大日本帝国憲法の人権条項読んでたら既視感が
2022年9月から2023年1月まで、毎週、大学で憲法の講義を担当することになりました。
その準備のために、改めて色々と調べなくてはならないことが多く、大変ではありますが、55歳にして久々にたくさん勉強している実感があります。
今回、たまたま、大日本帝国憲法を読んでいました。
憲法の前文にはこうあります。
そして、人権条項は次のとおりです。
ああ、そうでした。大日本帝国憲法下では、前国家的な人権という概念はなく、あくまで「法律の範囲内」でしか居住移転の自由やら、表現の自由やらは認められないのでした。
で、これを読んで、あれ?、このフレーズ、良く知っているあの日本国憲法下の裁判例とそっくりだなと思いました。
そう、外国人の人権に関するマクリーン事件判決です。
1978年10月4日 最高裁大法廷マクリーン事件判決は、
と判断しました。
今の日本国憲法は、基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、」(97条)、「侵すことのできない永久の権利」(11条)とされているのです。
つまり、戦前の大日本帝国憲法下では、人権というのは天皇から与えられるもので法律の範囲内でしか認められなかったのが、今野日本国憲法では、人であれば誰でも有する権利であるという考えに変わっているはずなのです。
ところが、マクリー事件判決の「在留制度の枠内」というのは、まさに大日本帝国憲法の「法律の範囲内」でしか表現の自由や移動の自由が認められないと言っているのと同じなのでした。
愛敬浩二「外国人の政治活動の自由ーマクリーン判決」(憲法判例百選Ⅰ第7版 4頁 2019年 有斐閣)では、
と指摘されています。
日本国憲法が施行されて75年、マクリーン判決が出てからもう半世紀になろうとしています。外国人の人権だけを大日本帝国憲法の考え方でとらえるのはやめて、日本国憲法に則った考えを一刻も早く採り入れるべきです。
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