死にたい人が書いたノート
2000年ぐらいから「死にたいな」と思い始めてからはや20年。
まだ生きてます、私は。
今では、「死にたい」というよりも「ラクになりたい」と思うようになってきました。
これって、ある種タチ悪くって、「生きてても死んでもいいからラクになりたい」って感じなんですよね。
別に生きることへ諦めがあるわけじゃなくって、だけど希望があるわけじゃなくって、生きたいのに生きられなかった人もいて、そういう人の気持ちや、周りの人の気持ちもわかるけど、どうしても自分は元気がなくって、でも生きていくために働かなくてはいけなくって。
大半の人は「じゃあ死ねば?」って思うかもしれません。
死ねたらまだラクなんだよ。死ぬのも怖い。苦しい想いや痛い想いなんてしたくはない。
大体生きるのが辛いのに、死ぬときまで辛いだなんて悲しいわ。
ウチは母子家庭で、父親はろくでもない人間だったそうです。ただこれって一方的なものの見方なだけであって、物心ついたときに父親がいなかった私は、どっちが正しいかだなんてわかりません。
ただ、「蛙の子は蛙」なんだなって。いや、オタマジャクシか。
なんせ、ろぐでもない父親に似てしまったのかなと。
仕事はしたりしなかったり。長く続けてるとだんだん死にたくなってきて。いろんなことに手を出してきたお陰で無駄に経験だけ積んで、結果作家モドキみたいなことをやり始めて、もっともろくでもない形に落ち着いた気がします。
こんなことを言ったら遺族に大反感を買うだろうけど、昨今の自殺していった人たち。私は「勇気あるな」って思います。こうして20年踏み出せない弱虫もいるので。
私からすると「生きるのって難しい」んですよね。こう、当たり前のことができない。
朝起きて、働いて、帰ってきて、寝る。これができないんです。
まず、夜寝付けない。そして睡眠不足。朝辛い。仕事辛い。帰ってくるとばたんきゅう。さすがに寝るんですけど、すぐに起きちゃう。すぐに目が冴えちゃう。だからよく眠れずに朝辛い。
これのループです。
特に次の日何かあるときは、そのことが気になって全然寝付けない。最適のコンディションでイベントに挑めたことなんてありません。みんなそうなのかな? だとしたらみんなすごいな、って思います。
希望を持てない理由のひとつに「結婚願望がない」があります。
ここで話が逸れますが、ウチの家系は知っている限り全員離婚してます。そういう背景があるからなのか、「他人同士が上手くいくわけがない」って思うようになってしまいました。じゃあひとりで生きていけばいいんですが、寂しい気持ちはちゃんとあったりします。側に誰かいてくれたら、少しはラクになれるかなって思うこともあります。
結果的に希望は持てないんだけど、絶望しきれてもないんですよね。
ちなみにうつ病です。病院に通って薬ももらってます。病院に行く前よりかは、明らかにマシになったけど、元気ってわけでもなく、ローテンションがつづいてます。
好きなこととか、打ち込めることとかが、持てなくなってきてますね。楽しい! って思えることがなくなってきました。
会社員は絶望的なので、毎日勉強しながら、いろいろ試しながら、なんとか仕事に食らいついているんですが、モチベーションが低く、能率がよくない。気分転換に体を動かしてみるも、これまた晴れた気分になれない。
そんな堂々巡りな毎日です。
それでもまだ、生きてます。