ギリシア神話を繋げてみたら
ギリシア神話の説話は基本的に短編である。数多の神々と一部の個性的で象徴的な人間たちがクローズアップされ、ギリシア各国または古代ギリシア人が知る地域・世界・外界で様々なドラマが展開される。
トロイア戦争(トロイ戦争)はギリシア神話髄一の逸話の宝庫だ。数々の英雄たちが咲き乱れ、清清しく時には悲しい旋律を奏でる。ここでは、主にトロイア戦争の前後を描きたい。トロイア戦争がどのような経緯で起きたのか、トロイア戦争以後トロイアの英雄がどうなったのか。実はこの“短編”をつなぎ合わせると妙につじつまが合う“物語”となるのだ。
僕はすべてのことに原因と結果があると思っている。奇跡も明日も100年後だって、そうだ。原因と結果が余りにも複雑に入り組み同時に余りにも操作因子が多すぎて理解尽くせないため、“不思議”って捉えられるのではないかと感じている。偶然も奇跡もギリシア神話の世界も、事実の連続形と考えるとそれはそれで、面白い。僕は、短編小説のサスペンス的に、且つ、人生とはエンターテイメントであるって立場でモノを見てしまうから。
まだまだ、神々と人間が密接に絡み合いながら生きていた、
そんな神話の時代の物語。
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最高神ゼウスが地上を見下ろしている。「フ~」、深いため息。「ゼウス様、どうかなさいました?」と腹心ヘルメス。
ゼウスの悩みとは人間が増えすぎたことだ。今では多くの国があり、多くの人が暮らし、人間同士が忌み争っている。人間が増えすぎたのだ。ゼウスはエリスのことを思い出した。
もうすぐ、神々が皆出席する結婚式が開催されることになっている。ゼウスは争いの神エリスにだけ招待状が届かないように画策する。楽しそうに結婚式の衣装選びをする女神たちを横目で見て、エリスの顔は真っ赤に染まった。怒りに駆られたエリスは呼ばれていない結婚式にそっと出向いていって3人の女神ヘラ・アテネ・アフロディーテの真ん中に1つのリンゴを投げ入れた。そのリンゴにはこう書いてある。
“最も美しい女神へ”
女神は、プライドの高いオンナ、である。3人が3人ともこれは私への贈り物だと言い張り、誰も退こうとしない。こういう争いには神でさえ誰も関与したくない。ただただ重苦しい時間だけが過ぎて行く。埒があかないので、第3者に判断してもらうことになった。その審査役に選ばれたのが、オリンポスの山で羊飼いをしていた青年。この青年は見事に美しい。判断を下すのにはうってつけだ。3人の女神は青年のところへ下りて行き、誰が一番美しいか判断するように言いつける。なかなか決められず、マゴマゴしている青年に向かって、それぞれが耳元で甘い言葉を囁く。
「私を選んだら世界の王にしてやるよ」とヘラ。
「私を選んで下さったら世界一の知恵者にして差し上げますよ」とアテネ。
「私を選んでちょうだい。世界一の美女をあなたの妻にしてあげるわ」とアフロディーテ。
それぞれがそれぞれの得意分野で最高の贈り物を用意したのだ。ヘラは最高神の妻、アテネは知恵の女神、アフロディーテは愛の女神(ローマ神話流に言えばヴィーナスだ)である。 これは迷う。この3択は厳しい。青年は迷いに迷った挙句、アフロディーテを選ぶ。実際に、愛の女神なんだからアフロディーテが一番美しかったのかもしれない。王位より知恵より美女がいい? 結果として、青年はヘラとアテネを敵にまわすことになる。
この青年、実はただの羊飼いではなかった。青年は王室主催の武術競技会に出場して決勝戦に残る。決勝戦の相手はトロイア国の王子、ヘクトル。熱戦の末、青年はヘクトルに勝利する。恥をかかせた青年をヘクトルが手打ちにしようとしていた時、それを見ていた王室の末娘カッサンドラは叫んだ。「あの人、パリス兄さんだわ!」
青年は生まれてすぐに捨てられた王子だった。カッサンドラの言葉に激高したヘクトルはすぐさま反論する証拠を探そうと服を引き裂いた。すると青年がパリスであることを証明する痕跡が見つかったのだ。捨てられた王子であることが確認され、羊飼いの青年は晴れて王室の一員に加わることになった。美男子パリス王子の誕生に国中が拍手喝采。
数年後、パリスはトロイア王プリアモスの命を受け、ギリシアへ伯母のヘシオネを連れ戻しに行くことになった。パリスは立ち寄ったスパルタ郊外の神殿で美しい女と出会う。これがスパルタ王メネラオスの妻、ヘレネ。ヘレネはギリシア神話一の美女。パリスとヘレネはお互い一目惚れしてしまう。ここに絶世の美男美女カップルが誕生する。自由奔放な色男と派手で優美な女は初めて自分以上の美しさを知ってしまった。もう何も見えない。
ヘレネはスパルタ王妃である。夫がいる身だ。しかしパリスはヘレネを連れ去ることをいとも簡単に決心する。彼にはこれが運命の出会いとしか思えない。アフロディーテが約束した「世界一の美女」とは間違いない、ヘレネのことだ。愛の女神の後ろ盾があるのだ。追っ手を振り切り、パリスとヘレネはスパルタを出てトロイアへ向かった。
しかし、ヘレネには”テュンダレオスの掟”がかけられていた。美女ヘレネには多くの婿候補がいた。彼女の器量について、噂を聞きつけた誰もがヘレネを妻にしたいと懇願する。そこでヘレネの育ての親テュンダレオスは婿候補に約束をさせた。
“ヘレネを娶りたいものは自由に立候補し、その中からヘレネ自身が夫になる人を選ぶ。その後、ヘレネを奪おうとするものがあれば立候補者は皆で協力してその暴挙に立ち向かう。”というものだ。この掟を理由にメネラオスの兄アガメムノンを総大将とした大ギリシア軍が結成される。こうしてトロイア戦争が始まった。
トロイア戦争の逸話は数多くあるがここではほとんど触れない。唯一、終戦の原因になった(?)カッサンドラに纏わる物語だけを紹介する。
カッサンドラはトロイア王プリアモスの末娘であり、王女の中でも一番の美女とされている。王女の美しさはヘレネとは違った知性的な美しさ。そんな彼女はまだまだ幼きある日、オリンポスの神々の1人アポロンに見初められる。アポロンの求愛に戸惑うカッサンドラ。アポロンは「私のものになったら予知能力をやろう」と言う。アポロンは未来を占う際に人々が求める神託を与える神として知られている。どちらにしろ、神の申し出をむげに断るわけにはいかない。カッサンドラは首を縦に振り、予知能力が与えられた。もらった予知能力でアポロンとの未来を見てみると、弄ばれ惨めに捨てられる自分の未来が見えた。震えるカッサンドラは意を決し、アポロンが目を放した隙に、逃げた。アポロンは怒ったが予知能力を与えたのは自分自身である。プライドを捨ててまで彼女の能力を取り消すことはできないし、どちらにしろ自分との未来を見られてしまった今、あとの祭りだった。アポロンは一計を講じ、カッサンドラの予言を誰も信じないようにする。彼女の能力は何の役にも立たず、これがまた彼女に壮大な悲劇を巻き起こすことになる。
予知能力を授かったカッサンドラだから、競技会優勝の青年がパリスであることを見抜いたのだった。生まれてすぐに捨てられた兄を妹のカッサンドラが指摘できた理由が、これだ。その際はすぐに証拠が見つかったから良かったが、彼女の予言は百発百中なのに誰も信じない宿命。これがトロイアに木馬の悲劇を生んだ。ギリシア軍から贈られた木馬を見たカッサンドラは言う。「あの中にギリシア兵が隠れている。城内に入れてはいけません!」しかし、トロイアの誰も彼女の進言を信じなかった。今まで何度も彼女の予言が事実を指し示すことを体験していたのに。その時彼女の脳裏に浮かんだもの、それは燃えるトロイアの城、攻め込むギリシア兵。いや、それだけではない。ギリシア兵は美しいカッサンドラを襲う、陵辱する。避けられない命運にカッサンドラは狂気を起こす。正気を取り戻すことはその後一度たりともなかったという。
もしカッサンドラが木馬の中身を指摘しなかったら、アポロンの申し出を断らなかったら、トロイアの滅亡はなかったのかもしれない。いや、トロイアの敗北はずっと前に決まっていた。「この子は国を滅亡させる」との予言を受けたから、パリスは赤ん坊のころに捨てられたのだった。こんな大切なこと、王子発見の歓喜がすべての過去を忘れさせた。ヘラとアテネとアポロンを敵に回したパリスとカッサンドラとトロイア王国は、世界の王になることも世界一の知恵を拝借することも幸せな未来を見ることさえ許されなかったのだ。
強固なトロイアの城壁は無意味になった。多くの犠牲者と一大国の滅亡とともに、戦争は終わった。人間の数を減らしたいというゼウスの目論みは、見事ここに完結する。
しかし、トロイアの物語はまだ終わらない。盲目の吟遊詩人ホメイロスが語ったイーリアスにもオデッセイアにも語られなかったトロイアに纏わる物語の続きが存在する。
戦争後にトロイアの残党が集まり、トロイア再建を夢見た。トロイア王家の血を引く銀髪の美丈夫アイネイアスは一団をまとめ、西へと船を出す。いつか新トロイア王国を創るため、建国の地を探して。もちろん、順風満帆な旅ではない。自然も敵もアイネイアスたちの前に立ちはだかることが少なくなかった。一行は仲間の死や嵐や戦闘を繰り返しつつ、西へ西へと向かう。ギリシアでは捕らわれたトロイアの同士とエールを交換し、シチリア島を廻ったところでは嵐に逢ってアフリカのカルタゴまで流され、ついに現在のイタリア中部・エスペリアの北にあるラティウムに辿り着いた。ここが神から与えられた約束の地。出発前に授かった神託では「海のほとり。大河が注ぐ所。食卓、食する時」というのが新トロイア王国を建国すべき場所とされていた。ラティウムは神託と同じ地形で且つパンを食卓として使っていたため後半の謎の文章にも当てはまっていた。
蛮族がはびこるラティウム国をラティウム王家と協力して再統一し、アイネイアスは王女ラウィニアと結ばれラティウム国を治めることになる。アイネイアスとラウィニアの息子がユールス。ユールスの末裔が、狼に育てられたといわれる双生児ロムルスとレムス。兄弟同士の戦いに勝ったロムルスこそが古代ローマの始祖とされている。つまり、古代ローマ(ローマ帝国)はアイネイアスの血族が、いやトロイアの末裔が造った国、新トロイア王国といえるのだ。
ラティウム国には不死についてこんな言い伝えがあったという。「親が子を生み、子が孫を産み、代々血の繋がっていくことが、すなわち人間の不死なのだ。己の血に願いをかけると、子孫においてその願いが実現される。」新トロイア王国建国を目指し数十名で旅立った一行の子孫は長い年月を経て、トロイアの地を含め更に広大なギリシアや地中海世界をこの手に治めたのだ。
ゼウスの策略に踊らされたトロイアはついには自らの手でとてつもなく大きなものを掴んだ。神託を与えたアポロンもまさか彼らがラティウムまで辿り着くとは思っていなかったのかもしれない。パリスを気にかけていたアフロディーテはアイネイアスの母とされている。もしかしたら、トロイアは愛の女神に守られたと考えてもよいかも知れない。愛に包まれた国、トロイア。時代は続き、魂は時を超えて流れていく。
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どうして。いかにしてギリシア神話が作られたのか。余りに壮大で、現代の僕らにさえ多くの教訓と暗示を示す神話。いかにして、彼の地で、彼の時代に。なぜギリシア神話が今の今まで僕らにまで、伝えられたのか。なぜに。おそらく、これらにも確固たる理由が存在するのだろう。
ギリシア神話の神はナニモノなのか。この物語、神と人との距離が余りにも近く、神が人間以上に人間くさい。現在、ギリシアの神々を真剣に受け入れる人などほとんどいないだろう。今日においてギリシア神話の存在意義は“世界一面白い物語”である。オリンポスの神々への信仰だけでなく、神々を敬っていた時代さえホントにあったのだろうかと疑ってしまいたくなる。いや、多くの神殿が神々のために建てられている事実。間違いなく存在したのだ。
そして、ギリシアからトルコを挟んだ向こう側には、雄雄しい砂漠とカナンの地・イスラエルがある。ここで生まれた宗教はユダヤ・キリスト・イスラム。どれも絶対的な存在として神を畏れ敬う。時代はもちろん違う。しかし、何が生まれ何が残るのか尊ばれるのかはその時代背景・環境・人間性に依っている、そう考えるのがもっともらしいと僕は思う。
ギリシアは自然の恵みを受けた土地であり、イスラエルは生きるのも苦しい荒野である。それぞれ求めるもの、受け入れられるもの、心の内に存在するものが異なるのだ。
本当か? 誰にもわからない。説明できるとしたら、フェニキア人だけかもしれない。
ギリシアにもイスラエルにも、地中海世界を縦横無尽に航海することができた唯一の民族。レバノン杉で造った船で、海路を駆け巡った商人。北アフリカのカルタゴなど、地中海の至るところに街を造った開拓者。海の上に砦を築き、最強アレクサンダー大王までも大いに苦しめた戦士。何の記録も残さずどこかに消えてしまった謎の民族・フェニキア人。
僕はフェニキア人に憧れる。バックパッカーは現代のフェニキア人か。彼らは生死をかけて旅をした。彼らには、何が見えたのか、何を見ようとしたのだろうか。
僕は知りたい。僕はここ日本で旅先で、ギリシア人のように、もしかしたらフェニキア人のように、空想か現実かわからない思いを抱くのだ。