横尾忠則の絵を見て感じたこと。
よくわからないし、時に不愉快に怖いと思わされるけど、惹かれる。
秋といえば芸術の秋、という考えがあったわけでもないが、先日、兵庫県の横尾忠則現代美術館で開催されている展覧会に行ってきた。
今年の9/15から催されている展覧会「横尾忠則 在庫一掃大放出展」だ。
横尾忠則が描いた絵の中で、過去この美術館で展示されていない作品を見ることができる。特に描いた時期や作品ジャンルやテーマは問わず、様々な作品が並んでいた。
平日のせいか来場者もまばらで、作品をじっくり静かに見ることができた。一部の作品を除いて、写真撮影はOKだった。
会場内は、大きいサイズの作品が展示されていて、作品の横にタイトルと彼の作品に対してのメモ書きが貼ってあった。正直メモを読んでも、わかるようなわからないような、モヤっとした内容だった。
正直、よくわからない。
展示されていた作品を見て、心の中でそう思った。
ぼくは芸術と呼ばれている作品の良し悪しはわからないし、知識や教養はあまりない。だから、今回彼の作品を見ても、イマイチよくわからないものが多くて、正直なところ物珍しさで作品を鑑賞していた。
▲大阪滞在中にはじめて買ったベレー帽があったので、思いつきで、帽子をかぶって、鑑賞してみた。
彼の作品に興味を持ったのは、たまたま、ほぼ日刊イトイ新聞で紹介されていた彼の著書「アホになる修行 横尾忠則言葉集」に基づいた対談特集の記事を読んだのがきっかけだ。
考えるとは何?、自然体とは何?、猫という存在、不完全とは?など、当時のぼくがいろいろ頭の中でモヤモヤと思っていたことが語られていて、彼の描く作品を実際に生で見てみたくなった。
展覧会に訪れる前に、インターネットで彼の過去作品の画像を見て、
気持ち悪くなった
のを覚えている。
確か首をつった男性の絵だった。背景の色使いが赤と青など発光色が強くて目がチカチカして、ずっと見てたら眩暈を覚えた。なんだこの不愉快な作品は。他作品を見ても、何を意味しているかよくわからないのがほとんどだった。
でも、気になってしまった。
今回の展覧会の絵の中で、感覚的に迫ってくる訴えてくる作品が数点あって、不思議と心惹かれるものだった。
道が二つに別れている絵。
骸骨の頭部or不気味な顔がたくさん書かれた絵(展示された彼の作品には、いたるところに骸骨の頭部が描かれている)
黒ベルベットの墓の絵。
創世記の絵。
死を連想させる絵ばかりだ。実際に「I was dead」と文字で書いてある作品もあった。気味悪く、不気味で怖いと思ってしまった一方、惹かれるものがあった。
なんだろうこのモヤモヤさせる気持ちは。時に不愉快に感じ、考えてもしょうがないなと思わされるこの感覚。死について、じぶんも時々考えているせいだろうか。
帰りに彼の過去作品のポストカードを5枚買った。
1枚目は、今回の展覧会の宣伝で使われているたくさん「SALE」と描かれた作品のキービジュアル。
2枚目は、横尾忠則の横顔の過去ポスター。
3枚目は、夏目漱石の絵が書かれた過去ポスター。
4枚目は、道が二つに別れている道路。
そして5枚目が、私が見て気持ち悪くなった、首をつった男性の絵。
過去、他人の絵を見て気持ち悪くなったり、不快になったりすることはあまりなかったかもしれない。
今回、それだけの衝撃をじぶんの中に残してくれた作品と、描いた人物に興味を少しそそられる。
そう考えると今回の彼の展覧会を見ることができたのは、よかったのかもしれない。
行ってよかった。