【うちには魔女がいる】#7 サンデイ・ナイト・カステラ
うちには魔女がいる。
魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。
これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。
楽しかった連休も今日で終わり。
明日からまた企業戦士として朝から晩まで馬車馬の如く働かなければならない、という、ゴールデンウィーク最終日。時刻は夜9時を回ったところだ。
私はというと、もはや原型を留めないくらいデロンデロンに溶けていた。明日が嫌すぎて。
もちろん比喩である。
「あまいふわふわが食べたい……」
一時『人をダメにするソファ』として名を馳せたビーズクッションにでろりと体を投げ出し、死にそうな声で呟いた。
私には往々にしてこういうところがある。
精神的にダメになったときに食に逃げがち、そしてそういうときにあまいふわふわを食べたがりがち。
なにが食べたいというより、「こういう〝概念〟のものが食べたい」という具体性に欠けたぐにゃぐにゃの要求をもにゃもにゃ口にするので、おつかいを頼まれた魔女が「で、結局なにが食べたいの?」と途方に暮れることもしばしばだ。
今日も今日とてはじまった「あまいふわふわが食べたい」タイムにすっかり慣れた魔女は、相槌だけは打ってくれたものの、目線は変わらず昨日買ったばかりの本に縫いつけられたままだ。
私とて、寝る準備万端のパジャマ姿なのに、わざわざ着替えてコンビニに『あまいふわふわ』とやらを買いに行くような気力も体力もない。
なんといっても明日は連休明け最初の出勤日。
「早く寝ないと」という焦燥感と、「眠れば明日が来てしまう」という絶望が入り混じって全てのやる気を吸い取っていく。サザエさん症候群は歴とした現代病だ。
あまいふわふわ……という私の鳴き声に、ちらりと一瞥をよこした魔女が本を閉じて、一言。
「じゃあ、カステラつくろっか」
最初、冷凍庫にしまい忘れた真夏のカップアイスみたいにだらしなく溶けきった脳みそでは魔女の言葉がうまく処理できなくて、3秒ほど動作が停止した。
「……えっカステラ? カステラってあのカステラ?」
「うんカステラ」
「えっ明日から仕事が始まる夜の9時からカステラ?」
「うんそうカステラ」
目は口ほどにものを言うというが、あまりに熱心に見つめたせいで「正気か?」という私の内なる声が漏れ出てしまったのだろうか。
唖然とする私に言い訳をするように魔女は手に持っていた本をサッと掲げた。
『おいしいカステラ』……なるほど、カステラのレシピ本。
「新しいレシピ本買ったから! ちょっとつくってみたくて!」
いや、だとしても連休最終日の夜9時にカステラは焼かなくない?
当たり前のようにキッチンに立った魔女が、手際よくカステラをつくっている。
もう何百回、何万回と、数えきれないほどこうやって魔女の後ろ姿を眺めてきたが、そのほとんどが私が食べるおいしいものをつくるためだったと思うと、なんだか感慨深い。
昔から、魔女は私にいっとう甘いから。
砂糖を加えたたまごを人肌程度に温めながら、ガッシャガッシャと混ぜていく。
すくって垂れたたまご液がリボン状に生地に重なって、しばらくその跡が消えなかったら「ちょうどいい」の合図だ。
はちみつを入れ、強力粉をふるって混ぜて、あとはオーブンで焼き上がるのを待つだけ。
すごく簡単だから、と魔女はなんでもないことのように言うけれど、いくら簡単だからといっても大多数の人間は日曜の夜にいきなりカステラを焼こうとは思わないのではなかろうか。少なくとも私は思わない。
それに翌日仕事が入っている夜、魔女がなるだけ早い時間にベッドに入るのを、私は知っている。
こういうのを目の当たりにすると、くすぐったくて嬉しくて、まだ背丈が魔女のおなかくらいまでしかなかったいつかの頃に戻りたくなってしまう。
子どものときはくすぐったさで体が満杯になったら、魔女の背中に力いっぱいしがみつけばよかったけど、とうの昔に大人と呼ばれる歳になってしまったいまではそれも難しい。
だから私は、くすぐったい気持ちをありったけ詰め込んで、今日も「おいしい」と高らかに歌う。
かくして焼き上がった魔女のカステラは、きれいな焼き色がついた『カステラ』そのものであった。
やさしい匂い。
まだあたたかいそれを食べれば、素朴な甘さが荒んだ心によく沁みた。
これは間違いなく〝あまいふわふわ〟だ。
夜も深くなってきたというのに、焼き立てのカステラは最高にうまくていっこうに手が止まらない。
このカステラがあるなら、明日もギリギリ、どうにか生きていける気がする。
日曜夜9時のカステラは、愛の味がした。
余談だが、この日のカステラの高さに納得できなかった魔女はまたもや変なスイッチが入り、ここから数日間怒涛のカステラ地獄を味わうことになるのだが、これはまた別のお話である。