会社が3歳になりまちた。目指せ100歳。
2017年7月12日に株式会社ぴんぴんころりを設立して3年になります。おめでたい!
と同時にもう3年も経ってしまったか〜という焦りも感じています。
前回、「次回は採用について書きます」と書いたのですが、すいません、嘘つきました。
今回は、会社(以降 略してぴんころ)設立から3年間、何をしていたか、時系列にまとめたいと思います。
◆2015年 ー 高齢者の就労支援という明確な夢が芽生える
まず、ぴんころは高齢者支援を目的として設立した会社ですが、いつから高齢者支援をしたかったかというと、6〜7年くらい前からだと思われる。
ある日、突然「そうだ!高齢者の支援しよう!」って思い立つわけではないから、ジワジワ〜とね。
はっきりと「高齢者の知見を活かした就労支援がしたい!」と思っていたのは5年前の2015年夏。ベストベンチャー100のカンファレンスに行ったとき。
サーキュレーションという、シニアの知見を活かした就労支援をしている会社が賞を取っていて、「私もこういう事業したいんだよな〜」と思ったのを強烈に覚えている。
今でもInstagramで見れますが、ベストベンチャー100カンファレンスに参加したときの投稿。
「私もいつか社会にお役に立てる経営者になりたい!」と書いていますね。
芸能界も中学校からの夢で、まだまだ頑張りたい気持ちもありましたが、高齢者の支援がしたいという想いが抑えきれなくなってきたのが2016年の年末年始頃。
◆2016年12月ぴんころがビジョンとして掲げる「アクティブシニアの孤独と貧困をなくす」というビジョンを明確に持つ。
2016年の11月8日、とある交流会で、岩崎さんという方に出会いました。
岩崎さんは、大企業の相談役などされているハイエンドシニア。
いくつかある名刺のうち、たまたま渡した名刺に、横浜国立大の文字があり、偶然、横浜国大の先輩後輩ということが発覚!
「この名刺を渡してなかったら、後輩ってことも分からなかったね〜。」
と。後輩ということで、気にかけてくださり、事業の相談に乗ってくださることに。
ここで種明かし。
私は、社会人経験がない世間知らずのため、有名な会社のことを知らなかったら大変失礼にあたると思い、事前にいらっしゃる方(20名くらい?)のリスト、会社やその方の経歴をリサーチし、岩崎さんが大学の先輩ということも実は知っていたのです…。(おい!)
ただ、「こいつ、めっちゃ調べてきてるやん。きも!!」と気持ち悪がられることを恐れ、当日、「偶然、横浜国大の先輩後輩と発覚する」という小芝居? よく言えば「演出」をしました。
事前にめっちゃ調べといて知らないふりしながら話を聞くというのは、インタビュアーの仕事で必須のスキルなのですが、ご縁結びに役立つので、ビジネスマンの方にもオススメです!
話を戻して、今メールを見返していると12月2日に岩崎さんに
「やりたいことが明確になってきました。アクティブシニアの孤独と貧しさをなくすアプリです。今度詳しくお話聞いてください。」
と送っています。
その事業の構想を聞いた岩崎さんは「高齢者のビジネスに興味がある投資家を今度紹介するよ。」と。
それが今、ぴんころの役員であり株主の加藤慎一郎さんでした。
加藤さんはUTグループという大手人材派遣会社の創業者で、上場まで導いた敏腕経営者です。
2017年1月27日に岩崎さんと加藤さんと加藤さんのパートナーの影山さん、4人で会議室でお会いして、事業の相談にのっていただきました。それから定期的に相談にのっていただいたりミーティングを重ねました。
その時私はまだ仲間もいなければプロダクトもなくて、あるのは熱意だけでした。(笑)
まだ、コンセプトくらいでプロダクトはできていなかったのですが、今思えばとても忙しいはずの偉い大人3名の方が、よくこんな小娘に付き合ってくださったなぁと…。
図太い性格でよかったです。
(うーん、丁寧に書いていると全然、進まない!!!まだ登記までたどり着けてない!)
◆2017年7月 株式会社ぴんぴんころり設立
それから、4月にSO-ZO時代の知り合いのツテで、今もぴんころメンバーの軍師的存在の工藤くんに出会い、会社の設立を手伝ってもらうことに。
6月にデジタルヘルスラボのアワードに出ることになり、その頃もまだこれといったプロダクトができてなかったのですが…
働きたいシニアと手伝ってほしい人をマッチングさせる「ねこのて」というビジネスアイデアで、7月25日にグランプリをいただきました。(デジハリ特待生で入学の資格をいただいた)
今の東京かあさんの素案となるようなロースキルのマッチングビジネスですね。
私は、プロダクトファーストで、登記は急がなくてもいいと思っていたのですが、加藤さんがしびれを切らし、「まずは登記(会社の設立)を早くしよう!24万でも自腹で登記したら、覚悟が決まるだろう!」と。
プレッシャーをかけられ(笑)、プロダクトがまだないままに登記。
2017年7月12日に(株)ぴんぴんころり、爆誕!(?)
◆2018年2月 ー 「ユニプラ」をローンチ
2018年下半期は50歳以上のスキルシェア「ユニプラ」を、影山さんにシステム手伝ってもらい、未だ仲間がいないまま、ほぼ一人でつくり
2019年2月にサービスローンチ。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000031655.html
スポットコンサル「ビザスク」や、「ココナラ」的なサービスです。
しかし、、、2ヶ月くらいで私はこのサービスをピボットすることを決めました。
(は、早すぎる決断…!笑)
工藤くんには、「最低でも1年くらいやらないと可能性あるかどうか分からない」と言われて、もっともなご意見なんですが…
ビジネスとしては成り立つけど、自分のやりたいこととのズレを感じたんですね。ピボットに関しては、長くなるので割愛。いつか機会あれば書きます。
簡単に書くと…
加藤さんはビジョナリーカンパニーの達人的な経営者なのですがビジョナリーカンパニーの考え方は
・「情熱をもってとりくめるもの」
・「自社が世界一になれる部分」
・「経済的原動力となるもの」
この3つが重なっているところじゃないといけない。と教わりました。
このうちの、情熱を持って走り続けられない!と思ったのが原因です。
◆2018年夏 ー 地獄の日々
起業家にとって1番辛いのは、やることが見つからないときです。
やることが決まれば、あとは走るのみ!だから。
ユニプラをやめることは決めても、次に何をしようか決まっていませんでした。
工藤くんと、プレスリリースを見て共感してメンバーになったHさんと3人で、アイデアを何十個も出し合いどうしようか話し合う日々が続きました。
なかなかこれ!といったものが決まらず、進まないことがかなり辛かったです…。
迷走するぴんころを見かねた加藤さん。
社員の方にも声をかけてもらい、3時間くらいガッツリとブレストの時間をつくってくれました。
そこで「おせっかいな家事代行」という東京かあさんの元になるサービスができたのです!!!じゃじゃーん。
◆2018年秋〜冬 ー 東京かあさん PoC段階でスタート
やることが見つかればあとは、走るだけ!
東京かあさんの概念検証、ニーズ検証のためPoC(Proof of Concept)で友達ベースでスタート。
ある程度手応えを感じて、年末には正式リリースを決めていました。
問題は、実務をするスタッフ、社員がいないこと。いちおう芸能人である私が、会社の電話を出たり、お客さんの家に訪問したりするのは、事務所にも問題あり、マネージャーさんにも申し訳なさすぎる。
例えば、電話でラジオに出演する際は、私の個人の携帯番号を知られないように、マネージャーさんが私の家までわざわざ、通話用の携帯を渡しに来てくれていました。
起業家はけっこう泥臭く現場で手足動かしながら情報収集や検証をするので、芸能人という立場で、起業家としての仕事をする難しさを感じました。
現場の実務をしてくれるスタッフが見つかるまでサービスローンチはできない。
1月2月は「あ〜早くサービス正式にスタートしたいな〜」と待ち遠しかったです。
無事、4月から社員が入社してくれることが決まり、2019年3月末 おせっかいなご家庭サポート「東京かあさん」ローンチ!!!
それから全力で走り続けて、社員も3名になり、今に至ります。
おしまい。(笑)
(急に後半、展開が早くなった。最初だけ丁寧にストーリーすすんで最後駆け足で終わる漫画みたいだ。)
PoC段階では、お母さんの数もまだ10名に満たず、懇親会は私の自宅で、クリスマス会をしました。
1年半がたち、今では200名を超えるお母さんが登録してくださり、お客さんもお陰様で、少しずつ増えております!(*^^*)
まだまだ3歳、赤ちゃんみたいな会社ですが、100歳目指してがんばります。
まずは、上場まで駆け抜けるぞ〜!!!
書いていて、改めて思ったのが「人との出会いって大事よね〜」(ため息)
人は城、人は石垣、人は堀ですね…(by武田信玄)