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平日真っ昼間に他人の金で飲むビールはうまい


「やっぱりさ、バリバリ働いて飲むビールが一番うまいよね!」
かつて営業として働いていた会社で、同じ部署の先輩が、お昼休憩中にこう言った。
小さなデザイン会社の、スタートアップから在籍した誇り高き精鋭の営業ウーマンたちだ。皆一様に労働に対する意識が高く、それを聞いていた別の先輩もうんうんと大きく頷いていた。

一方私はというと、顔には出さないだけの分別はあったものの、内心はずっと首を傾げていた。

「いや、ニートの時に平日真っ昼間他人の金で飲んだビール、最高にうまかったですよ」と。







とにかくもう、ただひたすらに、働きたくないのである。
而立といわれる歳になったいい大人が言うにはあまりにも情けなく身も蓋もない言葉だが、まごうことなき本心なので仕方がない。

恥も外聞もなく理想を語るならば、毎朝起きて、犬とさんぽに行って季節の移ろいを感じ、おいしくてあたたかい食事を食べ、読書をし文字を書きほそぼそと家の修理をし、またさんぽにいって夕暮れ時の少し湿った空気に鼻を鳴らし、たまに酒を飲みながら映画なんて観て、そうして犬を抱いて眠る。

いや最高。こんな生活したい。
大方は手に入ってるのだがとかく労働が邪魔だ。
学生時代、地理の授業で各国の平均労働日数と休日数を見て愕然としたのを覚えている。日本人、働きすぎだろ。
人間の短い人生で、週5日間8時間も働き続けていたら、何もできずにあっという間に骨になってしまうことだろう。





思えば、昔から私は「毎日同じ時間に同じ場所へ通う」ということが極端に苦手な子どもだった。

幼稚園の時分から遅刻三昧。父は毎朝なにをしても起きない私を無理やり立たせて着替えさせ、人形のように小脇に抱えてダッシュで園に輸送していた。(大掃除の際に幼稚園時代の登園手帳が出てきたのだが、朝から登園している日がほとんどなかったせいで中身がまっさらだった。ちょっと引いた。)

小中学生時代は毎週1回は学校を休んだせいでメンタル面をすこぶる心配され、わざわざスクールカウンセラーを依頼される始末。(カウンセラーの先生とは1時間楽しくお話をして和やかに茶をしばいただけで終わった。)

高校生にもなるといろいろと慣れたもので、遅刻・サボリ・欠席の常習犯だったが“コイツはそういうもの”という感じでわりと黙認されていた。校内でもいくつか避難所があり、授業をさぼっては仲良しの先生とダラダラおしゃべりして、あれはあれで悪くない青春だったなと思う。(ちょっと自由にやりすぎて一時は進学の危機なんかも訪れたわけだが、無事に大学には行けたのでまあよしとする。)


とにかく生まれてこの方、ずっと私は毎日として同じ場所に通えた試しがない。
才能がない。
壮絶ないじめにあっているとか、友達がひとりもいないとか、そういう分かりやすい理由があるわけではなく、それでもどうしたって、できない人間というのもいるのである。
そんな私であるので、高校時代の恩師に久々に会ったときに「働いてる!?週5フルタイムで!?おまえが!??」とめちゃくちゃでかい声で驚かれたときは盛大に笑った。さもありなん。

とはいえ、人間働かないと生きてはゆけない。
人生を懸けて推している犬には餌代や病院代の他にトリミング代・マッサージ代・デンタルケア代と定期的な出費がかかるし、今後結婚する予定もない私は同じく独り身の叔母と面白楽しく暮らしていくためにお金が必要なのだ。
分かっている。分かっているけど、理解と納得は別物なのである。

毎朝行きたくない行きたくないと泣き言をこぼしながら渋々身支度をして出勤して、帰宅したらごはんを食べて風呂に入って日常の細々としたタスクをこなしたら秒速で寝る時間になって、今日も何もできなかったという罪悪感と焦燥感を抱えながら眠りにつく。金曜日の夜が一番元気で、日曜の夜は毎週世界の終りみたいな気分。
転職してもだめ。職種を変えてもだめ。いよいよ行き止まり。

社会人になって7年。
もう毎日こんなに嫌なら、そろそろ本気で働き方を考えてみてもいいんじゃないの?






そんなわけで、この度Marbleスクールに申し込んでみた。

インタビューや編集、広報など、「書くこと」に特化した上でさらに+αのスキルを身に着けるためのスクールで、持続的なフリーランスライフの実現を主軸に置いている。

正社員としても副業としてもライターをやっていたことがあるので、もしも会社員の枠組みから離れて働くならライターだろうな、とはぼんやり考えてはいた。
しかしながらもらえる仕事といえばSEOライティングばかりで、フリーでやっていくにはいささか心もとない。
仕事の幅を広げたいとひとり悩んでいた私としては、このスクールを見つけられたのは僥倖だった。


あと、昔から、表現者になりたいという気持ちはずっとずっとあったので。
文字を書いて生きていけるなら、それに越したことはないと。そう思うのだ。

ちなみに私の歴代の将来の夢は幼少から『画家』『漫画家』『小説家』といういずれも“家でなにかをつくる仕事”であったので、(外に出て)労働したくないという願望は筋金入りである。




スクールを受講する3ヵ月で、私なりの何かを見つけられたらいいなという願いを込めて、この記事を書いている。
本当なら課題図書の感想文か先日のキックオフの感想でも軽く書けたらと思っていたのだが、なぜダラダラと無駄に長い自分語りをしているのか我ながら謎だ。

ただまあ、人間は忘れる生き物なので。
私が今なにを考えてどう行動したか、その軌跡を残しておくのは悪くない気がするので、思い切ってここに残しておく。




「働きたくないなんて、いい年して馬鹿みたい」
「いい仕事に就いて努力して結果残してこそ最高の人生でしょ」
「仕事なんて楽しくなくて当たり前」
「フリーランスこそ休みなくずっと働くもんだよ」
「バリバリ働いて飲むビールが一番うまいよね!」

うるせえうるせえ!
ビールはニートだろうが労働者だろうが変わらずうまいし、何事もやってみないとわからないし、私の人生の主役は私だ!
外野はすっこんでろ!


これは私の、人生をよりよく生きるための闘いだ。
働きたくない人間が、幸福に生きるために、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しながらもんどりうっている。
やってみて失敗したらその時はその時。
匙は投げられたし、闘いの火蓋は切って落とされた。


今夜からいよいよ、Marbleスクールの2期が開講される。




※私がこういうスタンスなだけで、Marbleさんは大変充実した素晴らしいオンラインスクールであるし、受講されている方々も書くことに対して向上心と情熱のある方たちばかりです。
決して働きたくない人向けのスクールではないので悪しからず。

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