月まで歩いて
俺は何も諦めていない。
J2昇格も、自分がメンバーに入ることも。
可能性が1%でもある限り。
皆さんは周りから無理だと言われたこと、
自分が無理だと思っていたことをやり遂げたことはあるだろうか。
自分の人生はその連続だ。
ジュニアユースでの3年間の最終評価としては、
ユース合格。
アカデミーからそのままトップチームに昇格することを目標に頑張っていた自分としては、階段をまたひとつ登れたことが本当に嬉しかった。
それまでチームの中心的な存在ではなかった自分は、まさか合格出来ると思っていなくて、だからこそその瞬間は驚きと嬉しい気持ちがあった。
無事にユースに受かって、
サッカー人生が上手くいってるって感覚だった。
その瞬間は。
実感が湧いてきた頃、ふと思った。
「なんか上手くいきすぎてる」
チームの中心でもないし、なにも貢献出来ていないのに。
そう思った時、自分が明確に思い描いていたはずの
ジュニア→ジュニアユース→ユース→トップ昇格
このルートがボヤけて見えなくなってしまった。
「自己評価よりも他者評価」の世界ではあるけれど、自分に納得のいかないまま、ユースの恵まれすぎている環境のなかでサッカーを続けていいんだろうか。
これが2つ目のnote(当たり前)にある、
「新しい環境にチャレンジしたい」の理由。
悩みに悩んだ末、ユース昇格を断り、
地元の仙台育英学園へ入学を決めた。
仙台育英に決めた大きな理由は以前触れたとおり
「次男の活躍」ですが、その他にも
・東北屈指の強豪校
・自宅から自転車で5分の距離
・特待生として入学できる
育英以外の選択肢はなかった。
色んな期待、希望を抱きながら入学。
今までのように、限られた人数で広々とサッカーができる環境はそこにはなかった。
約120人の部員が1つのピッチで練習する。
世間の皆が想像する、
「高体連」
がそこにはあった。
1年時はピッチの周りのアスファルトでのラントレが多く、本当にきつかった。
吐く人もいるくらい。
基礎体力はついたけど、ほぼ気持ちで走っていた。
ぼんやりと、プロサッカー選手になるために成長する時間が残りわずかだと感じていた自分は、基準タイムよりも早くゴールしようと意識してたし、タイムに入れない選手の背中を押しながら走ったりもした。
そのおかげで間違いなくタフさは身についた。
チームのスタイルは堅守速攻。
戦術はシンプルで、各ポジションで個の力が必要だった。
チームがCBに求める、競り合いとキック精度を徹底的に磨いた。
2年時には県内三冠(新人戦、高総体、選手権)を経験することができ、自信はどんどんついていった。
もちろんその記録は翌年の自分達にとって大きなプレッシャーになったし、
当時監督には「君らでは絶対無理よ」と言われていたけど、2年連続県内三冠。
重圧、不安、全てを跳ね除けた。
あの時の達成感と感動は一生忘れることはない。
選手権の県決勝では聖和学園と対戦した。
0-0で迎えた後半残り5分、失点。
スタジアムの皆がもう終わったと思っていたかもしれないけど、ピッチの中の選手は誰も諦めていなかった。
ラストワンプレーで同点に追いついた。
そのまま決着つかず、試合はPK戦で勝利した。
負けていても、苦しくても、
諦めなければなにかを起こせる。
綺麗事かもしれないけど、実際に肌で感じたからこそ自信を持って言葉にできる。
県内でこれだけの結果を残すことができたのは、
間違いなくメンバー外の選手達のおかげ。
例年なら1年生が応援を任せられていたけど、どの大会もスタンドから大きな声で応援していたのは3年生だった。
きつすぎる練習、しょっちゅう訪れる理不尽。
だらだら文句を言いながら片付けや雑用をこなして。
それでも皆がサッカーを本気でやっていたし、
どのカテゴリーの選手もひたむきにサッカーと向き合っていたからこそ、その光景があったんだと思う。
そんな最高の仲間に囲まれてサッカーができた3年間はとても幸せだった。
けど、プロサッカー選手を目指す自分にとっては、
ただの井の中の蛙でしかなかった。
「選手権を獲りたい」
当時はこの気持ちがモチベーションになっていた。
もちろんその結果、勝つ幸せをたくさん得られたけど、
あくまでそれは県内だけでの話。
全国での成績は、
インターハイは初戦敗退
選手権は二回戦敗退。
日本中のプロを目指すライバルたちと比べれば、
何も成し遂げていないに等しかった。
夏のインターハイ初戦敗退後、
監督からこんなことを言われた。
「お前がプロになるなんて、
歩いて月に行くようなものなんよ」
一生忘れない。
本当に悔しかった。
「絶対に見返す」
「月に行ってみせる」
その時そう強く思った。
当時は本当にムカついたし、
「まじでうぜえ!」
って思ったけど、
今思えば監督からの愛だったな、と。
5年で人は大人になるんですね。笑
結局、監督の言ったとおり高卒でプロになることはできなかった。
サッカー部の3年生を送る会、
全員の前で自分の親にひとり一言伝える場面があった。
「必ずプロになって恩返しします」
そう言った瞬間から、自分の夢が目標に変わった感覚を覚えている。
目先の結果ばかりを追い求めていた高校生活から、
4年間、「プロサッカー選手になる」というひとつの目標に向かって進み続ける大学生活の始まり。
大学生、一人暮らし、成人、自由、ありあまる時間。
そんな、どこに向かってしまってもおかしくない無重力のような環境のなか、
さあどうやって月に向かおうか.......
少し長くなってしまったので大学の話は次回!