No.2「探求型学習」と「のぞみっこ」の将来の幸せ
「のぞみっこ」のお母さん、お父さん、こんにちは!
連休は「のぞみっこ」と楽しく過ごせましたでしょうか?
私は連休初日、またもやマツダ・スタジアムに行ってまいりました…😢
けど、昨日今日と巨人が連敗したので元気を取り戻しつつあります!
「諦めたらそこで試合終了ですよ」です!(誰のセリフか分かりますよね?)
これがわれわれ「ぼくの好きな先生」の合言葉です!
この言葉を胸に、「ぼくの好きな先生」のための共育ラジオ番組「ラジオの時間」第二回目、早速始めましょう!
「探求型学習」と「のぞみっこ」の将来の幸せ
今回から数回に渡り、前回お約束した通り、「なぜ政府は「探求型学習」を、日本の教育全般の新たな柱にしようとしているのか?」についてお話していきます。
これと併せて、「なぜ日本人は英語が苦手なのか?」についてもお話します。
実は、日本人が苦手なこれら二つのものは、密接に繋がっています。
そして、それら苦手なものを早急に克服するために文科省は、これから「のぞみ」がやっていく国際バカロレア(IB)の日本への導入を急いでいます。
IB=探求型学習と言っても過言ではないからです。
それら二つの問いについて、私が北米の大学で教えていた時の経験を通してお話していきます。
米国、カナダの大学には、日本人も含め世界中から学生が集まってきます。
クラス一つひとつが「世界の縮図」、「人種のるつぼ」です。
そうしたクラスを教えているうちに、あることに気づきました。
それは、
日本人学生は、他のどの地域からやってきた学生と比べても、圧倒的に「探求型学習」が出来ない。
ということです。
北米の大学は、文系理系を問わず、基本、「探求型学習」です。
この学習法と英語の両方が苦手なゆえ、日本人留学生が卒業できる割合は、全体の割合(50~60%)を大きく下回っています。
では、「探求型学習」が出来ないと、何が問題なのでしょうか?
一言で言えば、これからの時代、それが出来ないと、望む仕事に就くことが困難になるからです。
というのも「探求型学習」は、現在進行中の「第四次産業革命」において必要不可欠な能力と考えられています。
就職活動をしていた学生らによると、企業との面接そのものが、このあと述べるような、大学での「探求型学習」における私との質疑応答と、とても似ていたそうです。
「弊社のどの部署でどのような仕事をやりたいのか?」
「それが弊社や社会全体にとってなぜ重要なのか?」
「それを実際どうやってやるのか?」
というように。
実は私は、学者になる前に日経新聞の記者をしていました。
今も懇意にしているかつての同僚や取材先によると、こうした傾向は国内外を問わず顕著になっているそうです。
進行中の教育の大改革と、「第四次産業革命」を中心とする最新の産業界の動向との関係については今後、ここ「ラジオの時間」で詳しくお話していきます。
兎にも角にも、「探求型学習が出来ない=望む仕事に就けない」未来がすぐそこまで来ています。
それゆえ文部科学省のみならず経済産業省までもが、従来の「詰め込み型学習」から「探求型学習」への転換を大急ぎで進めようとしています。
また、探求型学習と同様に英語も、希望する仕事に就くために不可欠なスキルです。
第四次産業革命とともに経済のグローバル化が、これまで以上に加速しているからです。
国内企業でさえも(正確には、もはや純然たる国内企業は存在しないに等しいですが)、TOEICのスコアによって、人事や処遇を決定するところが増えています。
入園説明会でも話しましたが、これからの「のぞみ」の究極の目標は、「大人になった「のぞみっこ」が幸せに生きるために必要な基礎を育む」です。
やりがいを感じれて、かつ、「のぞみっこ」の未来の家族が生活の不安なく暮らせる仕事に就けることは、「のぞみっこ」の将来の幸せと大きく関わっています。
つまり、そうした仕事に就くための基礎が、「幸せに生きるために必要な基礎」に他なりません。
そして「探求型学習」と英語が、その基礎の大きな部分を占めています。
実は、「探求型学習」が英語の基礎そのものなのですが、その話は次回に譲ることとしましょう。
では、それらのことを念頭に置きながら、具体例を通して「探求型学習」とはどのようなものか再度確認していきましょう。
探求型学習:K-POP編
北米の大学の成績は、中間、期末に提出が義務付けられている「ペーパー」によって決まります。
「ペーパー」は、日本でいう小論文やレポートとは異なります。
「ペーパー」は、設問と主題が明確なこと、論旨が明確なこと、使用する参考文献(査読済み論文に限る)の最低数が決められていること、規則に沿った引用が付いていること、等々、学術論文と同じ規定を基準に評価されます。
ですので、学生が書いた優れた「ペーパー」が、学者が書いた論文と一緒に学術誌に掲載されることも稀ではありません。
「ペーパー」(ミニ「学術論文」)=「探求型学習の成果」そのものです。
私が、古今東西の文化政策をテーマにしたクラスを教えていた時のことです。
学期の最初の5週間はそのテーマに沿って講義をし、その後3週間かけて学生は「ペーパー」の準備・執筆をし、その間私は学生ひとり一人の論文指導を行います。
このサイクルを一学期中に二度繰り返します。
「ペーパー」は、私の講義内容となんらかの関係があれば、好きなこと何を書いても自由です。
あるカナダ人学生が書いた、このクラスで最も優れた「ペーパー」の「問い」は、「なぜK-POPは世界を席巻したか?」でした。
彼女はK-POPが大好きだったので、この問いを選んだそうです。
そして、自ら設定したその「問い」に対する彼女の「仮説」は、「K-POPの世界市場進出・制覇は、当初からそれを目的とした韓国政府の文化政策に起因する」でした。
「K-POP命」の彼女は、興味がおもむくままにK-POPについて色々読んでいるうちに、そうしたことが書いてある記事に出会ったそうです。
勿論、私はこの優れた「問い」と「仮説」で「ペーパー」を書くことを即座に承認しました。
「探求型学習」では、立証可能な「問い」と「仮説」を設定出来ることが最も大事な点の一つです。
ですので、それについての学生との質疑応答には多くの時間を費やしました。
この学生の場合のように、これだけしっかりとした「問い」と「仮説」が立てれれば、「ペーパー」は8~9割方出来たも同然です。
彼女は、関連する文献を次から次へと読み漁り、結果、アジア研究で最も権威のある学術誌の一つに掲載されるほどの、文字通りの「学術論文」を書きあげました。
このケースには「おまけ」があります。
このペーパー執筆中、彼女は、韓国語で書かれた文献を読むことが出来ないことを非常に悔しがり、執筆直後から韓国語を独学で学び始めました。
これも「好きこそものの上手なれ」で瞬く間に上達し、彼女は今、米国にある世界有数の大学の博士課程で、韓国文化の研究を行っています。
この成功例から、「探求型学習」(=「主体的な学び」+「対話的な学び」+「深い学び」=アクティブ・ラーニング)とはいかなるものかがよくお分かりいただけたのではないかと思います。
我々が「のぞみ」でやることも、基本、これと一緒です。
と、言われても、これをどのようにして幼稚園でやるのか、なかなかイメージが沸きにくいと思います。
ですので、この「ラジオの時間」のなかで私が、カブトムシを題材とした「探求型学習」の計画を練ることを構想中です。
そしてそれを実際に「のぞみっこ」と一緒にやり、ここでそれを報告します。
どうも最近、私は一部の「のぞみっこ」の間で、「えんちょうせんせい」でも「えんどうせんせい」もなく、「かぶとむしせんせい」として知られているらしいのです…
「放課後や夏休みにやってみたいことは無し!?」
すでに申し上げました通り、「探求型学習」で最も大切なことは、「問い」と「仮説」(「主題」)の自由な選択です。
そして日本人学生は、これが最も苦手なのです。
「自分が書きたいことを、なんでも書いていいんだよ」と言えば言うほど、彼らは困惑しました。
このことと関係して、大変興味深いアンケート調査があります。
ある教育の専門家が、全国の小学生約1000人に「放課後や夏休みにやってみたいことはなんですか?」というアンケート調査を行いました。
結果は、
1.サッカー
2.ドッジボール
3.鬼ごっこ
4.なわとび
5.なし
衝撃の第5位です。
その回答欄には、「やりたいことがない」「わからない」「どうでもいい」などと書かれてあったそうです。
私のクラスを取っていた日本人留学生たちと同じです。
私がこのアンケート結果に衝撃を受けた理由の一つは、少なくとも「のぞみっこ」を見ている限り、こうした無気力、無関心の片鱗さえ全く感じれないからです。
毎日「のぞみっこ」を見ていると、子どもはみんな、自由に遊んでいるなかで色々なことに興味を持ち、そこから次から次へと新しい遊びを発明していく「天才集団」だなとつくづく思います。
それが小学校に上がった途端にこうなるなんて…。
と、嘆いてばかりいても事態はよくなりません。
まず、なぜ日本では、子どもが本来持つ豊かな才能が成長とともに失われていくのかを一緒に精査していきましょう。
それをもとに、子どもたち生まれながらにもつ才能を損なうのではなく、それをさらに豊かにしていくために、我々大人は何をすればいいのかを、一緒に探求していきましょう。
そして、その探求で得られる答えを実践していきましょう。
それが「ぼくの好きな先生」になることです。
清志郎が小林先生と一緒に、天国から我々を応援してくれています。
(続く)