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昔の情熱にはかなわないけれど | ミニカーが好きな不動産屋

地方の古びたおもちゃ屋さんの片隅にあるお宝~東村山の不動産会社

「人生に迷ったら子どもへ帰れ」という記事を書きました。

本当に自分がやりたいことや好きなことというのは、大人になるほどわからなくなると感じるのは私だけではないと思います。大人になると仕事でも趣味でも、お金を稼ぐためとか世間的な体裁のためとかいう気持ちが介入してきます。

(「人生に迷ったら子どもへ帰れ」より)

私は子どもの頃、ミニカーに夢中でした。出会いはまだ物心つかない、2歳とか3歳くらいのときです。その後、小学3年生(1984年)になって押し入れにしまってあった幼児の頃に遊んだミニカーを手にして、収集魂に火がつきます。
 
95%がトミカです。最初はどこのおもちゃ屋さんでも入手できる現行モデルをせっせと集めていましたが、だんだん販売が終了した絶版モデルに手を出すようになります。
 
1970年に誕生したトミカですから、その頃はすでに約15年の歴史を重ねていて、絶版モデルもたくさん発生していました。実車のモデルチェンジに合わせて、ミニカーもモデルチェンジするわけです。
 
とはいうものの、今ほどコレクション市場が形成されていて、世界中にコレクターがたくさんいるような時代ではありません。今では専門ショップでプレミア価格で販売されているようなモデルが地方の古びたおもちゃ屋さんの片隅で当時の定価320円で売られていました。

ファミコンブームの時代に我が道を行く~東村山の不動産会社

いま考えれば、夢のような時代です。子どもですから、移動距離や使える金額は知れているのですが、お小遣いやお年玉を握りしめて、電車に乗って古びたおもちゃ屋さんを巡ったものです。
 
その時代は空前のファミコンブーム。ファミコンには目もくれず、ミニカーに熱中する私は周囲からは変わり者と見られていました。
 
初めて行ったお店で店内を探しても、トミカの販売ケースが見当たらないおもちゃ屋さんがありました。

お店のおじさんに訊くと、申し訳なさそうに「あるけど古いものばっかりだよ」と言い、目立たない場所から引っ張り出したダンボール箱は宝の山だった、なんてこともありました。
 
中学生になって、大相撲の資料収集や音楽が好きになってからは、急激にミニカー熱は冷めてしまいました。その後、収納スペースの奥に眠り続けた300台超のミニカーを20歳の頃、ミニカーの専門ショップに売却しました。
 
お金が欲しかったこともあったのですが、こういうものはいま夢中になっている人の手元にあるべきだと考えたからでした。私は自分のコレクションの価値をわかっていたので熱が冷めても、小さな子どものおもちゃとして欲しがる人には、絶対に譲りませんでした。
 
そして、またマイペースでミニカーを楽しむようになったのが10年前くらいだったでしょうか。それでも、昔の情熱にはかないませんが。

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