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『演技と身体』Vol.15 表情について② 技術編

表情について② 技術編

※色々と勉強している中で、本記事の内容の一部が微妙に間違っている事に気が付きました。顔の筋肉の構成についてのあたりです。言いたいことの雰囲気としてはそんなに変わらないのですが、一応ご注意してお読みください。後日修正します。


内臓から動かせ

前回の記事では、表情というものに対する考えを述べたが今回は技術的な部分に立ち入ってみたいと思う。
前回述べた通り、表情というのは感情の表象であるというよりも感情の一番外側(先端)の部分であるというのが僕の考えだ。であるならば、物を動かすときに外側(先端)を動かすよりも内側(根幹)を動かす方が遥かに安定的で強い力を引き出せる。そして、感情の根幹とは何か。内臓である
すると、表情を動かすとき、ただ顔の筋肉を動かすのではなくその根幹たる内臓ごと動かすべきだということが言える。顔の筋肉はエラが退行してできた筋肉であり、その意味でも表情の根幹は内臓にある。
もちろん、内臓というのは不随意筋という意識的には動かせない筋肉なので、これはイメージの話ではある。しかし、感情が動く時、内臓もまた動いているのだとしたら、その動きを感じ取りそこに表情を乗せるということは可能なのではないだろうか。

下層から動かせ

物を動かすなら根幹の方から動かすべしということは先ほども述べたが、顔の筋肉の中にも表層の筋肉と下層の筋肉があるようだ。
まず、思い切り何か表情を作ってみよう。
その時、どこの筋肉が動いているだろうか。

顔の表層にある筋肉

下手くそな絵で恐縮であるが、上に載せた図の色で塗った部分は、眉間筋や大頰骨筋など、顔の表層の筋肉である。ニコッと笑った時に頬を引き上げたり、眉をひそめる時に眉間にシワを作るのがこれらの筋肉だ。
多くの人は表情を動かそうとする時、これらの表層の筋肉を動かそうとする。これらの筋肉は大きく動くのでわかりやすいし、日常レベルでの意思表示としては多いに役に立つ。しかし、演技の際にこうした表層の筋肉だけで表現をしようとすると、どうしても嘘臭さが残るし、大きく動きがちであるがために細かい表現には不向きな筋肉でもある。
そこで、重要なのはまず下層にある筋肉で全体の印象を作ることだ。

顔の下層の筋肉

図の色で塗った部分が下層の筋肉だ。
人の顔の印象をまず作っているのはこれらの筋肉なのだと思う。
例えば、目の下から口に向かって縦に伸びている口角挙筋を動かすことによって頬と鼻の間が少し開くのだが、ここが閉じたままだといくら頬を吊り上げて笑って見せても「目が笑っていない」という印象になる。逆にここが開いていると、大きく笑って見せなくとも柔和な印象を作ることができる。
これらの筋肉は大きく動かせるものではないが、顔に占める面積が大きく、微妙な印象を作るのに適しているだけでなく、表層の筋肉の動きを支える働きもする。もしかしたらうまく動かせるようになるには少し練習が必要かもしれないが、その辺については是非ワークショップに参加してもらいたい。
まず簡単にまとめると、これらの筋肉を使って顔を全体的に外に向かって開くようにすると明るい印象となり、閉じるようにすると暗い印象となる。
これは演技の時だけでなく、普段人と接する時にも是非気をつけたい(と強く自戒しておく)。

矛盾させろ

さて、ここまで説明した表情の性質をさらに応用させてみよう。
ジャック・ニコルソンの独特の表情は一度観たら忘れられない強い印象がある。もちろん、表層の筋肉の驚異的な制御がなされていてこそなのだが、よく観察してみると、全体的には笑っていて顔が開いている時でも、下層にある口角挙筋(目の下から口に向かって縦に伸びる下層筋)と側頭筋(耳の上あたり、頭の側面の筋肉)だけがグッと閉じているのがわかる。すると、どんなに笑っていても目に宿る暗さが強調されて、心の奥底に狂気が燃えているような印象をもたらす。
このように下層の筋肉の閉じ/開きを組み合わせて表情に矛盾を含ませることで、かなり複雑な表現が可能となる
能面や仏像はこうした表情の矛盾によって奥深さを生み出している。
能面は常に同じ表情であるはずなのに、光のあたり具合や役者の動きによって様々な感情を映し出す。能面の表情というのは微妙である一つの感情というのが決め難い。こうした表情をさして「中間表情」と言われることもあるが、つまり表情の中に矛盾があるということなのだと思う。
仏像も同様である。口元は微かに笑っているように見えるが目は厳しかったり寂しげであったりと、一つの言葉に収束しえない深遠な表情である。だからこそ、仏像は見る人の心を映し出し、ある時は慈悲深く、またある時は厳かに見えるのだろう。
人間の感情も本来は一つの言葉に収束するような単純な物ではなく、様々な想いの入り混じった混合体なのである。そうした言葉にしえない混合体としての感情の矛盾をそのまま表情として伝えられるようにする技術が下層筋の矛盾的組み合わせなのである。

初めは抑えめにしろ

表情は豊かであれば良いというものでもないのが難しい。映像でも舞台でも、演技には常に観客がおり、観客がついて来れないうちに役者が表情豊かに感情を出すとかえって観客は白けてしまうことがある。
再び能面を引き合いに出そう。
観世寿夫は、能面は観客の批判をかわす効果があるのではないかと言っている。つまり、観客は役者の側の“見せてやろう”という意識を嫌うものなので、むしろ能面に観客が自由に感情を投影させた方がよく心に響くというのである。また、劇作家・評論家の山崎正和は、能面という“異物”を乗りこなす過程を役者と観客が共有することによって、両者が劇空間に入り込むことが可能になるのだと述べている。
これを映像・演劇に応用させると、物語の序盤やシーンの始めは表情を抑えて演じるのが良いと言えそうだ。いきなり表情を大きく動かして役者が感情を観客に押し付けることのないようにして、観客と足並みを揃えて一緒に感情の中へと入っていく。それには自分の視点(我見)に溺れずに、観客の視点(離見)から自分を眺めること(離見の見)が必要だが、そのことについてはまた別の機会に話そうと思う。

身体との位置関係で決まる色

青い絵具を塗った隣に緑を塗った場合とピンクを塗った場合では、同じ青でも印象や意味が大きく違う。色はそれ自体の持つ色だけでなく、隣り合わせた色との関係によって意味が決定されるのである。
同様に表情の与える印象というのもまた表情それ自体のみによって決まるものではない。それは常に身体との関係によって違いを生む
単純な例としては同じ表情でも首を突き出すのと引っ込めるのとでは表情の持つ意味合いも全然違うものとなる。改めて言いたいのは、表情は感情の先端ではあるが一部でしかなく、表情だけで表現をしようとすることは表面的であるということだ。常に感情全体を考える中で自然と表情が決まるべきなのだと思う。

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