【第4話】我が王のサナギ
レナード王子が、国中の医者から不治の病と診断された頃、我が王は藁にもすがる想いで様々な人物を城に招いた。
国内に異国の医者が滞在していると知れば、すぐに使いをやって城に呼んだ。薬草に詳しい植物学者、神父、呪術師、祈祷師、魔術師や、異教の僧であっても城に招いて丁重に歓待した。彼らと会うたびに、我が王はぬか喜びと落胆を繰り返し、王子の病状は日を追うごとに悪くなっていった。
ある日、我が王は、王子と仲の良かった少女アストリドを思い出した。彼女は身寄りのない異国出身の少女で、学校にも行かず、山中の質素な小屋に暮らしているという話であった。
レナード王子はアストリドをよく城に招き入れて遊んでいた。
私は、子どもとはいえ、異国の者をむやみに城に入れたり、ましてや王子と遊ばせることをよく思わなかった者の一人だ。しかし、彼女は孤児であり、また、異国人とは思えないほど非常に礼儀正しく、王家の者の前での振る舞いは、感心するほど見事であった。
そんなこともあり、彼女は私をはじめ、城の者とも簡単に打ち解けた。
アストリドは少なくとも自身が異国人であることや、レナード王子との身分の違いについても十分な自覚がある。私が最も安心したのはこの点だった。
王子が異国の少女と結ばれる。
皮肉なことに、レナード王子の病状がいよいよ悪化したころ、私はようやくこの杞憂から解放されたといっていい。
王子は日増しに眠っている時間が長くなっていた。
起きていても、夢と現実の判断が付いていない時もあり、うわ言で学校の教師の名前などを呼んだりすることもあった。
レナード王子の友人が何回か見舞いに来たこともあったが、この頃は殆ど会話にならず、そんなとき訪れた子どもたちは、顔を見合わせて苦笑することもあった。死にゆく我が子と、人生を無遠慮に謳歌する子どもたち。我が王はそんな光景を見るのが何よりもお辛いようだった。
これまでもそうであったように、礼儀正しいアストリドは、自ら城にやってきて王子に会わせて欲しいなどと言ったりはしない。
王子はこの頃、うわごとのようにアストリドの名を口にした。
我が王は彼女のことを思い出し、王としてアストリドを招くことにしたのだった。
アストリドをレナード王子の寝室に案内すると、王子は目を覚まし、仰向けに寝たままアストリドを見つめた。もはや王子は息が苦しそうであったが、時折笑みをみせることもあり、久々に楽しい時間を過ごしているようだった。それを見ていた我が王も久しぶりに表情が緩んだ。
「アストリドよ。遠慮はいらぬ。もっと頻繁に城に来て、レナードに会ってやってくれ」
「只ならぬご配慮、身に余る光栄でございます」
アストリドは礼を述べたのち、目を閉じると体を僅かに私の方に向けつつ、美しい絹包みを王に向け差し出した。実に優雅な仕草だ。王と私、双方への礼儀を完璧に心得ている。
私がそれを取り次ごうとすると、我が王は私を制し、異例にも少女の前に自ら進み出てそれを受け取った。
その後、我が王は数回アストリドを城に招こうとしたが、連絡がつかなかった。
しばらく経ったある寒い朝、レナード王子は10歳の短い生涯を閉じた。
司祭がレナード王子の埋葬計画を王に説明すると、我が王は、実に穏やかな態度でそれを拒否した。あまりにも穏やかな態度であったために、司祭は計画を否定されたことにしばらく気づかなかったほどだ。
我が王は、その場で自ら計画書を修正し、司祭に返した。
・王子の遺体は王が預かり、防腐処理を施した上で王の間に保管する
・上記の措置は全て王が自らの責任で行うものとする
・葬儀、墓所の選定、その他儀礼等は司祭の当初計画案どおり実施するが、防腐処理等の都合上、遺体を公衆の面前に晒す必要がある儀礼については、極力日程の前半に集めること
当然、私も驚いたが、王族の遺体を保存する例は外国ではそれなりに多く、亡き王女を愛するあまり遺体を保管している異国の王の話は、民の間でも有名だった。防腐処理も身内である王家の者が行うことが多いという。
司祭にもこういった知識があったのか、特に反対はしなかった。
もっとも、司祭は王子の葬儀を一世一代の大舞台と意気込んでいる様子で、自分の出番や演出のことばかり考えていたようであるが。
王子の死後間もなく、今ではレナード蝶として知られているオオコガネチョウがアストリドの父によって作出された。
絶滅寸前であった元祖のオオコガネチョウに似せて作られ、いつの間にか置き換わったこの蝶に対する違和感は民の間で今も残っている。
「昔のオオコガネチョウはもっと綺麗だったんだ。こう、本当に金色でね」
という老人もいたが、レナード蝶という俗名の普及もあって、それは間もなく人々の記憶から忘れ去られそうである。
アストリドが王に献上した絹包みには、煙草の木箱と、小さく折りたたまれた手紙、そして、巻貝のような形をした、サナギとほぼ同じ大きさのアンプルが入っていた。木箱の中には煙草ではなく、蝶のサナギが18匹、アンプルにはごく微量の青く光る液体が封入されていた。
激しく降り続く雨の音で眠れぬまま深夜を迎えた王は、王の間に一本だけ蝋燭を灯した。かつて王が熱心に収集した絵画や調度品が赤黒く空間に浮かび上がる。天蓋の付いたベッド、天使がラッパを吹いている彫像、東洋の刀剣。王子を失った今、そんなものが何になろう。
王は床板を外し、王子の亡骸の入った樽の蓋を開けると、直ちに腐臭が鼻を突いた。それでもまだ往年の姿を留めている王子の顔を見ると、王はまだ新鮮な、深い悲しみに襲われた。王子の頬は紫色に変色しているが、まだ幼く張りのある形を保っている。その頬を触ると、あまりにも硬く、冷たかった。
雷雨の音を頼りに、王子に呼びかけながらひとしきり泣くと、ようやく気分が落ち着いた。
王は注意深くアンプルを折り、仄暗いこの部屋の中で秘かに輝く液体を、王子の豊かな金髪に振りかけた。すると、その液体は煙を立て、髪を焦がすように溶かしながら、直ちに頭皮、頭蓋|《ずがい》を突き抜け脳に達した。
手紙にも注意書があったとおり、この液体の扱いを間違えると大けがをしそうだ。
アンプルの液体は王子の身体を溶かしながらかさを増し、王子の顎から漏れ出して、胸や腕に伝わった。間もなく身体のあちこちが蕩け出した。
樽の底に褐色の液体が溜まり始め、遺体そのものの腐臭とは種類の異なる、刺激のある鋭利な臭気が漂ってきた。胎児のように手足を折り曲げた姿勢の王子は、間もなく樽底に沈むように消え、そこに半透明の褐色の液体が残った。王はしばし呆然とその様子を眺めていた。骨も歯も髪も残らない、こんな薬品があるとは知らなかった。
9匹のサナギをメスで切り開き、白く粘り気のあるその中身を木のスプーンでこそげ取るようにすくい、樽の縁にスプーンの柄をを叩きつけるようにして、液体の中に入れた。柄杓で攪拌すると液体はすぐに白濁し、これまでとはまた異なる、腐った魚と豚小屋の匂いが混ざったような強烈な悪臭がした。吐き気と眩暈に悩まされたが、王はそれをこらえ、液体となった王子をほんの少し注射器で吸い上げ、残った9匹のサナギに規定量ずつ注入した。
王はいよいよ耐えられなくなり、王の間の窓を開け放つと、そこから上半身を出して嘔吐し、何度か粗い息をしながら咽た。
雨は既に止み、中庭の池は冷たく輝く早春の月を映し光っていた。
王妃がこの王の行いを知ったのはこの頃である。しばらく彼女は王と別居し、兄である隣王の下で暮らすことになった。
少女アストリドは妖精である。
絹包みに入っていた手紙を読んだ王はそのように理解した。科学者である彼女の父はこの国に住んでおり、存命であるらしい。少女を孤児だと思っていた王は、アストリドの素性にまつわる驚きよりも、あの少女が孤児でないことに安堵した。
王に詳細は理解できなかったが、アストリドの父は、レナード王子の遺伝子を保管することで、王子の情報を保存し未来に伝え、いつかこの世界に復活させることができるという。どうやらアストリドはそのようにして生み出された「妖精」であるらしい。
アストリドの父によって、王子の遺伝子を収集するのに最適化した装置が既に設計・制作されており、それこそが、この木箱の中のサナギであるという。王子の遺伝子情報は、この蝶のゲノムの余剰部分に取得されるという。
小さな文字がびっしりと詰め込まれた手紙を、王は虫眼鏡で読みすすめた。手順書には、
「我らの偉大な王のお許しが賜れるのであれば」といったような、科学的な内容にそぐわない堅苦しい単語が、頻繁に添えられている。
王はその文言を読み飛ばしながら手順を読み漁り、サナギを枝に接着する糊などを準備した。
なお、孵化させるサナギはたった9匹であったため、当面は植木鉢に枯れ枝を刺したものを枝盆とすることにした。
サナギはできるだけ日に当て、雨に弱いので濡れたら清潔な綿で水分を直ちに拭う必要があるという。王は忠実にそれらを守り、誰の介入も許さなかった。
初年は7匹の蝶が孵化した。王はその様子を喜びと悲しみ、期待と不安、冒涜的狂熱をもって眺めた。
翌年の早春、王は自ら中庭でオオコガネチョウのサナギを探した。色や背中にある突起の数など、見分けるポイントはアストリドの手紙に細かく書かれているので困難はなかった。サナギを捕獲し、昨年同様に生きているサナギのうち半分の中身を樽に混ぜ、その液を残りの生きたサナギに注入する。
以降、王は毎年この作業を繰り返すことになった。
やがて蝶の生息範囲は城の外にまで広がった。王にとって最も困難なのはサナギ探しであった。中庭を探す分には然程の問題はなかったが、王が城外に出かけるとなると手続きや制約が多い。まず、どんな些細な外出であっても随行責任者の任命が必要で、責任者に任命された者は、事前に当日の行程や警備体制をまとめた計画書を作成し、城の者に共有しなくてはならない。
王は蝶好きとして名高い、領主の息子ピエールの噂を聞き、サナギの採集を彼に任せることにしたのだった。
さらに数年後の満月の夜のこと、手紙に予告されていたとおり、中庭に蝶人形が現れた。
無害なものであると説明されてはいたものの、王は恐怖でその人形の姿をなかなか受け入れることができなかった。
それでも王は蝶人形に誘われ、中庭に向かった。太鼓橋のかかった池で、王は、アストリドの父が夥しい数の蝶を食う光景を見た。
王は卒倒するのを辛うじて堪えながらそれを眺め、自身が邪悪な怪物に操られていると感じ、激しい嫌悪感に見舞われた。
アストリド父子に裏切られた。信用した自分が愚かだった。王は当初そのように考え悩んだが、その感情は、すべて怪物の醜悪さを根拠としていることも自覚しつつあった。
あの忌まわしき蝶人形が現れ、彼を形どっていた蝶が次々と怪物の口に飛び込み、その怪物は何の必要があるのか髭をバチンバチンと鞭のように周囲にたたきつけながらそれを咀嚼していく。そんな悍ましい様子を、わざわざ夜中に自分に見せる意図は何なのだろうか。
もしも、あの怪物が善であるならば、レナード王子が間もなく復活することを自分に知らせるためではないだろうか。王は手紙を何度も読み返した。やはりあれはアストリドの父による遺伝子の回収なのではないか。怪物は鯉のように無心に蝶をバクバクと食っていたが・・・王は少しだけ希望も持つようになった。
しかし、レナード王子は一向に現れない。
王の身分では探しに出かけることもできないし、それを相談できる人物は城の中にはいなかった。
「ピエールよ、最近妙な噂を耳にするのだ。レナードに似たこどもが国内にいるという。くだらない噂とは思っているが、やはり親としては、そこまで似ているというのなら、ぜひ会ってみたいものだ。もしも見かけたらぜひ教えて欲しい」
と書いた手紙を入れた煙草の箱を、先日褒美としてピエールに与えた。
しかし、やはりレナードと思しき人物は見つからなかった。
たとえレナードと同じ人間がこの世に誕生したところで、もはや彼の記憶はなく、自分のことも父とは思うまい。果たしてそのような人物を発見したところで意味があるだろうか。王はそのようにも考えたが、ひょうっとしたら、今この瞬間にも、この世のどこかに王子と同じ身体を持つ子どもがいることを座視できない想いもあった。
王は、今後も蝶を育てることにした。
それは王とピエールだけでなく、ピエールがひそかに恋心を抱いていた王女と彼との絆も結んだ。
それはやはり、レナードのはからいなのかもしれない。(第5話に続く)
<各話リスト>
第1話:https://note.com/kohetsu/n/na624c244e467
第2話:https://note.com/kohetsu/n/nb5839dfc1ebd
第3話:https://note.com/kohetsu/n/n2daadd09e953
第5話:https://note.com/kohetsu/n/nfc7148fdc59c
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