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『演技と身体』Vol.20 役者という仕事

役者という仕事

「見られる」仕事

役者という仕事は、華があり人間存在を一身に背負ったエネルギーがあり多くの人の憧れるところである。他方で、自分の肉体と精神を無防備にさらけ出すことには多くの危険もある。今回は、そうした危険をいかに回避するか、またそれを反転させて役者がアーティストとして主体性を確立することがいかにして可能になるかについて書いていこうと思う。簡単なことではないが、不可能なことでもないだろう。
ひと口に役者と言っても色々な役者の形があるわけだが、共通して言えることはそれが「見られる」仕事であるということだろう。そしてこの「見られる」ということがどういうことなのか、もっと真剣に考えられなくてはいけないと思う。

「見られる」ことの被虐性

まず端的に「見られる」ということはそれ自体、非常に弱い立場に置かれるということを含んでいる。「見る/見られる」という関係は「支配/被支配」という図式を孕んでおり、そこには自然と力関係が生まれやすくなる。だからと言って役者はずっと従属的でなければいけないのかと言えば、そうではない。しかし、内在する被虐性を自覚した先にしか役者としての主体性の確立はないようにも思える。

歴史に見る役者の立場的脆弱性

演技の起源がどこにあるのかはわからないが、日本では『日本書紀』などに見られる海幸彦・山幸彦の物語が演技についての最も古い記述記述であるようだ。ごく簡単に説明するとこのような話だ。
二人の神様の兄弟が喧嘩になった。色々あって「 塩盈玉」というひみつ道具を手にした弟・山幸彦が兄・海幸彦を海に溺れさせる。溺れ死にそうになる兄を、弟は絶対服従を条件に助けてやる。さらに、弟は兄にその後、服従を示すために塩盈玉によって溺れさせられる様子を演じて再現するように求めた。兄は、何度も自分が溺れさせられる様子を演じ続け、その屈辱を思い出すことを命じられたのだ。
このように、演技とはその原初において服従の意が含まれていたのである。
その後も古代の日本では、芸能は「乞食の業」であるとされ、人々はそれを娯楽として消費しながらも役者という職業をどこか軽蔑するところがあったようだ。
しかし中世になり、観阿弥・世阿弥という天才親子が現れたことにより、役者は芸術家として目されるようになる。観阿弥・世阿弥は能を大成した人物である。観阿弥が、それまで大衆娯楽でしかなかった申楽(さるがく)に幽玄な美しさを取り入れたことで足利将軍の目に留まり、能は単に大衆に消費されるだけでなく芸術として鑑賞されるようになった。さらにその息子・世阿弥が能の芸術性を徹底的に技術化・理論化して、抽象性を備えた芸術に昇華させたことで、能はその後600年以上続く芸術的な芸能へと変貌したのだ。だが、世阿弥がそのような功績を残したのは役者としての苦悩があった末のことではないかと思う。
世阿弥は、常に観客の目線を気にしていた。つまり「見られる」ことに人一倍敏感であったのだ。それは単に興業的な問題もあったであろうが、幼少の頃に能楽者をよく思わない貴族たちから「乞食の業」と蔑まれたコンプレックスもあるのではないかと想像する。

「離見の見」〜服従から芸術へ〜

世阿弥は観客に迎合することを嫌った。つまり「見る」側への服従を拒否したのだ。しかし、「見る」側なしに芸能は成り立たない。「見られる」側が傲慢な態度で演じれば観客は離れてゆくだろう。そうした苦悩の末に到達したのが「離見の見」という境地である。
「離見の見」とは、演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のことである。つまり、自分を「見る」側と「見られる」側に二重化することで、観客の視線を先回りしようというのだ。自分が「見られる」側であるだけでなく、同時に「見る」側でもある状態。それによって、「見る/見られる」の力関係は解消し、役者という仕事に内在する被虐性は強い芸術的エネルギーへと変わるのだ。

阿波踊りに見る対称的地平

「見る/見られる」の関係がとても良好な例がもう一つある。それは阿波踊りだ。阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損」という文句がこのことをとてもよく表している。この文句の秀逸なところは、「踊る=見られる」人間と「見る」人間を「同じ阿呆」とみなして水平化しているところにある。「見られる」ことの被虐性・弱さを認めつつ、「見る」側の持つ権威を否定することで、「見る/見られる」の関係を対等なものにするところから始めているのだ。そして「同じ阿呆なら踊らにゃ損」と続き、「見られる」側が「見る」側を誘っているのだ。もちろん「見る」側と「見られる」側の両方が必要で、全員が踊ってしまったら阿波踊りは成立しないのだが、それでもこの一言が踊り手と観客を一体化させる呪文になっているように思う。「見る」側は踊り出したい気持ちを踊り手に託し、「見られる」側はその気持ちを受け取って一心不乱に躍り狂う。ここには「見られる」ということに非常に積極的な意味がある。踊り手はある意味で「見られる」ことにとても興奮しているのだ。

「見る」ことと「見られる」ことの一体化

撮影や本番にあまり慣れていない役者は、初めカメラやスタッフ・観客の視線が怖く感じられるのではないだろうか。できればそれをないものと思い込もうとするが、それでもなかなかそれらを意識から取り除くことができない。
しかし、ここまで述べてきた世阿弥や阿波踊りの例からわかることは、「見られる」ということをいかに積極的なものに変えてゆくかということであり、そのためには何らかの形で「見る/見られる」ということが一体化した状態を作らなければならないのだ。その方策の一つが「離見の見」であったり、「観客を誘うこと」であったりするのだ。

演出家と役者の対称性〜「動いている庭」方式〜

とは言え、役者としてできることにも限りがある。「見る/見られる」に内在する力関係の非対称は「演出家/役者」の関係においては構造化してしまっており、役者の心持ちだけでどうにかなるものでもない。
フランスの庭師のジル・クレマンの『動いている庭』というコンセプトは「演出家/役者」の関係に大きな光を投げかける考えだ。
従来のフランス庭園というのは、植物をデザインに従って刈り込んで幾何学模様を作り出す。当然ながら、植物が伸びればデザインが変わってしまうので余計な部分は刈り込まれることになるし、種子を落として新しい芽が出てきてもそれはプランに含まれていないので抜き取られることになる。庭園はいつまでも同じ形を保った無時間的な空間となる。
しかし、植物本来の運動とは、太陽に向かって伸びることであり、新しい種子を落とし芽吹かせることにある。つまり、幾何学的な庭は植物を利用しながら植物本来の主体性を奪っていることになるのだ。デザイナーが植物に対して絶対的な力を行使することができ、植物は主体性を奪われたままただデザインを遂行するための道具に成り果てる。この関係は、現状の「演出家/役者」の関係においても似たところがあるのではないだろうか。役者は演出家のプランを遂行するための道具として主体性を奪われているのだ。
ジル・クレマンの庭造りは一味違う。彼の庭はなんと動いているのだ。ジル・クレマンは、まず種子を植える際にそれらがどのような運動をするのか想像する。植物ごとに生長の速さが違うので、同じ場所でもその風景を占める植物は時間と共に変化してゆく。そうした時間を項に入れて種を植えるのだ。そしてまずは植物の運動に任せてみる。一年草や二年草は、種子を自身の隣に落としてそれが芽吹くと枯れてしまう。それは緩やかな時間の中でまるで植物が隣に一歩移動したようにも見える。このように、庭は時間的にも空間的にも「動く」のだ。そしてここからがジル・クレマンのユニークなところだ。例えば、植物が道の真ん中に種子を発芽させたとしよう。普通ならば、道の真ん中に生えた植物は抜き取られることになる。しかし、ジル・クレマンは、“もしその新しい植物を気に入れば”、植物の方を残して道を作り替えるのだ。この“もしその新しい植物を気に入れば”という部分がミソである。彼は、ただ植物を野放図にしておくのではなく、植物の自由な運動を尊重しつつも、庭師として庭全体の方向性を常に選択しているのだ。どちらか一方に合わせるというのではなく、庭師と植物の関係が対称的である。庭師のデザインに植物が一方的に合わせれば植物の主体性は奪われるし、かといって植物任せにしておけば庭は荒れ地や極相林になってしまう。両者の主体性の掛け合わさった総合として庭の景色が決まり、また変化していくのだ。
演出家は彼のようであるべきだと思う。役者の主体性・運動性を素材として尊重しつつ、方向性を選び取ってゆく。演出家と役者がどちらも主体性を持って、互いを尊重し合い、変化し続ける。そうして起こる作品の変化の一瞬を切り取って提示するのだ。

役者のメンタルヘルス

ただこうした関係は現状から見るとまだまだ理想なのだろう。役者の主体性を認めない演出家も多く、逆に主体性を確立できない役者もいる。
また、役者という仕事が肉体と精神を無防備に差し出す仕事であるということに変わりはなく、そのことにつきまとう危険性についてはまた別に語られなければならないが、その点についてはすでに第5回「呼吸と内観」第13回「イメージ思考②」で述べているので、よければご参照いただきたい。


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