【うちには魔女がいる】#11 本日モ晴天ナリ
うちには魔女がいる。
魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。
これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。
小中高と学生時代のほとんどを給食制の学校で過ごした私だが、特別行事などでお弁当持参になる数少ない日は決まってご機嫌だった。
普段家で食べている魔女の料理。それが小さなお弁当箱に収まっているだけで、胸は躍るようにときめいた。
幼稚園からはじまり、遠足、社会科見学、給食が出ない文化祭。高校のときなんかは巷でも給食がマズイと有名な学校に通っていたので、小振りなお弁当を作ってもらって授業の合間にこっそり食べていた。大学生になってからは、実家から東京に帰る際、持たせてもらったお弁当を特急電車の中で食べるのが習慣になった。
私と魔女の長いお弁当人生、どのお弁当だっておいしくて忘れがたい。
そして、運動会のお弁当もまた、印象深い〝ひと箱〟である。
私は昔からどんくさい子どもで、決して運動会で目立てるタイプではなかったのだが、運動会の前の日は眠れなくなるほど楽しみだった。
前日に必ずつくるてるてる坊主は、つくり手がヘタクソなせいでいつもひっくり返ってしまっていたが、一度も雨に降られず無事に六年間、全ての運動会を晴天で迎えられたのは僥倖であろう。
いつでもおいしいお弁当をつくってくれる魔女だったが、運動会ばかりはそもそも気合いが違う。
まだうっすらと空に夜が残っている早朝4時、魔女はあくびを噛み殺しながらキッチンに立ち、目にもとまらぬ速さで料理の山を量産していく。
目が覚めて居間に降りていくと、彩り美しい料理がずらりと並び、そしてその傍らには、朝一番の大仕事を終えて息も絶え絶えの魔女がぐったりと沈んでいる。毎年おなじみの、我が家の運動会の朝がやってきた。
家族だけでなく、トオルくんやヒトミちゃん、親族、なぜか魔女の友人たちまで冷やかしに来る私の運動会のギャラリーは、多いときで総勢10人を越える大所帯になる。並みのお弁当では全く足りないので、料理の量と魔女の疲労は毎年増える一方だ。おせちを入れるような大きな重箱におかずをみっちり詰め込むと、もはや鈍器並みの重さになるのが本当に恐ろしい。
へろへろの魔女に送り出され、学校で同級生とともに運動会の準備を進めるが、脳内はすでに今朝見てきたおいしそうなお弁当のことでいっぱいだ。開会式もリレーも障害物競走もどこか上の空でそわそわと過ごし、ようやくお昼の時間になって、いの一番にクラスから抜け出して魔女たちの元へ向かう。
人混みを掻き分けてキョロキョロとしている子どもを先に見つけた魔女が、私の名前を呼びながら大きく手を振った。
そんなくすぐったい記憶から早数年。
豪勢なお弁当にはしゃいでいた小さな子どもは、いまや立派な製作班の一員だ。
「お皿洗って!」
「机片付けて!」
「キッチンペーパー取って!」
矢継ぎ早に飛んでくる魔女の指令に、ハイ! ハイ! と威勢だけはいい返事をしながら、キッチンを縦横無尽に駆け回る。
ちなみに幼少期存分に甘やかされて育った私は、舌は肥えていてもキャベツ半玉の千切りでさえ30分以上かかる人間なので、仕事はもっぱら味見と皿洗いとその他もろもろの雑用である。多少は役に立っている、と信じたい。
あの頃はただただ、魔法のように次々と出来上がっていくおかずに目を輝かせていればよかったが、いまなら分かる。運動会の朝は戦場だ。この過酷さはおせちづくりのそれと並ぶ。
量の多さ、限られた時間、見た目を華やかにするための創意工夫やらなんやら、ハードな課題がこれでもかと山積みになって一斉に襲いかかってくるのだ。私の3倍のスピードで動く魔女には脱帽するしかない。
本日の主役であるハルナは、風邪で休んだ子の代わりに急遽補欠としてリレーに出ることになってしまったらしい。ヒトミちゃんからの電話で、ガチガチに緊張している彼女の様子を聞いて、申し訳ないけど笑ってしまった。
ついこの間まであたりまえのようにつくってもらっていたお弁当を、誰かのために魔女と一緒につくっている。
その事実は私をほんの少しさみしくさせて、それから、体の内側をやさしくくすぐった。
大人になるというのは、きっとこういうことなのだ。このあたたかいさみしさは、きっとこれから何度も、私の胸をいたずらにくすぐっては消えていく。
このお弁当を開けたら、ハルナは幼い頃の私のように喜んでくれるだろうか。
運動会の人混みのなか、私の名前を呼ぶ魔女の声を、ふいに思い出した。