オンライな生活は疲れる
私の通っている大学は前期いっぱいオンライン授業である。オンライン授業になりさまざまなことが変わった。以前のような生活ができず、生活スタイルが崩れた。しかも、オンライン授業が始まってから早1ヶ月経とうとしている今も、新たな生活スタイルを築けていない。特に変わったことは、1日中家にいるということだ。ずっと家にいることは意外としんどいし、ストレスがたまる。では、「外で作業すればよいのでは」という人もいるだろう。しかし、後で述べるように筆者の生活環境では、なかなか外で作業することは難しい。
緊急事態宣言は解除されたが、生活はもうしばらく元にもどりそうはない。オンラインな生活はどのようにすれば快適になるのだろうか。
そもそも、外出が気軽にできるようになれば、ストレスは改善できるのか?
気軽に外出できるようになれば、Wi-Fiスポットで授業や課題を受けることが可能になる。本当にそうだろうか?身近なWi-Fiスポットといえば、マクドナルドやスターバックスなどが挙げられる。ただ毎日行けるお金があるわけでもないし、1日中同じ店にいるわけにもいかない。他には、市や町の図書館に行くという方法もある。レポートの参考文献を探すことができるし、先生が講義でふれた本を探すこともできる。一見すると、勉強するための場所として申し分ないように思える。しかし、根本的な問題としてWi-Fi環境が弱い点が挙げられる。私が住んでいる地域の公共図書館は、Wi-Fi利用は30分の制限時間があり、1日4回しか接続できない。これだと、1コマ受けるのが限界だ(すべての図書館がこうではないだろう。あくまでも筆者の最寄りの図書館の話である)。そもそも、30分に1回接続が切れるという環境では、とても講義を受けるなんてことはできない。
結局コロナが収束し外に気軽に行けるようになっても、講義と課題は家でしなければならないのである。
家での作業効率を上げる
では、どうすれば家で快適に授業や課題こなせるのだろうか。筆者が家で作業する場所は自分の部屋である(実家に住まわせてもらっているため)。だから、この自分の部屋の快適性を上げることが作業効率アップにつながる。長時間座っていても疲れないイスや大きなモニターを導入すれば、作業を快適にすることができるだろう。これらの導入は大きな効果があるだろが、根本的な問題を解決していない。それは自分の部屋が、寝室でもあり、勉強部屋でもあり、漫画や小説などを置いているリラックスするための場所でもあるということだ。複数の機能がひとつの部屋に押し込められているのである。これを改善することは難しい。普通の家には自分専用に「ここは、勉強部屋」「ここは、寝室」「ここは、○○」と分けられるほどの部屋数はないからだ。このことから、家での作業は意外と難しいのではないかと思う。
これまで述べてきたことから、外で作業するにせよ家で作業するにせよ、さまざまな課題があることがわかった。学ぶための場であるから当然といえば当然であるが、大学は学びの環境が非常に整った場所だったと今さらながら気づかせられる。「講義は全てオンラインで物理的なキャンパスは必要ないのでは」という意見もあるが、「多くの人にとって物理的なキャンパスに行く以上に集中できる環境を気軽に入手することは難しいのでは」と筆者は感じている。
オンラインな生活ならではの疲れ
仮に、授業を受けられる環境が家もしくは家以外に整ったとしても、ずっとパソコンの画面を見続ける作業は疲れるという問題がある。普段の講義なら、大きな黒板の前に先生が立っている。黒板と先生を捉えようとすると、目が一点に集中することはない。オンライン講義は先生の顔(定点映像)とパワーポイントを別の画面で映すことが多い。普段の講義なら先生たちは教壇を動き回っていたり、癖のような動き(所作)がある。しかし、オンライン授業は定点映像のため動きがない。この定点映像により、視線が固定され続けますます目が疲れる。筆者は、定点映像ならば音声だけの講義のほうが集中できるような気がする。
先生方の負担は大きくなるだろうが、普段の授業をそのまま撮って配信してくれることを願っている(いわゆる、予備校の映像授業のスタイル)。
*先生方のために言っておくと、私が通っている大学はキャンパスへの立ち入りが禁止されている。これにより、普段どおりの授業スタイルを撮影することは不可能である。
おわりに
オンラインな生活を当たり前にするためには、まだもう少し時代が追いつく必要があると思った。講義映像の収録もしくはLIVE配信の仕方は、時間とともに洗練されていくだろう(ツールの使い方の問題に過ぎないので)。しかし、オンラインな生活を実現するための環境はまだまだ整っていないように思える。それにオンラインな場所は単に増えるだけでは意味がない。集中できるオンラインな場所でなければならないのだ。そのように考えると、物理的なキャンパスの存在はまだ必要な気がする。
*本稿は、2020年5月末に発表されたものを、加筆・修正したものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?