『演技と身体』番外編2 舞台「相対性家族」 高山康平(作・演出・美術)セルフインタビュー
舞台「相対性家族」 高山康平(作・演出・美術)セルフインタビュー
今回は、いよいよ目前に迫った舞台「相対性家族」のテーマについてセルフインタビュー形式でお話しします。
あくまで作品の背後にある考えを述べたもので、ストーリーとは直接は関係ないと思います。なので、あえてややこしく考えたい人のための記事であり、観劇に当たって読んでおく必要は特にないです。あと、ネタバレというほどではないですが、ちょっとストーリーのヒントになってしまう内容があるかもしれません。観劇後に読むと、作品の解釈が広がるかもしれません。
タイトルについて
-まず「相対性家族」というタイトルの意味を聞いてもよいですか?
はい。“相対性”という語は「相対性理論」からきています。つまり時間についてのお話です。それから“家族”はそのまま家族の話という意味ですね。
−相対性理論ですか。なんだか難しそうですね。
変わった作品ではありますが、難しい話ではないですよ。観ればすぐに“相対性”ということがわかると思います。
−チラシに意味ありげなセリフが載っていますが関係あるのでしょうか?
観ればわかります!!!
−あ、はい。では、時間と家族というのがこの舞台のテーマということでよろしいですか?
作るときにあまりテーマというのは意識しないのですが、できたものを見ると「家族」「時間」「カタストロフィ」といったテーマが僕からは見えます。
テーマ①「家族」
−「カタストロフィ」ですか・・・。順番にお聞きします。「家族」といえば、短編映画『コメディ』(監督・脚本 高山康平)でも「家族」をテーマにしていましたが、ひねくれた皮肉だらけの作品でした。今作もそのような家族の話なのでしょうか?
もちろんテーマとして引き継いでいる部分はありますが、表現の仕方は大きく違います。両者に共通するのは、〈制度としての家族〉に対する批判的な目線です。
−〈制度としての家族〉の他にはどのような家族がありうるんですか?
〈自然状態としての家族〉とでも言いましょうか。例えば動物が家族を作ったり、群れを作るのは制度ではないですよね? 人間も家族を形成するときにはまず同じような動機が心の中にあるんだと思います。例えば「ずっと一緒にいたい」とか。ですが、婚姻というのは制度です。そして、そうやって形成された家族には役割が要請されるわけですね。子供を学校に通わせるとか、家を買うのにローンを組むとか。学校もローンも制度ですよね。そうやって、自然に形成された家族はだんだん社会の制度を構成する単位になっていきます。
−つまり、家族が作られるときには動物的な感情が働いていたのにそれがいつの間にか社会的な約束事にすり替わってゆくということですか?
そうです。社会的な約束事に縛られていくと愛情も倒錯していきます。「自分の子供が将来困らないように、中学受験をさせよう」というのは一見子供想いに思えますが、そのために子供に遊びを禁じて塾に軟禁するようにまでなったらそれはもはや暴力ですよね。「子供の幸せを願って暴力を振るう」ってかなり倒錯してますよね?
−そういうストーリーなんですか?
違います。
ーでも、そういう家族って実際に多いと思うんですが、みんなそれなりに幸せそうにも思います。何が問題なんでしょうか?
制度というのは言葉でできた約束事です。言葉には手触りがありません。すると家族関係というのも手触りを失った言葉上の約束事に過ぎなくなっていきます。手触りを失えば感情は劣化します。感情の劣化した人間は自分の感情が劣化していることに気が付きませんからそれなりの幸せを感じることができます。しかし、
−あの。
はい?
−もしかしてその話、長くなりますか?
まあ、それなりに。
−まだ他のテーマについても聞きたいので、その話はまた今度でお願いできますか? 続いて「時間」についてです。「時間」は科学的にも哲学的にも難解なテーマの一つだと思いますが、なぜ「時間」をテーマに選んだのですか?
テーマ②「時間」
先ほども言いましたが、作るときにはテーマは意識していませんでした。なので偶然と言えば偶然です。ただ、昔から時間について考えることは多かったです。
−「時間」というテーマに惹きつけられるのには理由があるんですか?
僕は、昔から現在に至るまで非常に遅刻が多いんですね。それで他人との時間感覚のズレを感じる機会が多かったんです。それなりに気をつけていても遅刻するので、これはもしかして僕がいけないんじゃなくて「時間は平等である」という常識の方が間違っているのではないかと思ったんです。
−開き直りのスケールが大きいですね。時間は平等ではないと?
はい。簡単に言えば、僕らが時間と呼んでいるものは元々は地球の自転運動のことですよね。地球が1周するその運動を指して1日と呼んでいる。
−まあ、現在は自転ではなくセシウム原子時計によって計測されているので厳密には、
いいんですよそういう細かいことは!
−失礼しました。続きをどうぞ。
ポイントは、「時間=運動」という点です。「時間=運動」であるなら、僕もあなたもみんな時間であるということです。
−つまり運動する主体は押し並べてみな時間それ自体であるということですね。
そう。時間それ自体なんです。時間というと、なんとなくその流れの中に自分がいるというイメージが強いですが、それは時間の一側面に過ぎないということです。
−なるほど。“相対性”という語の意味がおぼろげに見える気がしますが、やっぱり難しい話なんじゃないかと思ってしまいます。
言葉で説明すれば複雑ですが、演劇では運動というものを役者の身体を通じて直接提示することができるので、ずっと飲み込みやすいと思います。
−つまり「観ろ!」ということですね。
そういうことです。
テーマ③「カタストロフィ」
−では最後に「カタストロフィ」というテーマについて。「カタストロフィ」というと、破局、崩壊という意味かと思いますが、それが家族の話とどう関係あるんですか?
家族というのは先ほども話した通り〈制度〉の最小単位ですから、それをある種の比喩として捉えれば、家族の物語は社会全体を表すことになります。
−社会全体。カタストロフィ・・・。なんだか不穏ですね。
残念ですが、世界全体がこれからカタストロフィの時代を迎える可能性は否定できないと思います。
−うーん。考えたくないですが、環境問題やら戦争やら政治対立やら、穏やかではないですよね。
環境問題は、人々の自然への感度が低下したことによって加速していますよね。つまり、先ほど述べた感情の劣化が根底にあります。
−なるほど。ここで先ほどの話とつながるんですね。
環境問題について現在のレベルでの議論が15年前にすでになされていれば、カタストロフィは避けられたかもしれません。でも、すでに肌で感じるレベルで温暖化は進行しているし、災害もどんどん増えていますよね。環境の悪化は、紛争や政治対立を引き起こしやすくします。
−なんか暗いですね。
ですが、芸術とは虚構ですからその先を提示することができるんです。
−おお、なんかちょっと明るそう。
これまでの物語の多くは、いかにカタストロフィを回避するかというところに主眼がありました。でもそれって結局、現行の制度の維持でしかない。
−人間は現状維持を好む生き物ですからね。
現行の制度が機能していないからカタストロフィが起ころうとしているのに、そこに回帰してしまったらまた同じことが起こるだけです。
ですから芸術は、カタストロフフィのその先について考えなければいけない時代に入っているんだと思うんです。
−ちょっと過激な感じもしますが。
それは自分では注意しているつもりです。「カタストロフィのその先」をあまりに思想的に指し示してしまったらそれは結局また別の〈制度〉が出来上がるだけです。先ほども言ったように、〈制度〉には手触りが・・・
−おっと! まだご覧になっていない方もいるかもしれませんので、その辺にしておきましょうか。今日はありがとうございました。舞台「相対性家族」は10/27から江古田のワンズスタジオにて上演されます。皆さまぜひお越しください。
※【公演情報】
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「うちの夫、わたしから見たらスローモーションなの」
「うちの次男ときたら、まるで逆再生しているみたいだ」
「。よだり送早らた見らか僕、はんさ母」
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劇団一の会
Vol.52 相対性家族
作・演出:高山康平
@ワンズスタジオ
出演: 坂口候一 熊谷ニーナ 玉木美保子 川村昂志 粂川雄大
桜庭啓
大平原也(A) 梅田脩平(B)
10月 27㈭19時(A)
28㈮14時(B)・19時(A)
29㈯13時(B)・18時(B)
30㈰ 13時(B)
ご予約: https://www.quartet-online.net/ticket/sotaisei?m=0ujfaee