【うちには魔女がいる】#18 夜なべの筑前煮
うちには魔女がいる。
魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。
これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。
昔から私は聞き分けの良い子どもだったが、唯一、祖母にだけは生意気な態度をとっていつも叱られていた。
怒ると低く冷たい声で理詰めしていくタイプの魔女とは対照的に、祖母はヒステリックで感情的なタイプだった。
甲高い声でキイキイ詰められると、普段は素直で穏やかで口ごたえなんてしたことのない私も、つい負けじとキャンキャンと子犬のように吠え返してしまう。
泣きながら大喧嘩して居間を飛び出し、暗い階段でひとりぐずぐずと鼻を啜っていると、決まって祖母は不機嫌そうに部屋から顔を覗かせた。
わざと怖い声で「オバケが出るぞ~暗い廊下はオバケが出るぞ、連れてかれちゃうぞ~」と大人気なく脅しにかかり、それにより一層大泣きした私が涙声の罵詈雑言を吐きながら居間に走り戻る、というのがふたりの喧嘩のお決まりのパターンだった。
きっと、誰よりも甘えていたのだ。
魔女が出掛けていて不在の夜にトボトボ祖母の部屋にいくと、なにも言わずに布団を持ち上げ、体をずらしてスペースを空けてくれた。
トイレの扉の前、あと一歩というところで間に合わなかったとき、汚れた下着と廊下を一緒に掃除して、魔女には内緒と指きりをした。
家の階段で一緒にグリコをしてくれたのも、夜の布団の中で古いわらべ歌を教えてくれたのも、酷い点数を取った社会のテスト用紙を指さして笑い、けれどもそのあと勉強につき合ってくれたのも。
全部全部、祖母だった。
祖母はいつも車椅子に乗っていた。
赤いタータンチェックのクッションが敷いてある、大きくてタイヤがついた彼女の相棒。私はいまでも、あの冷たい鉄の感覚と、タイヤがフローリングに擦れて高く鳴く音を時々思い出す。
彼女が脳溢血で倒れたのは、私が1歳のときだったそうだ。
一命は取り留めたものの、家に帰ってきた祖母の左半身は、もう思うように動かなくなっていた。魔女は当時、まだ高校3年生だった。
古い家族の写真の中では、若い祖母がなんの支えもなくしゃんと背筋を伸ばして立っていて、その姿を見る度になんだか不思議な気分になった。
私は車椅子に乗っている祖母しか知らない。けれども写真の中の笑顔は、私がよく知る少しシニカルな、しかしいたずらっ子みたいに溌剌としたそれだった。
祖母が死んだ。
11月の寒い夜だった。
私は当時中学2年生で、今度はひとりで祖母の病院に泊まりに行こうか、なんて話をしていた矢先のことだ。
祖母はもう随分と長いこと腎臓を患っていた。最後の方は意識もだんだんと濁り、私の知っている、わざと小憎らしい顔で笑う祖母とはあまり会えなかったような気がする。
病院から容体が急変したという電話が来たとき、とうとうか、とも思ったし、嘘だ、とも思った。
きっとこれから、何度も経験する傷みだ。
私の好きな人たちは、みんな私を置いていってしまう。
そこからは本当にあっという間だった。
葬儀のためにしなければいけないことはたくさんあって、遺族にはゆっくりと悲しむための時間はそう多くは与えられない。祖父も魔女も憔悴しきっていて、私はなにも直視できずに、ずっと曖昧に笑っていた。
空気に一枚薄い膜が張ったみたいな、透明であたたかいぼんやりとした悲しさが、肌に貼り付いて少しだけ呼吸を苦しくさせた。
祖母が亡くなってから葬儀までの約1週間、食事はすべて出来合いやお弁当ばかりだった。
我が家の台所仕事はほぼ全て魔女が担っているといっても過言ではないし、彼女は家族のなかでも相当参っていたので、無理もない。
誰が一番つらいとか、そういう話ではないけれど。
ただただ、祖母をどれだけ探したってもうどこにもいないという事実が、ずうっと後ろをついてきて離れてくれない。
しかし、やらなければいけないことは次から次へとやってくる。
作業に追われて案外日常を慌ただしく過ごしていた中。お通夜が終わった夜に、魔女がぽつりと呟いた。
「筑前煮、食べたいね」
夜の冷えたキッチンに、魔女とふたりで立って、包丁を握った。
筑前煮は手間のかかる料理だ。何より下準備に時間がかかるし、そこがミソといってもいいだろう。
野菜を切って面取りをして、蒟蒻や八つ頭を下茹でして、味が染み込みやすいように切り込みを入れていく。
ひとつひとつの工程を丁寧になぞっていく作業は楽しかった。
ちょうどいい具合に頭と心が空っぽになって、飽和したかなしみでぶよぶよに溶けていた思考を、少しだけまともに戻してくれた。
「ママがね、意識があるときに最後に食べたの、私がつくった筑前煮だったんだよねぇ」
魔女は祖母のことを『ママ』と呼んだ。私も魔女も、とうとうふたり揃って母親を亡くしてしまった。
「あんたのつくったものが一番おいしい、って言っててねぇ」
ママの筑前煮、食べたいねぇ。
なんでもないことのように言った魔女の声が、一番心に突き刺さった。
料理上手だった祖母の味は、脈々と魔女に受け継がれている。
魔女や母や祖父の血と体をつくり、めぐりめぐって私の体に回ってきた、やさしいごはん。
ああ、私たちは、あの人のつくったものを、もう二度とは食べられないのだ。
出来上がった大量の筑前煮はあたたかくてやさしい味がして、お弁当続きの体にじんわりと染み渡ったが、魔女としてはいまいちの出来だったらしい。何度も首を傾げていた。
真夜中のキッチンでふたり、他愛もない話をして、食べて笑って、時々泣いた。
いまでも日常のふとした瞬間、流れていく時間のなかで思い出す。
タイヤのゴムが高く鳴く音。
車椅子の鉄の匂い。
歯に衣着せぬ物言い。
大きな真珠のイヤリング。
シニカルな笑顔。
赤縁のメガネ。
真夜中の筑前煮。
あの人のつくる、やさしい料理。
思えば祖母は、あの魔女の料理の師匠なのだ。
そうなると、彼女は大魔女といったところか。
私もいつか、あんなにおいしくてやさしい料理がつくれるようになる日が来るのだろうか。
大魔女と魔女のごはんで出来た体で、今日もわたしは明日へと歩く。