好きとか嫌いとか恋とかどうでも良い所

なんか、こんな表題のnoteを以前書いた気がする。気がするが、消してしまった。結構後悔はしている。

恋とか好きとか嫌いとか、どうでも良くなった場所で愛し合えてる人達を羨ましく、妬ましく思う。都内を2人手をつなぎながら歩く老夫婦、朝早くから仕事をする夫婦農家、文句を言いながら決して別れる事を選ばず、抗い続けた私の両親。

きっと、好きとか嫌いとかどうでも良くなったその先にしか答えはない。欠点も短所も嫌いな所も全部、全部愛してしまった。少しの絶望と諦めと幸福を感じながら。

結婚とは「1人で生きていける2人が、2人で生きていきたいと思ったからすること」だと思う。結婚を決めたきっかけは結構どうでもよかったりする。そういえば、私の両親が結婚するきっかけを聞いたことがない。今度帰ったら聞いてみようと思う。

私は恋人を愛している。どこに行っても何をしてても誰といてもきっと愛してしまう。そして、そんな恋人は渡り鳥のようにふと、どこかに行くだろう。

1回きりの人生、好きに暴れ回って欲しい。だからこそ今何ができるかを常に考え、行動して別れの日をなるべく遠くに設定したい。

人は少し寂しくて、ロマンチストで、ネガティブで、誰かを傷つけながら生きていくものだと思っている。結婚相手は「恋人はどれだけの幸せを知っているか。結婚相手はどれだけ地獄を見てきたかで選べ」と私の好きな作家は言っていた。

私は幸せな事をそこまで知らない。正直、生まれてこの方恋人ができるなんて想像すらしていなかった。私一人生きていけるだけの金を稼ぎ、毎日パスタを茹で、激安ソースで腹を満たし、40歳位にこの世を去るのだろうと思っていた。が、今は長生きしたいと思ってしまっている。これは、わがままだろうか。

私は恋人を愛している。どこに行って何を見て誰と居ても、夜は暖かい毛布で眠り、暖かい飲み物を飲んで、美味しいものを食べて、生きていてくれればそれで良い。たまに、私の事を思い出してくれればいいと思う。そして1年に数度、帰ってきたくなるような場所になりたい。

好きとか嫌いとか恋とか、どうでも良い世界でたった2人きりになった老夫婦は、恐らく死別した所で何も変わらず、2人きりなのだろう。

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