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『演技と身体』Vol.2 表現者の身体性

表現者の身体性

固定化された身体

表現の場で必要な身体性は、日常の身体性とは異なる。たとえ日常的なシーンであってもだ。
日常の動きはルーティン化され、ある程度固定化されている。しかし、これは役に立つ。毎日階段の降り方を変えたり、包丁の持ち方を変えてみたりしていたら、生活は必要のない怪我でままならなくなってしまう。エネルギーや集中力には限りがあるので、日常的な動きをルーティン化することで余分な力の浪費を避けようというわけだ。
しかし、そうした日常の身体性を表現の場に持ち込んでしまうと、表現は幅が狭くありふれたものになってしまう。(というか、それで良いことなったらプロの俳優は必要ないことになってしまう。)そこで、表現に必要な身体性を手に入れるためには、固定化されてしまっている身体性を解体する必要がある。
いくつかポイントを挙げて、見ていこう。

①可動域

生活上の動きがルーティン化してくると、身体を動かせる範囲も自然と制限されくる。四十肩とまで行かなくても、普段使わない動きはますます固く動かしにくくなっていく。体の可動域が固定化することはそのまま表現領域が小さくなることを意味する。
これは単に体の問題だけではなく、脳の問題でもある。どんな動きもその背後には脳のネットワークの働きがある。つまり、動きが固定化するということは脳のネットワークの配線が固定化することでもある。そして、そのことは創造性の問題にも関係している。だから、ただ可動域を広げるということだけではなく、決まり切った動きのパターンから抜け出す仕方でそれをやらなければならないのだ。
簡単なのは、踊るか変な動きをすることだ。ストレッチをして体を柔軟にしておくことももちろん大事だが、ストレッチの動きは観念的・学問的で退屈な感じがする。それになんかありきたりだ。踊ると楽しいし、変な動きをするのも楽しい。表現者は周りから白い目で見られるくらいがちょうどいいと思う。さあ、踊ろう。

②内観

内観とは、自己の内側を見つめることだ。精神的な意味で使われることが多いが、ここでは身体的なものも含める。日常的な動作は無意識に行われることが多いから、その時自分の体がどう働いているか注意を払うことはあまりないだろうが、意識を向けてみると案外違いが出てくる。例えば床に座ってそこから立ち上がる時、体の重心がどこにあるか。それが内観できたら重心の位置を変えてみる。
内観の最も良い方法は瞑想である。自分の呼吸を内観すると、それだけで呼吸が深くなる。また、瞑想は内観を通じて自律神経や内臓感覚にアクセスする唯一の方法である。内臓感覚が演技においていかに重要かはいずれお話すると思う。
内観で大切なのは、自分の身体をコントロールしようとするのではなく、ただ注意を向けるということだ。身体をうまくコントロールできた方がきっと仕事は増えるのだろうけど、所詮頭で考えた動きしかできないのはつまらない。表現で大事なのは「操作」ではなく「制御」だと僕は思う。コックピットに座って意のままに動かすのではなく、せいぜい気が狂ってしまわぬように見守っておくくらいが良い。子育てと同じで、親の意のままに育てると子供はどこかで歪む。子供を信頼して道を踏み外さないようにだけ注意を向けておくのです。

③各部位の活性と自律

日常の動作はあまりに無意識なので、いつの間にか使わなくなっている身体感覚があると、それらはいつの間にか怠けて眠ってしまう。
身体の動きは非常に多くの身体部位の協働によって成り立つが、それぞれの部位が目覚めているか、また自律しているかによって全体の動きに影響が出る。
各部位の目覚めを司るのは脳のボディスキーマの働きだ。例えば、タンスの角に足の小指をぶつけてしまうのは、足の小指に対するボディスキーマが眠っているからだ。脳が足の小指のことを忘れてしまっているというわけだ。ボディスキーマが眠っていると、身体の中でうまく意識できない箇所が出てきて、特に細かい動きによる表現に制限が出る。眠っている箇所があったら、軽く触りながらその箇所を内観して目覚めさせるのが良い。
また、筋肉はしばし癒着して互いに引っ張り合ってしまうために、しなやかさが失われたり、十分に力を出せなくなる時がある。それぞれの筋肉が自律的に動くようにするために、癒着している筋肉の間に指を入れて分離(ディファレンシエーション)すると、余計な力を抜くことができるようになる。また、それぞれの筋肉に対してボディスキーマが働いて微妙な動きのニュアンスが出せるようになる。
筋肉癒着していたり、ボディスキーマが粗かったりする状態は喩えるなら、クラスに書記が二人も三人もいる状態だ。みんなで同じ仕事をするよりもそれぞれが違う仕事をした方が良いに決まっている。それぞれの身体部位が細かく分かれていて、違う働きをしてくれた方が表現は豊かになる。

④深層筋ネットワーク

これまで挙げてきたポイントの中で最も重要なのが、深層筋のネットワークを活性化することだ。
現代の都市で生活をしていると、体の中心の方を張り巡る深層筋(インナーマッスル)が眠ってしまいがちになる。整備・舗装された街で生活していて深層筋が自然に鍛えられるということはない。この点で現代の俳優は昔と比べて、デフォルトの身体が脆弱なので、かなり意識して鍛える必要がある。
それぞれの深層筋が活性化しているだけでなく、それらの感覚がつながっていることが重要だ。この深層筋のネットワークが出来上がると、重心が安定して、軸感覚が得られやすくなる。軸と重心が安定すると、少ない動作で表現ができるようになる。重心の移動が少なくなることで無駄な動きや体のブレ(「動きのノイズ」と呼ぶことにする)がなくなり、特に映像での演技が洗練される。細かな動きで表現しようとする時、動きのノイズがあると、伝えたい動きが他の動きに埋れてしまうのだ。
また、深層筋が安定していると、表面の筋肉(表層筋)がリラックスした状態に保てるので、いざという時に瞬発力を発揮しやすくなるだけでなく、皮膚の感覚を鋭敏に保つことができ、感覚全体が研ぎ澄まされることになってあらゆる反応が向上する。また、表層筋の力みは顔の表情も制限してしまう。
深層筋のネットワークは日本の古典芸能の身体美の秘訣でもある。日本的な表現にもとてもよく合うのではないかと思う。
また、深層筋を鍛えておくと腰痛になりにくかったり、老後寝たきりになりにくくなったり、健康寿命の延命にも効果的なようだ。鍛えておいて損はないだろう。

演技の時に意識しても遅い

以上、ざっくりではあるが表現の場で求められる身体性が日常の身体性といかに異なるか、ポイントを挙げて説明してきた。
当然ながら、実際に演技をする段になってこんなことを意識していたらとても演技に集中できない。これらのポイントはむしろ、演技の時に身体のことを忘れるための技能だ。そのためにむしろ日常の身体の体験の仕方を変えてゆくことが重要である。
次回以降、各ポイントについてもう少し詳しく説明をしようと思う。

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