予兆 -First Resonance-
異常検知システム「CASSIOPEIA」が最初の警告を発したとき、風間律は研究室の温度が0.2度上昇したことを感じていた。
「律さん、パターン解析の結果が出ました」
佐々木陽太の声が、23.4度に設定された室内を横切る。彼の指先が空中ディスプレイをスワイプする音が、微かに聞こえた。新型の空調システムから送り出される風が、律の後頸部を掠める。
「表示して」
簡潔な一言で、壁面に投影された巨大なデータマトリクスが浮かび上がった。青から赤へと遷移するヒートマップが、異常の存在を示している。しかし、その異常はまるで意思を持つかのように、パターンを形成していた。
律は無意識に左手の薬指に触れた。そこには、妹と同じデザインの指輪が、体温で暖められていた。
(これは...)
直感が全身を貫いた。科学者としての理性は、その直感を否定しようとする。しかし、5年前のあの日以来、彼女の「予感」が外れたことは一度もなかった。
「佐々木君、量子暗号通信の状態は?」
「安定しています。Q値は0.98、盗聴の痕跡もありません」
陽太の返答は正確だった。しかし律の不安は消えない。むしろ、その完璧な数値そのものが、彼女の警戒心を強めていた。
壁面のディスプレイに新たなウィンドウが開き、深山誠司からのメッセージが表示される。
『至急、75階の研究室に来てほしい。浅見博士が何か発見したようだ』
スマートビルの環境制御システムが、微細な気圧の変化を調整している。律はその変化を皮膚で感じながら、ホログラムキーボードに応答を入力した。
『了解。今向かいます』
建物を縦断するエレベーターに乗り込みながら、律は再び指輪に目を向けた。5年前、テロで失った双子の妹、風間リサ。時間物理学の研究者として、彼女は何かを見つけていた。そして、それがクロスフィールドの標的となった理由なのかもしれない。
防音設計された特殊ガラスの向こうに広がる東京の街並みが、夕暮れに染まっていく。建物の自動調光システムが、室内の照度を徐々に上げていった。
(リサ...私に何を伝えようとしていたの?)
エレベーターは、量子暗号で保護された通信を交わしながら、75階へと上昇を続けた。律の胸の内で、科学者としての冷静な分析と、双子の妹として感じる得体の知れない不安が、静かに渦を巻いていた。