【うちには魔女がいる】#14 さよならフルーツサンド
うちには魔女がいる。
魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。
これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。
魔女のフルーツサンドは絶品だ。
大ぶりにカットされたフルーツと、生クリームをたんまり塗りこんだサンドウィッチは、クリームの水分を吸ったパンがしっとりとしているのも含めて、全方位一片の隙もなく美味である。
もしも私のいない間に全部食べられてしまったら、恥も外聞もかなぐり捨てて泣き喚く自信があるくらい、魔女のつくるものの中でも相当上位に食い込む大好物だ。
魔女のフルーツサンドのクリームはマスカルポーネと生クリームを混ぜたもので、ほどよい甘さとコクのバランスが絶妙である。
隠し味に入れたはちみつがいい仕事をしていて、上品な甘さを演出してくれる。これがまたフルーツとの相性が抜群なのだ。
いくら食べてももたれない、魔女特製の魔法のクリームである。
現代はコンビニでもフルーツサンドが買える空前の〝フルーツサンド戦国時代〟であるが、魔女の味に甘やかされた舌はすっかり肥えて、そんじょそこらのものでは満足できない体にされてしまった。
責任を取って、できれば未来永劫つくり続けてほしいメニューのひとつである。
旬のフルーツと、魔法のクリーム、中身を包み込むしっとり食パン。
世にもおいしい魔女のフルーツサンドは、この三種の神器で成り立っている。
一時期、ちょっと変わった家具屋で働いていた。
私が住んでいる場所も十分田舎だが、店はそこから30キロほど北上したさらにもう一段階上の田舎の山奥にあったので、毎日片道1時間かけて車で通った。
長い通勤時間と毎朝の早起きはかなり苦痛だったが、街へとつながっている上り車線のひどい渋滞を横目に眺めながら、田舎道をすいすい運転するのはわりと気分がよかった。
職場ってどこ? と聞かれて住所を答えたら「あそこらへんはデケェ猪が出るから気をつけろよ」と地元のおっちゃんが真顔になるくらいには本気で辺鄙な場所なのだが、会社自体は地方のベンチャー企業にしては規模が大きく、私が働いていた頃は全部署合わせて50人以上の社員が在籍していた。
この店に吸い寄せられて、全国津々浦々の変わり者が移住してまで働きにくるのだから大したものだ。若い人材が多く、いろいろな土地の人間が共存しているせいなのか、どことなく常に都会っぽいニュートラルな空気感が漂っていた。
特に私が所属していた部署は、比較的歳の近い女の子が多くてみんな仲がよく、そして信じられないほどかしましかった。
箸が転げるだけで腹が捩れるほど笑える、いわゆる女子高のノリ。
休み時間のたびに休憩室に集まっては、外まで聞こえるような大声でゲラゲラ笑ったものだ。
みんなおしゃれで、ちょっと変で、すごく面白い。
趣味も服装も好きな家具のテイストも全く違うけど、それぞれの世界観を持っているから踏み込み過ぎず軽んじず、絶妙な距離感でお互いのことを尊重するのがとても上手な人たちだった。
いい会社だったかと聞かれると決してそういうわけでもないのだが(これに関してはかなりトンチキな悶着がいろいろあったのだが、本筋と関係ないため今回は割愛する)、ここで出会った同僚たちの空気感だけは、未だに時折恋しくなる。
昼休みとは別に設けられている、16時前の10分休憩。
我先にと西日が差し込む休憩室に集まって、自販機の薄いコーヒーを飲みながら休憩明け直前までダラダラとおしゃべりをしていたのが懐かしい。
きっとあの時間は、私の人生における貴重なギフトのひとつだった。
職業柄というかなんというか、店で働いていた人たちはみな一様に衣食住に対して興味関心が強かったので、もちろん魔女のお弁当はすぐに注目の的となった。
私が弁当箱を開けるたびに「おいしそう!」と褒めそやしてくれるから、魔女の弁当づくりにもより力が入ったものだ。
中には「おいしそうだから写真撮っていい?」とまで言ってきた猛者もいて、家に帰ってからそういう話をすると、魔女はプレッシャーで胃を押さえていた。褒め言葉を圧として受け取る難儀な性格なのだ。
魔女の仕事が休みの日、本当にごく稀にだが、大量のフルーツサンドをつくってくれるときがある。
いくら好物とはいえさすがに私ひとりでは食べきれないほどたくさんのそれは、同僚たちへの差し入れだ。
自分の料理を褒められることには未だに慣れないが、「おいしそう」と言われると健気においしいものをつくってしまう。これが魔女のサガなのだ。
正方形にカットしたフルーツサンドをひとつひとつパラフィンできれいに包んで、色鮮やかなマスキングテープでとめる。
犬柄のハンコを押したシールを貼れば、一見すると市販品のようだ。
余談だが、魔女は犬モチーフのものを見つけるのがものすごくうまい。
仕事をしに行くはずなのに、愛車の狭い後部座席は魔女の大量のフルーツサンドで溢れかえっていて、移動販売のサンドウィッチ屋さんにでもなった気分だ。憂鬱な通勤路も、魔女のフルーツサンドと一緒だと思うと心なしか輝いて見えた。
昼休み、タイミングを見計らって冷蔵庫にしまっておいた山盛りのフルーツサンドを取り出すと、わー! という歓声とともに大喜びで迎えられる。
わらわらとフルーツサンドに群がって大はしゃぎする様は、もれなく全員とうにハタチを越えた成人女性だというのにおやつに飛びつく小学生っぽさがどうにもぬぐえない。
テーブルを囲んでみんなでやんややんやと魔女のフルーツサンドに舌つづみを打つ時間は、ささやかな非日常感があって妙に楽しかった。
子どもの頃、学校で禁止されていた買い食いを、仲良しだった子とこっそりやらかしたときみたいな、ちょっとピリッとしたわくわく感。
好きな人たちに、私の好きな魔女のフルーツサンドをおいしいと喜んでもらえるのが、くすぐったい。
働き始めてそれなりに経った冬。会社から突然早期退職者を募る通達が出された。よくある経営難だそうだ。
一応会社に残りたいかどうか本人の意向も確認されたが、けっきょく私のいた部署はほんの数人だけを残し、ほとんどが退職という形でまとまった。
あまりにも突然のことで呆然としているうちに、トントン拍子で辞めるまでのスケジュールが決まっていった。通達から正味1ヶ月半くらいだろうか。
みんなで一斉に辞めるせいか、“退職”というより、“卒業”に近い感じだった。
タイムリミットが少しずつ近づいてくるのを肌で感じながら過ごす休憩時間は、いつもよりも空気がほんの少し浮足立っていて、どこか身の置き場がない。学生時代の卒業式前の空気感を、なんとなしに思い出した。
最後の出勤日。
魔女はわざわざ休みを取って、大量のフルーツサンドをつくってくれた。
魔女のフルーツサンドを食べると、いまでもあの日、みんなで食べた最後のフルーツサンドを思い出す。
元同僚と退職後に久々に会ったときに「またあのフルーツサンドが食べたい……」と噛み締めるように言われて思わず笑って、ふいに胸をついた痛いほどのさみしさに、一瞬だけ息ができなくなった。
決していい会社ではなかったから、つらかったことも悔しくて泣いたことも腸が煮えくり返ったことも、山ほどあった。
吐き気がするほど他人に怒ったことなど、生まれてはじめてのことだった。
けれども。
安いコーヒーの匂いが漂う夕暮れ色に染まったあの休憩室に、もう二度と帰れないことが、どうしてこんなにも悲しいのだろう。
さみしさと愛しさは、姿形がよく似ている。
またいつかみんなで一緒に食べたいなあと、もう決して叶わないことを考えながら食べた魔女のフルーツサンドは、変わらずおいしくて、ほんのりさみしい味がした。