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【エッセイ】残業嫌いの役員

 私は残業が嫌いだ。もう大っ嫌い。
 定時を過ぎたら1秒でも早く帰り、好きなことをしたいと思っているし、それが私の権利だと信じている。

 私は2024年3月現在52歳。妻子あり。一応5000人規模の会社の役員である。あまりこういうことを言うのも何なのだが、これから語るような生き方をしている割には、同期の中では出世が一番早い。
 これは本当に謎なのだ。絶対に謙遜ではない。私にはのし上がるほどの実力もないのだ。

 自慢ではないが、私に愛社精神というのは1mmもない。単位がmmで良いのかは不明だが。
 会社のイベントにも「強制」でない限りは参加しない。

 繰り返すが、私は残業が嫌いだ。
 周囲を見る限り、管理職になった人間は残業がどうのとかはあまり考えず、会社に貢献しようとするようだ。
 私の持ち合わせない力学で彼らは働いているのは明らかで、つまり、会社と一蓮托生という気概をもって、自分の人生や家族を支えている会社を積極的に維持し、成長させようとしているのだろう。これは勿論、一面では美しい態度かもしれない。

 そういう点で言えば、私はいまだにアルバイト感覚で仕事をしているのかもしれない。

 私は会社に労働力を提供し、その見返りを得ている。労務を提供する時間は8時間。そう決まっているはずで、それを超える場合は「やむを得ないとき」だけだ。そういう感覚で今もいる。

 残業以上に嫌いなのであまり見ないが、たまにyahoo知恵袋をみると
「残業したくない私は異常でしょうか?」
 という質問に対し、
「あなたは甘い」
 といったような辛辣な答えが返ってきているようだ。彼らが言うのは、

「社会人はバイトとは違う。あなたは会社に貢献する主体でなければならない。しばらく働くとその自覚ができる」

というようなロジックだ。

 本当だろうか?

 私には同調圧力に飲まれた人間の意見にしか聞こえない。

労働とその対価という雇用の話を、別の話に美化しているように聞こえるのだ。
 まぁ、管理職としてみれば、こういう理屈に心酔している人物は使いやすいといえば使いやすい。知恵袋まで出張って他人に説教するのだから。

 きっとこの手の人は、古代では残虐な王の側近として活躍しただろうし、中世ヨーロッパではムチをふるって労働者の心魂が尽きるまで働かせ続けた優秀な役人であったろう。

 結局のところこういう、支配者側の理論に与しやすい・使われやすいタイプの人物が権力を持って、組織を統括するという図式によって社会というのは成り立っているように思える。

 イギリスやアメリカのような個人主義社会ではどうか知らないが、日本というのはやはり、よくも悪しくもムラ社会であり、こういう支配関係はさらに家族のような組織を作り出す。

 大勢に反する意見や、はみ出し者を厳しくとがめ、よく言えばアットホームな、悪く言えば公私混同した職場環境を作り出そうとするのだろう。

 私も勿論日本人だが、基本的にこういうのが大嫌いな性質なのである。

 勿論、多くの職場で残業しなければならない場面は必ずあるだろうし、そのすべて悪だとは言わない。
 ちょっと頑張れば達成できる目標や、明日までに仕上げなきゃいけない資料だってあるだろう。
 私はシステム管理の業務も携わったが、ああいう職場では残業が嫌なんて言ってられないのも事実だ(実際その時は嫌だ嫌だ言ってたが。きっと謎の管理職だったろう)。

 問題は、そうでもない残業である。

 対して意味のない残業というのは本当に多い。
 夕方定時頃に始まる会議。こういうは大抵、会議メンバーのスケジュールがそこしか空いてないからということで行われる場合が多い。書類で回せば済むようなことも、慣行の会議ではそうさせない厳しくギラギラした先輩がいて、そうさせてくれない。みたいなね。

 定時を過ぎた会議でダラダラ雑談する。
 私はこういうのが最も嫌いだ。その雑談が自分自身にとって楽しくてもだ。
 楽しくない人がいる以上は無神経な行為だと思ってしまうし、今の会議で指摘された資料の修正とか、このあと仕事をしなくちゃいけない人だっているのだ。

「さ、時間も時間だし切り上げましょう。君も資料修正したら早く帰ってね」

 こういう言葉を相手の顔色見ずにを言えるようになったのは、正直45歳を過ぎてからだ。

 いくじなしですまん。みんな

#残業嫌い
#提示で帰りたい
#エッセイ

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