学習を行い続ける,その精神はどこから来るか
本日一浪東大文系の高校の友人に会った.僕は思考するのが好きなので,周りともなかなか思考の深い話をしようと試み,大体は失敗に終わるのだが,その人は評判からして,話したら楽しそうだったので,本日話してみて,理論が哲学よりであり,保守よりだが,革新寄りの意見も理解できる,と言ったような印象を受けた.というのも,殆どディープに話したことがなかったのでそのような評価になった.
彼と話していた時にも結局僕の1番の最近の謎,解明すべきものは,「お前が何をしたいのか,何のために生きるのか」であり,したいことを言語化しようと試みると,「浪人時代でどん底を知り,這い上がり,そのための努力をし,その成果として,医学部に入学する.在学中に法学部の授業を受け,且つ司法試験予備試験に合格し,弁護士の資格を得る.」が,少なくとも直近の目標となっている.また,私としては,「医師となった後でも,医師として働く気はない」あくまで医師は手段として持ちたい.そして,一番今したいことは,「教育を変える.」ということで,保育園や幼稚園の拡充をし,定員に対し全ての幼稚園保育園が,70-80%程度となるようにしたいと考えている.なぜなら,保護者からすれば働くにしても,何か新しく学ぶにしても,子供を抱えながら,というのは大変厳しいのはいうまでもない.また,子供からすると,正直言って幼少期の時点である程度所謂地頭は決定されると思うし,実際にそのような研究があったように記憶している.そこについてはもちろん出馬の際調べるが,だとすれば,少なくとも,幼少期教育,特に,文化に触れる機会,忍耐力をつける機会,外で遊んでみる機会,数に触れ合う機会,日本の素晴らしい精神(茶道や譲り合いの精神などもそうだろう),そのようなものを習得することは大切であるし,実際に自分がこれまで会ってきた頭のいいと言われ,芯があり,且つ思考が滑らかで流動性のある,そのような優秀な人材というのは,突き詰めていくとその頃の時代のことが影響を与えていると思われることがよくあるのだ.
以上の観点から,また,経済的視点,すなわち保護者の働きやすさなど,から考察するに,幼稚園,保育園をいかに増やし,子供の教育と,親の子育てへの負担軽減をすることは,ある地域もしくは日本全体として取り組むべきことであると考える.
では財源をどうするのか.ここは専門分野でないし,素人考えになってしまうので,あくまで概論として書くが,
余剰金の炙り出し
無駄な経費の利用(経費を利用し切らないと来年の経費が減少する,と言った制度の改革)をなくすこと
利益が出ず,極めて公共性の存在しない事業
ふるさと納税等の推奨,促進
地域税等の税金の導入
これらのようなことを考えた.これ以外にも考えるべきことはたくさんあるだろうが,今回はここにとどめる.