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秋と夏の境目。季節と情景の変わり目。

秋と夏の境目って、いつ気づくのだろう。いや、そもそも明確な境目はあるのか。

9/10の月曜日に、東京で夕方から雨が降った。途中から土砂降り。サンダルを履いていた足の地肌にダイレクトに雨の温度が伝わってくる。生暖かい。仕事帰りの妻と合流して、2人とも傘をさしながらも、下半身ずぶ濡れで、家路についた。

もしかしたら、この雨が秋の到来だったのではないだろうか。具体的な根拠はないが、この雨を堺に、夏と違って目に見える情景や五感を刺激する環境が変わったのは事実だ。

気温が久しぶりに25〜30度の範囲に落ち着き、涼しくなった。

夏場に長袖シャツの袖を折り曲げて腕から肘まで肌を露出していたが、手首まで袖を戻してボタンを閉じるようになった。

スタバに行ってオーダーをする時は、歩いたせいで少し汗ばんでいたから、アイスのスターバックスラテを頼んだが、飲み終わる頃には体が冷え切っていて、ホットにしておけばよかったと思った。

夏場は大丈夫だったのにね。体が冷え切ったぼくに、タイムリーに店員さんが試飲用にホットのプレスコーヒーを配ってくれた時は嬉しかった。

プレスコーヒーをもらったタイミングは、もう夕暮れで店の周りはブルーと黒に染まり、外が少し冷たいイメージなのに対して、店内はオレンジが灯り、少しほっとさせる。

媒体の感触が変わったといえば、ひとつ驚いたのが、SNSからも秋を感じることはできるということだ。SNSを見ていて、秋っぽいなとハッとさせられたことがあった。音の変化だ。漫画家でイラストレーターのながしまひろみさんのTwitterで、虫の音の「リーリーリー」の音声が投稿されていた。

聞いてみて、秋を感じさせる。偶然にも、じぶんの自宅の周りも同じ「リーリーリー」と鈴虫(たぶん)が鳴いていて、妙に落ち着く。

秋だなぁ。

音による秋を感じさせるものって、今まで気づかなかったし、意識していなかったなぁ。これは、発見だった。

シーズンで考えたら、音楽なんかもあると思うんだけど、クリスマスシーズンほどにパッと秋という曲は思いつかない。特に「これが秋の音楽だ」というのはじぶんには今のところ思い当たらない。

人によっては、秋を思い起こさせる特有の曲というのがあると思う。その曲がお店で流れたら、「秋だ!」って思う人もいるかもしれない。それで、ぼくは良いと思う。タイトルに秋がついてるから、秋とかそういうことではない。

あらためて夏と秋の境目について考えて思うのは、人間が意図的にシーズンを盛り上げるものについては興味を持てなくなってきている気がするということ。

カフェで提供される秋限定メニューより、アイスコーヒーで体が冷え切ってホットが欲しくなって秋を感じるように。メディアが秋といえばこの曲だと紹介するより、秋にならなければ聞けない虫の音に秋を感じるように。

それは、ある「虚構」に興味を持つ持たないの話とも言えるのかもしれない。とはいえ、興味を持っていなくても、結果的には無意識に「虚構」の風習に身を投じることになるのだと思う。

逆に、勝手に、予定調和でない流れで盛り上がっているものについては、興味がある。それは本質は普遍的なものだけど、ある時代からみたら新しいと感じるもの。

もう少し時間が経てば、紅葉とか、さんまとか、いかにも秋っていうビジュアルでわかりやすい自然の変化や食べ物が出てきて、秋満喫中となるのだけれど、それはだいぶ秋が訪れてからのことだと思う。

夏と秋の変わり目・境目を感じる瞬間は、人それぞれだと思うのだけれど、その人個人だけの「秋がきた!」があれば、聞いてみたいなぁ。

#日刊かきあつめ #秋といえば #情景

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上田浩平/コンテンツ編集者
サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。