【うちには魔女がいる】#16 ゆく年くる年
うちには魔女がいる。
魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。
これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。
我が家には、気を引き締めて臨まなければならない特大イベントがふたつある。
ひとつめは運動会のお弁当づくり。
これはこれで相当大変なのだが、本題とは関係ないため割愛する。気になった方はぜひ【うちには魔女がいる】シリーズの『#11 本日モ晴天ナリ』の回を読んでいただきたい。
さて、問題は残りひとつであるが、運動会のお弁当が一点集中型の短期決戦であるなら、こちらは長期戦上等のデスマーチ。
木枯らしが吹きはじめた頃には、すでに戦いは始まっている。
一家総出での団体戦、一年の総決算。
またの名を『おせちづくり』。
年末の我が家のキッチンは、まさしく戦場である。
毎年、クリスマスが終わった瞬間に、魔女も祖父も即おせちづくりへと意識が切り替わる。
一年で最も忙しい大仕事がそのあとに控えているおかげで、ここ数年はせっかく買ったクリスマスツリーも物置の肥やしになっているくらいだ。魔女曰く、「そんなものに構ってる暇はない」。
本格始動するのがクリスマス後というだけで、おせちの話題自体はお盆が終わったあたりからちらほら出始める。
今年の中身はどうするだとか、パッケージを買いに行かねばだとか。
我が家にとっては通常運転だが、一年の3分の1はおせちのことを考えているのかと思うとなかなかにクレイジーだ。
「お重もうワンセットどこにしまった!?」
「え、戸棚のところに一緒になってない?」
「うっそ卵足りないんだけど」
「アッ爺ちゃんが来る前にキッチン片付けといて!」
「……手遅れだった……」
やってもやっても終わらない食器洗いに、大渋滞を起こすキッチン。
ダイニングテーブルを占領する大量の鍋、鍋、鍋!
料理が好きで、なおかつ人に食べさせるのも、もてなすのも好きな我が家の料理人たち。
最初はごく近しい人たちにほんのお気持ち程度おすそわけしていたのだが、年を重ねるたびにそれがひとつ増え、ふたつ増え……なんてことを続けているうちに、気がつけば平均7家庭分のおせちをこさえるのが年末のお約束になってしまった。うちは一体いつから仕出し屋になったのか。
そんな状態なので料理の品数も分量もどんどん多くなり、普段は広く感じるダイニングテーブルの上がこの時期は大小様々な鍋ですっかり埋め尽くされてしまう。
年々つくる量が増えているのは確かだが、ついに祖父がタライに見間違うサイズ感の鍋を買ってきたときは、流石に狂気を感じた。
おせちづくりのスタートダッシュを切るのは、祖父がつくる昆布巻きだ。
昆布巻きのあまじょっぱい香りがキッチンに充満し始めると、いよいよ始まったとピリリと身が引き締まる。
我が家のキッチンはごく一般的な3口コンロだが、残念ながらこの程度のスペックでは年間で最もコンロ稼働率が高い怒涛の年末時期をカバーしきることはできない。
一番煮込み時間が長い昆布巻きは、物置に眠っている石油ストーブをわざわざ出してきて、その上で数日間ひたすら火を入れ続けるのが恒例だ。年末のキッチンは分刻みスケジュールなのである。
おせちづくりは祖父との分担制とはいえ、やはり担当する品数がダントツで多い魔女は、年末に向けた1週間はひたすら休みなくキッチンを奔走する。
28日の夜くらいから黒豆を仕込み始め、漬物や五色なますをつくり、筑前煮を煮詰めつつその傍で細々としたメニューを目にも止まらぬ早さで捌いていく。
相変わらず料理に関して全くの戦力外である私は、丁稚奉公の如くひたすら雑用に徹しているわけだが、下っ端の小間使いですらやってもやっても仕事が終わらない。
この時期だけは、皿洗いをしてテーブルを片づけて味見をして下拵えを手伝うだけで日が暮れる。
師走の名は伊達ではない。
そんなふうに日々をバタバタと過ごしているうちに時間は過ぎ、そのうち冬休みに突入したはとこのハルナが遊びにやってくる。
ついでにおせちデスマーチに参加していくのも、ここ数年のお決まりの流れだ。冗談抜きで猫の手も借りたいレベルなので、人語が通じる人間の子どもの手が増えるだけでも実はけっこうありがたい。
彼女の主な仕事としては、栗きんとんに使うさつまいもを裏漉ししたり、柚子の千切りを甘酢で漬けた大根でひたすら巻いたり。
比較的簡単にできる仕事を魔女と私でサポートしながら、極力この最年少助っ人に手伝わせるようにしている。
こんな良い食育の機会はなかなかないので、やらせておいて損はないだろうというのが大人たちの総意だ。
30日の夜には、魔女とハルナと三人で7家庭分の伊達巻をせっせと仕込む。
オーブンから出したばかりの熱々の伊達巻は、鮮やかな黄色と焼き色のコントラストが美しい魅惑のルックスだ。甘くてやさしいたまごの匂いに混じる、出汁の深みある香り。
この段階になるともうだいぶ夜も更けた時間帯に差し掛かっているのだが、どこかほっと肩の力が抜けるような懐かしい香りは、容赦なく食欲をくすぐってくる。
物欲しそうな目で伊達巻を眺めていると、いつも魔女は苦笑して、こっそり端っこを切り落として私とハルナの口の中に放り込んでくれる。これが忙しない年末の、密かな楽しみのひとつ。我々ひとりっ子族は、『味見』という響きにめっぽう弱い。
そうして戸棚の奥に眠っている重箱をありったけ引っ張り出してきて、洗ったそれらをテーブルに広げて乾かし始めたら、いよいよ長かったおせちづくりの終わりの合図だ。
あんなに大変だったのに、この静謐な終わりのはじまりに、いつもしんみりしてしまう。
一年の終わりが近いせいか、年末はいつも、どこかにひとかけらのさみしさが漂っている気がする。
毎年目が回るような忙しなさにギャーギャー言いながら駆けずり回っているが、そこに妙な楽しさを感じているのもまた事実なのだ。
年末のおせちづくりはつまるところ、文化祭前日。
騒々しくて慌ただしくて可笑しくて、そして、少しだけ切ない。
昆布巻き。
なます。
筑前煮。
黒豆。
伊達巻に栗きんとん。
れんこんのきんぴら、鶏もも肉のロースト。
少々変わり種の、祖父特製のローストビーフ。
例年なんとなくおせちの献立は決まっているが、味づけや使う素材が年ごとに少しずつ違うのは、魔女がつど微調整を繰り返しているからだ。
今年一年かけて見つけたおいしかったもの、新しくレパートリーに増えた味づけを重箱の中身に反映させて、新しい年へと橋渡しをする。
ある意味、おせちは魔女の、一年の集大成というわけだ。
もう何年もこんな年の瀬を過ごしているのに、未だに魔女は「人様の家の新年の幕開けを担うなんて……プレッシャーが……」なんてことを言って頭を抱えているので今更すぎて笑ってしまう。
個人的には、魔女のおせちを食べながら迎える新年はなかなか幸せな一年の始め方だと思うのだが、やはりこれは姪の欲目だろうか。
そして、31日の朝。
できあがったおせち料理をテーブルにずらりと並べ、きれいに重箱に収まるよう試行錯誤しながら、パズルの如く組み合わせていく。
ここでも大雑把な祖父と魔女との間で親子喧嘩寸前の小競り合いが繰り広げられるのだが、例年のことなので私もハルナもBGM程度に聞き流して各々の仕事を黙々とこなす。
すべての料理を詰め終わり、全家庭分のおせちが一堂に会する様は、まあなんとも壮観である。
詰め作業を終えて、お重を風呂敷で包んで。
家までおせちを引き取りにきたそれぞれの家庭に出来立てほやほやのそれを引き渡せば、今年最後の大仕事はようやく終了だ。
もちろん、夕方近くになって訪ねてくるトオルくんとヒトミちゃんには、おせちと一緒に愛娘をお返しするのも忘れずに。
重箱を抱えて帰っていくハルナたちを見送り、やっと一息。
ヨロヨロ萎れたまま早々と風呂に入り、汚れも疲れも洗い流してパジャマになってしまえば、あとはもう大人たちの時間だ。
この時間になれば、朝から冷蔵庫に入れておいた日本酒もキンキンに冷えている頃だ。
とっておきの冷酒と、ちょっといいつまみを食べながら、こたつでダラダラ家族団欒を楽しむ。
晩酌しながら年越しそばを食べて、「おなかいっぱいだ~」と言いながらけっきょく我慢しきれず、年が明ける前に重箱を開けてしまうのも毎年のことである。
うん、今年のおせちも、やっぱりおいしい。
切って洗って炒めて煮込んで、時々喧嘩してたくさん笑って。
そうして今年も、一年が音も立てずに、ゆっくり終わってゆく。