2019年は覚悟を決める準備をする年だった。2020年は、フリーとして挑戦する年。
2019年は、フリーでやっていこうと、覚悟を決める準備の年だった。覚悟を決めるにあたって、まず2018年のじぶんから紐解いておきたい。
次を決めずに、とりあえず会社を辞めた。
2018年6月に、勤めていた会社を辞めた。会社を辞めた理由は、詳しくは言わないが、じぶんの今までの仕事の姿勢ややりたい事に疑問を持ち始めていたのと、職場の居心地がよくなかったからだ。
次の勤め先は決まっていなかった。正直、決めるつもりはなかった。辞める前・直後に、いろんな方から、「次の仕事先は決まっているの?」とよく聞かれた。
本当に心配して聞いてくる人もいれば、興味本位で聞いてくる人、様々だった。ある時には、飲み会まで開いてくれて、普段会わない知り合いが、フェイスブックを通して、集まってくれた。その時も、「次の仕事先は決まっているの?」と聞かれた。
他にも、「決まってないなら、うちに来ない?」と数年ぶりに、かつての上司から連絡がきた事もあった(丁寧にお断りした)。
この時期は、とにかく次の仕事先を考える余裕や気力はなかった。ただただ、一旦会社勤めや仕事から解放されて、ヒトリになりたかった。あとは、気の向くままに行動したかった。
以前からやりたいと思っていた事をやったり、予定のなかった急な誘いや、たまたま知って興味を持ったイベントに参加した。
ほぼ、たのしむためだけに短期アルバイトもした。お金目的で関わっていなかったが、結果的に相手のご厚意で手当をもらえるようなアルバイトも経験した。
それから、家族や会社とは違う、サードプレイスと称されるオンラインコミュニティ(コルクラボ)にも入ってみた。
会社を辞める前から、漠然と「編集者になりたい」という想いがあった。だから、動機としては不純かもしれないが、コミュニティを主催していた、コルクの編集者・佐渡島庸平氏から、編集について学べないかという下心を持っていた。
元出版者の編集者で、クリエイターのエージェント会社を起業した背景のある彼の書いた著書、「ぼくらの仮説が世界をつくる」、「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜」を読んで、「編集者」という言葉、「編集」という行為が、出版業界だけで使われるものではないと思った。
いろんな業界、職種、日々の私生活(経営、マーケティング、チームビルディング、ものづくり、過ごし方など)にも、編集行為は当てはめられるなぁ、想像力が膨らんで、いいなぁとワクワクしたのを覚えている。
人は、常に情報を「集めて、削る、並べ替える、補足する」という編集行為をしている。情報は、もの、人、事、アイデアなど、あらゆる対象に当てはめる事できる。切り口や視点を変えて編集したものは、人をたのしませる、人の役に立つ、すなわち人に影響を与えるコンテンツになる。
編集行為は、僕にとって魅力的なアウトプットだ。編集行為を頭の中でするのは、たのしい、だからアウトプットできたら、もっと、たのしいんじゃないかなと考えている。そして、僕が疑問に思っていた、じぶんの仕事の姿勢や、やりたい事を見直す事にも、つながると思った。
また、彼の主催している、一見何をしているか謎だったコルクラボにも興味があった。ここに入ったら、ワクワクするものがあるんだろうなぁと勝手に思い込んでいた。
実際オンラインコミュニティに入ってみると、家族や仕事にはない関係性がそこにはあって、新鮮な人間関係を感じる事ができた。年齢、職種、業界は多様性に富んでいて、僕が今まで目にした事のない光景が、そこにはあった。
平日働いている時間にどこかに遊びに行ったり、仕事帰りにブックカフェやメンバーの紹介で使えるスペースで、イベントの準備をしたり、雑談したり、とにかく自由。手当たり次第、コミュニティメンバーが主催するイベントに興味本位で顔を出した。
仕事ではないけど、時に仕事っぽい遊びもあれば、単に遊んでいるだけの時もあった。コルクラボ文化祭に関わった時は、仕事っぽいけど、本気で、もてなす側として、僕は来場者と雑談をして、たのしんでいた。
多少の負荷の掛かったイベントで、仕事っぽいと思った事が何度かあったが、お金はもらっていない。そもそもお金をもらう意識がなかった。
ある時、いつもお願いしている美容師さんに、これらの体験を話題に出した時、ピンと来ない表情をされた事があった(僕の伝え方がうまくなかったのもあるかもしれないが)。
この時、僕が今関わってる場所って、側からみたら、怪しい場所、イメージが湧きづらい場所なのかもなぁと感じた。人によっては、宗教っぽいと思う人もいるかもしれない。久しぶりに会う友人に、このオンラインコミュニティについて、説明する時は、いつも困った。
コミュニティの中で出会った人たちの考え方や行動に触れたり、じぶんが体験して、感じた事、思った事、考えた事、決めた事を通して、内省する時間が以前よりも増えた。
じぶんの好きなもの、嫌いなものが何で、何が得意なのか苦手なのか、じぶんはどうありたいかを、具体的に考えるようになった。探すようになった。同時に、じぶんに嘘をつきたくないと思うようになった。
そういう過程を経て、少しずつ、じぶんの中で変化が起きた。会社をつくりたいとか、フリーでやっていこうとか、副業しながら仕事をするとか、以前は、考えた事もないような、将来のイメージが芽生え始めてきていた。
2019年、そろそろ働きたい、 じぶんとお金について考える。
2019年春から、そろそろ働きたいという気持ちが出てきて、就職活動をはじめた。預金口座の残高を見る限り、しばらく働かなくてもやっていける金額は残っていた一方、日に日に減っていく通帳の金額を見ると、少なからず将来に不安を覚えていた。
残った期間の失業保険手当も受けながら、預金が増えては減っていくのを、数ヶ月繰り返していた。
会社に勤めていた頃は、毎月お金が入る事が当たり前だと思っていた。しかし、いざ会社を辞めて、ただ貯金を切り崩して生きていく現状を目の当たりにして、じぶんとお金のあり方を考えるようになった。
お金が安定して入る事への安心感がなくなった今、お金をただ貯めるのではなくて、何に使うのが、じぶんにとっていいのか、より考えるようになった。
じぶんに嘘をつかない先にある、人間関係とは。
就職活動は、就職アプリの面談システムを使ってみた。まず履歴書や職務経歴書を書いて、会社に送るというやり方ではなく、興味のある会社の人と採用面接前に直接会って、じぶんの事を話したり、会社のビジョンや考えを聞くのだ。5社ほど受けてみた。
内省量が増えていたので、じぶんはこうありたいっていう考えは具体的には出てきていた。人事担当の方に、その考えを伝えると、微妙な顔をされた事がよくあった。アプリであげていたプロフィールには、嘘は書いていないし、誇張した事も書いたつもりがなかった。面談の際、稼ぎたいよりも、どうありたいか、何をしたいかを優先して話していた。けれども、反応が芳しくなかった。
企業は僕の個人的な事ではなくて、僕の職歴を見て何ができる人間なのかで、会ってくれているのだ。だから、先方が求めるのは、どれくらいの金額で、何ができる人間なのか、あくまでも企業が用意する環境や待遇の中で、あなたは、どうしたいのかだった。昔のじぶんだったら、企業の傾向にあわせて、別の自分をつくっていた。かつての、大学の就職活動時期のじぶんが過ぎる。
企業からスカウトメールをもらったりすると、つい、じぶんは選ばれた人間なのだと勘違いをしてしまう、自惚れがあった。でも、面談をして感じるのは、ほとんどの会社は、人がとにかく足りない、余裕がない印象を受けた。会社の自己紹介やスカウトメールの内容と面談で得た感触にギャップを感じた。
ただ、全部の面談がダメだったわけではなかった。1社だけ、面談をしてみて、会社紹介で書いてある内容と、面談で話した感触と、ほぼズレがなかった。また、何よりも面談してくれた方(経営者)の人柄がいいなぁと感じた。
会社紹介も、その方が自分の言葉で書いていた。面談時には、調子のいい事を言わずに、淡々と、会社の説明をしてくれた。雑談もした。また、現状分からない事は分からないと正直に答えてくれた。
結果、定期採用募集の枠には選考から落ちたが、「アルバイトならあります」という事で、引き受けた。実際、そのアルバイトを引き受けるにあたって、会社の事情や案件の内容を詳しく教えてくれて、「どうせなら、アルバイトではなく業務委託でトライアルでがっつり関わってみませんか?」という話になった。
金額の交渉や働き方も、かなり柔軟に対応してくれた。面談の最初の質問が、「上田さんは、どういう働き方をしたいですか?」だった。新鮮だった。少なくとも、今まで面談を受けた会社では、そんな質問をされた事がなかった(もしかしたら、世間では、当たり前で、単にじぶんが世間知らずだけだったかもしれないが)。
はじめてのフリーの仕事、その心構えと覚悟について考える。
一方で、働き方が自由な分、個人の責任や実行力は、暗黙の上では、問われているなぁと相手(経営者)の言葉の節々から伝わってきた。緊張感が生まれた。話し合った結果、ある新規事業の企画と立ち上げのサポートに関わる事になった。
事業が成立すれば、編集者としてコンテンツ制作にも関わる可能性も出てきた。ただし、数ヶ月の働きで、どこまで事業として成立できるか、そもそも事業の方向性として流れはいいのか(ニーズがあるのか)を判断しなければいけないような案件だった。やってみないと分からない。泡沫だった。
約2ヵ月間に渡り、企画の提案先の候補出し、営業メール・電話・DM(ダイレクトメール)をしたり、色々試してみた。結果、1社事業の提案先を見つけて、そこの担当者と話をするところまでは、行き着いた。
経営者の方と一緒に、提案先の担当者と話をした。感触として、素人ながら思ったのは、提案先(提案先含めた業界)へのニーズがなさそうなのと、コンセプトの切り口を変えた方がいいと思った。
トライアル期間を経て、僕の仕事はここで、ひとまず終わった。引き続き、企画を続けるか否かは、経営者に預ける事になった。唯一、未練が残るとしたら、提案先の数を増やせなかった事だ。これは、トライアルの期間の中で、じぶんの行動力不足だと痛感した。どこかで、なめていたのだ。
フリーで、もし掛け持ちで仕事を受けた時、果たして1案件に対して、ベストを尽くせるのか、僕の中で課題が生まれた。フリーとして、最初関わるなら、1案件に対して全力を注いで、まずは結果を出す事だ。たぶん、今のじぶんには、それが、あってるんじゃないかと思い始めた、信頼をつくっていく上で。
2019年の10月から、コミュニティメンバーからの紹介で、半年間の業務委託の案件の仕事に本格的に着手するはずだったが、クライアントの諸事情により、その話は流れた。内心はしょうがないと思いつつ、期待を強く持ってしまった、じぶんに腹が立った。
フリーで約束された仕事は、絶対はない事を痛感した。会社にいた時は、上司や企画営業部の方が、何かしら仕事を常に用意してくれていたので、仕事がないという状況には、ならなかった。
僕が進もうとしている先は、自由であり、不自由でもあり、不安と緊張が付きまとう、退屈はしないけど、ワクワクがある、でも先が見えない、泡沫の世界だ。
会社にいた時は、会社がある程度、進むビジョンを示してくれたのでラクだった。会社の枠内なら、簡単に不平不満も言えてしまう。責任がないからだ。セルフマネージメント力、じぶんの軸のようなものや、ある種の楽観性を持っておかないと、この世界では、生きていけないなぁと実感。ゾクゾクしてきた。
同時に思い知ったのは、以前仕事でフリーの方と、よく仕事をする機会があったが、フリーの方がどういう立場で、会社と付き合っていたかを、分かっていなかった事だった。会社側の目線で、僕は彼らと接していたのだ。フリーの方の立場を分かったふりをして、接していたのだ。分かっていなかった。感覚的に、それが今回分かった気がする(まだ、分からないところがある)。この感覚を、今後言語化していきたい。
フリーと無職の狭間、仕事ではない本づくり。
2019年10月以降、また無職になったので、一旦仕事につく事から、また距離を置いた。6月から制作がスタートした、11月頭完成予定の『居心地の1丁目1番地』という本を、コミュニティのメンバーと一緒につくっていたので、そちらに時間を割くようにした。
このプロジェクトは、仕事ではなかった。だから、お金は発生しない。じぶんが、やりたくて関わっていた。追い込み時は、ほぼ仕事に近いレベルの意識になっていた。
たぶん、仮に仕事をしながら関わっていたら、任してもらえた(自分がやると言った)役割は、コミットできなかったと思う(なので、結果的に10月の仕事は流れてよかったと安堵している)。ちゃんとセルフマネージメントとしながら、チームの協力を得られなければ、仕事との掛け持ちは難しかったと、今なら確実に言える。
対外要素が強いプロジェクト(印刷会社、クラウドファンディング、梱包配送など)だったので、「責任」と「コミュニティの看板」みたいなものが、コミットする上で、じぶんの頭の中で、チラつくように、だんだんなっていた。
仕事ではない本づくりだから、多少手を抜いてもと思うかもしれないが、それはできなかった、いや、したくなかった。
取材記事で外部の方に多く関わってもらっていた。本のデザインも、外部のデザインコミュニティの方と密に日々やりとりしていた。クラウドファンディングでお金をたくさん集めて贅沢につくらせてもらっていた。届くのを待っている人がいた。そして、本という形に残るものを、僕らはつくっていた。
僕の生真面目な性質が、すごく出てしまって、いい加減な気持ちには、なれなかった。本気でやらなかったら、本を受け取ってもらう相手に本気でないのが、バレると思った。下手すると、僕や関わったメンバーの信頼も失う事になるかもしれない。
最後は、スケジュールと時間で区切りをつけざる終えなかったが、じぶんができる事はしようと思った。でも、じぶんができる事以上に身の丈にあわない負荷はかけたくなかった(じぶんがやりたいなら別で、そういう場合は、じぶんがまず動いた)あと、必要以上に周りに負荷をかけたくはなかった(頼るなら、それなりの覚悟と誠意を持ちたかった、それらがなかったら、単なる甘えになってしまうかもしれない)だって、仕事ではないからだ。仕事の関係値だったら、お金という縛りで、簡単に要求ができてしまうが、そういう本づくりではなかった。
今回は、チームとして、つくっている本を、どうしたいかの意識共有が必要だったが、それができていなかった。個人のやりたいだけが、バラバラに動いていた。結果的に、みんな、それぞれ「1人で作っていた感」は出てしまっていたと感じた。なんとか本はできた。失敗も、たくさんした。課題も色々生まれた。過程も結果も混ぜ合わせると、本当に不思議な本をつくった。
この本作りの過程については、今後振り返りは続けていくつもりだ。コミュニティで本をつくるというのは、会社で本をつくるよりも、ハードルが高いと思う。「自由」だけれども、「責任の捉え方」や「関わる姿勢」が多様な分、不自由とも言える。お金の発生しないフリー同士で集まってつくる本ともとれる。とにかく型がなくて、自由なのだ。型がないから、不自由なのだ。
コミュニティの本づくりの構造上、リーダーはいるが、会社のように管理する人がいない、基本みんなで、フォローしあう仕組みになっている。関わる人それぞれが、役割を見つけて、自分たちができる事をやるのだ。
できる事には、やりたい・挑戦も含まれる。誤解がないように言っておくと、やった事がある、経験があるだけが、できる事ではないと、僕は考えている。やった事がないけど、「できるかもしれない」「手探りでやれば、なんとかなるかもしれない」も、できる事に含まれると思う。ただし、「関わる動機」が重要になる。
少なからず「関わる動機」について、じぶんの考えは持っておいた方がいい事だ(すぐに答えが出なくてもいい、考え続ける事に意味があるし、正解はないと思う)。
それは、つよさとなって、誰かの支えになる事がある。チームへの信頼にもつながる。逆に持っておかないと、自分がつらくなってしまって、居心地が悪くなる。なぜチームに関わっているのか、見失う。状況や誰かのせいにしたくなる。そして、たのしくなくなる。
この仕事ではない本づくりの経験は、フリーで、チームで、本をつくる時の考える材料をいっぱい残してくれた。
2020年、挑戦する年、不安とワクワク。
2020年は、挑戦する年になる。じぶんができる事8割とやりたい事2割が混ざるようなイメージで見ている。
できる事8割には、「できるかもしれない」「なんとかなるかもしれない」「分からない」もたくさん含まれている。不安もワクワクも。
やりたい事2割には、僕が会社を辞めてから、じぶんで決めて行動して得た失敗が、散りばめられている。欠けらを集めながら、素人編集者としての挑戦が含まれている。
会社に勤めていた時に、心の片隅に、思い描いていた、やりたい構想があった。夢というよりかは、「その構想が実現したら、いいよね、今の抱えてる問題が少し解決できて、喜ぶ人が増えるかもね」ぐらいの話。
その構想を思いついた時、当時一緒に働いていた業界のスタッフに話したら、「そんなの無理だよ」と言われた。「本当に、そうかなぁ」と思いながら、それから、5〜6年経った。
僕は、まだ諦めていなかった。なぜなら、その構想をやっていた人たちを、少なからず知っていたからだ。当時僕がいた環境では、それができなかった。会社の組織の都合や業界の常識にがんじがらめだったからだ。
会社で、その構想をやろうという前提で考えていたのだ。会社を辞めて、実行する度胸はなかった。偉くなれば、できるだろうぐらいな気持ちだった。
今回、ご縁があって、挑戦するための、チャンスをもらう事ができた。今のテクノロジーや世の中の流れのタイミングなら、構想の実現ができると思っている。同時、クライアントとクライアントの先のお客さんに喜んでもらえる事にもつながるイメージが湧き始めている。
何よりも、関わる案件の内容が気に入っている。関わってもらう人の現在の価値観や仕事の姿勢が、プロジェクトを、さらに加速させてくれるはずだ。
詳しくは、まだ言えないが、実現に向けて、足場を整えたり、試してみたり、手探りで進めていく事になるだろう。失敗もたくさんするだろう。期待値が高すぎて、ぬか喜びにならないよう、油断しないようにしたい。
今はちょっと、肩に力が入るぐらいがいいかもしれない。とにかく、本気で行動だ。行き詰まったら、その時考えよう。
最後に、描くビジョンについて。
最後に、僕が実現する過程で、描きたいビジョンみたいなものがあって、途中だが、言語化してみた。フリーで活動する上での、軸みたいなものだ。
クリエイターをサポートしたい。
クリエイターが創り出す価値を最大化させたい。
お客さんに、驚きとたのしみと喜びを、届けたい。
お客さんに、いい時間と場を、プレゼントしたい。
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ここまで、読んでくれてありがとうございます。
安定して退屈するより、不安はありますが、ドキドキワクワクする方が、人生はたのしいと、きっと思います。
サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。