土地公有化と司馬遼太郎 | 人口減少社会を考える不動産屋
司馬史観と高度経済成長~1人社長の広告代理店
土地は公有化すべき、と言われたらあなたはどういうふうに感じるでしょうか。「それは共産主義では」と思う人が多いでしょうか。私も最初はそのように思いました。
しかしながら、五十嵐敬喜『土地は誰のものか 人口減少時代の所有と利用』(岩波新書)を読んで、あの司馬遼太郎が土地公有論を唱えていたことを知ってとても驚きました。
司馬遼太郎といえば、歴史小説を多く発表し、たくさんの人に読まれてきた国民的な作家です。
特に明治維新から近代化を描いた『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』などを通じて描かれた歴史観は『司馬史観』と呼ばれて、実際とは異なると批判されることもあります。
いずれにしても、日本だけではなく中国の歴史などについてもリサーチを行い、たくさんの小説を書いて人々を楽しませてきたわけですから、さまざまな評価があるのは仕方ないでしょう。ただ言えるのは、司馬は学者ではなく作家なので、史実と異なるところがあってもそれはそれという気がします。
私も短絡的に、司馬遼太郎の小説を読んで影響された人たちが、高度成長やバブルの拝金主義をつくってきたのではないかと、ぼんやり考えてきました。
天も水も公有なのに大地は…~1人社長の広告代理店
話が逸れましたが、その司馬史観のためか、どちらかというと左側の人たちから批判めいたことを言われがちな司馬遼太郎が「土地公有論とは!」と思うと同時に、日本や周辺諸国の歴史について調べてきた人がなぜそう考えるに至ったかということにとても興味が湧きました。
対談集『土地と日本人』(中公文庫)では、司馬が各界の著名人と土地問題を核に、それぞれの専門分野を絡めつつ、幅広く語り合っているものです。野坂昭如もいれば、松下幸之助もいるという感じですが、誰も概ね、その土地公有論に理解を示しています。
戦後の都市部における人口の急激な増加や、1964年(昭和39年)の東京オリンピックにかかるインフラ整備の必要性を機に、山林や農地をどんどん開発して土地を宅地化、分譲するという動きが活発になっていきます。
ちなみに農地は都道府県知事や指定市町村の許可が必要で、そう簡単に転用することはできません。それは昔も今も同じです。
天も水も公有物なのに、大地が小さく切り刻まれて投機対象になることによってもたらされる倫理の崩壊。司馬は対談集の中で、今や農家の人が大根を作っているのは誇りなどではなく、その畑の地価がもっと上昇するまでの時間つぶしでしかないといった趣旨の憂いを述べています。
「保管だけ頼まれているんや、いつでもお返しします」~1人社長の広告代理店
私もこれからの人口減少社会、たやすいことではないけれど、土地の公有化は方向性としては悪くないと思います。所有者不明土地や空き家の問題など、その流れで解決が容易になることはあるでしょう。
とはいうものの、いきなりお上から大枚はたいて買った土地を召し上げられるというのは納得がいかないのは当然です。
だから、松下幸之助がこの対談で述べているように「土地は私有財産として認められるが、しかしほかの私有財産とは違う。土地だけは公有性のあるものやから、土地は自分のものであって自分のものでない、保管だけ頼まれているんや、いつでもお返しします、返さないかんものやという意識を国民は持っておかないかんですわ」というくらいの気持ちは持つべきだと感じています。
バブルより10年前の対談集だということに驚愕する~1人社長の広告代理店
私は、あの司馬遼太郎が土地公有論を唱えていたことに驚いたと述べました。そして、この『土地と日本人』を読んでさらにびっくりしたことがあります。それは、この本に収録されている対談、すべて1975(昭和50)年~76(昭和51)年に行われているという点です。
そう、まだあのバブル景気よりも10年前に、もうこれほどの憂いを持っていたのかということにとても驚きを覚えました。(驚いてばっかり)。この後、土地にまつわるもっと“エグい”ことがそこらじゅうで発生するわけですから。
また、この対談からすぐ後の1977(昭和52)年~79(昭和54)年は、年間35万戸前後という、分譲住宅史上、最も着工が多い時期に突入します。
もしも土地を公有化したら、誰が誰にどの土地をあてがうことを決めるのか。今度は新たな権力が発生するのは目に見えています。また、対談集にもありますが、行政の人員配置も大変なことになりそうです。