(38)オンラインワークショップで、何をしようとしているのか1
「これからのワークショップ」を考えていく上で、特に子どもとのワークショップを考えていく上で、オンラインで行うことと対面で行うことは違うんだということを、改めて言うことでもないのですが、ちゃんと認識する必要があると最近特に感じてきました。それは、少し感染者数の少ない日々が続き、対面でのワークショップや授業を少しずつできるようになってきたからこそ感じられたのかもしれません。
そして「オンラインと対面の垣根をなくす努力をしよう」と考えていても、やはり分けて考えているという自分に気づいたからでもあります。
【38】-1 自分中心であることの割合の増加
私は「用意されたゲームも楽しいけれど、自分たちでルールを決めるなど最初からからつくりあげて行くゲームは楽しい。そこでは創造的になりクリアするだけではない充実感や達成感がある」と考えています。(このあたり気になる方はこちらをご覧下さい)
そのことは間違ってないですし(と思っていますし)、今でもそう思っているのですが、対面でワークショップができるようになり、「対面でのワークショップでは、良い意味でも悪い意味でも、一緒に活動する人を強く意識する」ということに改めて気づいた気がします(日本語がおかしいです。まだモヤモヤしている最中なのです)。
これまた当たり前のことを言っているのですが、自分の反省も含めて書くと、「一緒に活動する」ということを「分かってはいたけれどちゃんと認識していない、意識的に気をつけて活動していなかった」のだと今はふりかえります。
例えば、オンラインでは匿名でゲームなどに参加することができます。むしろ本名で参加する人はいないといっても良いかもしれません。そしてネット上で初めて出会った人とパーティーを組み、一緒に冒険したり遊んだり戦ったりすることができます。楽しい時を過ごしたり、強い敵をやっつけたり、充実した時間を送ることができます。
しかし一方で、その個人個人には「ゲーム」以外の共通点はなく、どうしても自分を優先します(優先することが100%悪いことではありませんが…)。自分の好きな時間にやるということ以外にも、例えば「以前プレイした時に一緒だったプレーヤーはこうだった。それがとても良かったのに、何で今回のプレーヤーはそうやってくれないんだ」とか「(別に決まっているわけではないのに)こうやるのがマナーなのに、どうしてマナーを守らないんだ!」と自分に照らし合わせて不満が高まってくることは珍しいことではないかもしれません。
不満を感じているだけなら良いのですが、「もうこんなやつ要らない」とパーティーから強制的に抜いてしまったり、もっとひどい場合には「お前、なんなの?」「いい加減にしろよ」(ここでは書きませんが、もっとひどい言葉も含め)のように、相手を罵倒することもあるかもしれません。
そのような経験が多い人はあまり気にしないかもしれませんが、初めての人や特に子どもなどは少なからずショックを受けるでしょう。私もショックです。「なんで会ったこともない人に、ここまで言われなくちゃいけないんだ…」と立ち直れなくなる可能性もあります。
オンラインゲームなどで相手を攻撃することが想像に難くないのは、例えばネットニュースなどのコメントで、自分と考えが違う意見があるだけならまだしも、相手を侮辱したり罵倒するようなもの、ニュースの内容とはまるで関係ないようなコメントも見かけることは少なくありません。オンラインゲームなどでも(私は詳しくはありませんが)そのような事が行われている可能性は低くはないと思います。
ネットは見えないこと、分からないことが多いので、どうしても自分を守ろうとする力が働きます。普段よりも自分中心に考える割合が増えているような気が私はするのです。防衛本能的には正しい行動とも言えます。
【38】-2 言葉以外で他者とやり取りすること
なので「自分たちでゲームを最初からつくっていく」というのは、例えば「だるまさんがころんだ」に多くのローカルルールがあるように、そこにいる人たちの合意があって初めて行われるもので、「自分の思った通りではない」というような齟齬が生まれ難いのです。
私のワークショップは「齟齬が生まれ難いということを目的にしているのではなく、意見の違いを認めつつも、どの方向に進んでいくかにおいて合意形成する」ことだとオンラインと対面のワークショップを両方やってみて、だんだんと浮き上がってきました。
オンラインの環境では、一緒に活動していて齟齬があれば、そこから離脱したり排除したりすることが簡単に行えます。一方で対面対面では、離脱したり排除したりすることは不可能ではありませんが、一瞬踏みとどまったり、改めて説明できる機会がオンラインよりも多いような気がします。
いろいろな説がありますが、ある人が他の人から情報を得る時に、つまり他の人とコミュニケーションを取ろうとする時に、言葉から受取る情報は10%〜35%位だそうです。この数字がどのように出てきたのかは分かりませんが、専門家ではない私が考えても、言葉の強弱やスピード、間の置き方のみならず、表情や身振り、視線、相手との距離などで大きく印象が変わるとは思います。
しかし、私にも経験がありますし皆さんにもあるかもしれませんが、メールやLINEなどのメッセージなどで、思っていることと全然違うように伝わってしまったり受取ったりすることがあります。もともと10%〜35%でしかなかったコミュニケーションツールでは伝えられないのは当然のとこですが、受取る相手にとってはそれが100%の情報になってしまっているところに、大きなギャップがあるのです。
逆に言葉よりも、写真やスタンプの方で伝える方が伝わることもあるというのは、誰にも経験はありませんか?
私のワークショップでも言葉を使わないゲームを時々やります。言葉をつかわないで伝えようとすると、逆に伝わることがあります。全身で表現したり、表情で伝えたり、言葉で伝わらない分「伝えたい」という気持ちが強くなるからかもしれません。そして何より、言葉をつかわないで伝えようとすることは、多かれ少なかれ楽しいことなのです。スタンプで伝えるのも楽しいのです。
書いてて気づきましたが(そもそも私がメールやメッセージなどで悪口をあまり書かないのですが)スタンプなどで悪口を伝えるというのは、なんか難しそうです。スタンプでケンカするのは、私には無理そうです。
【38】-3 対面の方が良いという理由(一周回ってなんとやら)
オンラインワークショップでも、私はグループ作業を行います。しかしこれまでは「グループ作業をする場をつくれば、対面のワークショップと同じようになんとかなるだろう」と考えていたところが少なからずあります。そう言って参加者に任せていた部分もあります。
しかしそれでは、表情などが見えたとしても、まだ50%くらいしか伝わっていないのかもしれません。伝えたいことの50%くらいしか自分のことを伝えられていないのであれば、同じような満足感が得られたとは言いがたいでしょう。
オンラインと対面とでは、100%同じようにいかないのは当たり前です。しかし一方で「近いことができる」と過信したり、「何か違う」と感じながらも見ないふりをしていたのかもしれません。「根本的な違いを見ないふりをして、曖昧に進行していただけではないか」という疑念が私の中に生まれてきたのです。冒頭に書いた
というのは、「他者とのコミュニケーションの伝達の違いを理解していなかったことに、感覚的には気づいていたけれど、明確に言語化できてはいなかった」ということです。
100%同じにならないのなら、なるべく近い状態に持っていくのも一つの方法ではあります。それをこれまではやっていました。ただ言葉だけを使うとか、ただ画面の前でちょっとしたパフォーマンスをするとか、そんなこととは違うことをやっていたという自負はあります。でも、もう一歩自分(こーた自身)のことを引いて見る、客観的に見ることで、ワークショップでやっていることは何なのか、ワークショップで生まれることはどういうことなのかをふりかえり、立ち返り、新しく構築していく必要があると感じ始めたのです。
オンラインと対面の違いを認め、どこに向かおうとしているのか、ワークショップで何をやろうとしているのか、という原点に立ち返りワークショップを構築する必要があるのではないかと、最近は考えています。
最初は、オンラインワークショップなんか無理!と思ってて、その後、いや、やれるはずだしやらねばならぬ!と思い、そして改めて対面のアドバンテージを感じていて、まさに一周回ってとはこのことか!という感じです。
※今回はまだ考えがまとまっていない(でも今書いておこう!)のと、続きがあるかもしれないということで、「オンラインワークショップで何をしようとしているのか1」としました。「2」はすぐに書くかもしれませんし、時間がかかるかもしれません。
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