時のことは、こちらでも少し触れられています。アルカイダのメンバーと同じ名前だということで疑われたらしいのですが、その名前は、日本で言えば鈴木一郎のようなもの、本当によくいる名前でした。タリバンから迫害されているハザラ人が、タリバンがかくまっているアルカイダのメンバーであるというのも認識がおかしいですし、そもそも本当にそうなら本名名乗らないと思います。入管の事実認定力がどの程度のものかを示すものだと思います。
https://d4p.world/news/12491/
6 アフガン難民の不認定理由記者会
このアフガン難民収容事件は当時大きくメディアに取り上げられました。
そして、2001年11月6日に東京地裁が収容令書の執行停止決定を出して解放されたことで、入管は意地になったようです(この種の決定は日本で2件目)。
当時も難民審査は時間が掛かりましたが、この件では、速やかに難民不認定処分を出すと共に、多国籍軍によって空爆がされているアフガニスタンへの退去強制令書も発付しました。
そして、難民不認定処分の理由を、本人の了承も得ないで記者会見でメディアに公表するという暴挙に出ました。
ちなみに、このときに会見をした法務省入国管理局の総務課長寺脇一峰氏は、2019年に当時の河井克行法務大臣の私的懇談会である「送還・収容に関する専門部会」の委員にも選ばれました。この専門部会の意見が、2023年6月に可決されてしまった入管法改悪案の原型となっています。
https://www.moj.go.jp/isa/policies/policies/nyuukokukanri09_00054.html
これだけでも十分な気がしますが、まだまだありますので、続きは別項にて。