
何者かにはなれないけど、自分が自分であることもやめられないぞ!
適切なタイミングで会社名を変えていこう。
そう思ったのはつい最近のこと。
今の事業のあり方と会社のあり方にズレが生じているのを自分自身でも知っていたけど、大きくなってくる前にどうにかしたほうが良い。
2025年になって、事業が大きくなっていく中で僕自身の創造力をどこに向けるかずっと考えていた。
僕の創造力や行動力の源泉は、ポジティブとは言えないところからきている。六代遡って根絶やしにしたいとか、自己嫌悪とか、承認欲求とか凄くエゴな部分。でも、そこから目を背けないからこそ、強烈なメッセージを生み出せることができると信じている。
会社員の自分
当時の僕は自分がひどく嫌いだった。完全に負のスパイラルの中にいた。
何をやっても上司から怒られるし、同期は営業成績を上げたり、転職に成功したり。メンタルが落ち込んでいるので集中力も記憶力も削がれ、また仕事でミスを起こして、怒られる。
週末の到来を願い、週明けに辛くなり、給料日に救われる。
人生の消耗を願う寂しい時間の過ごし方をしていた。
僕の逃げ場
それは、六本木一丁目のビル高層階にある図書館だった。今となっては上場したけど、当時は無名に近いベンチャー企業の社長の講演を聞いたり、アドバイスを貰ったり、「何か」を目指して突き抜けようとしているエネルギーは人生に他の選択肢を考える機会に繋がった。新卒で入った会社を辞めた後に、その図書館から足が遠のいたけど「スタートアップ」をテーマにしたイベントに行く機会は続いた。
一方で、僕の中にあった違和感が徐々に大きくなっていたのを感じ始めていた。「起業家たるものかくあるべきだ」という偶像崇拝ではなく、自分が自分であることと向き合い、潜在力を最大限に引き出していきたい。それがたとえ1人だけだろうが、1万人だろうが変わらないし、変えてはいけない。
自分がカイシャを続けていけるなら、そんな環境を実現させたい。理想郷を作って世界を良くしたいという崇高な目的意識というよりも、就職後にうだつが上がらなかった自分や環境への強烈な怒りが推進力になっているんだと思う。
自分を慰めて、存在を認め合って、ホッとする。コミュニティなんて、綺麗な言葉では捉えられないし、そんなに温かみがあったりキラキラじゃないこともある。誰かに認めてほしい。自分のことを認められない人生だったからこそ、ここでこそ息ができる、そんなモノを世に残していきたい。
旗を掲げるために
今年のどこかで社名が変わるんだと思っている。それは、SOYMILというブランド以外にROOFという新しい事業を並行しているからだけではない。
僕という個人が起こした種火に薪がくべられて、火が大きくなり続けているから。5年前にカイシャを登記した時、3年前に事業の方向性を大きく変えた時とは似ても似つかない形になっている。
社名を変更した後、カイシャという枠のみならず県境や国境を超越したユートピアのようなものが興り、人を惹きつける「強烈な臭い」を生み出すんだと確信している。根拠は無いけどね。
自分が何者かであることを求められ、ポジティブな感想を持たれる正解を話さなければならない。馬鹿にされたくないし、尊厳を持ってほしいと思うに決まっているから、他人の承認を求めてしまうことなんて当然だろう。でも、そうしていくうちに自分の嫌いな一部を殺すどころか、好きな部分も見えなくなってくるんだ。
それだけが本当の自分じゃない。
輝いている他人より、濁っている自分を見に行こう。
他者や環境を恨む姿も、イタイ姿も、ダサい姿も、恥ずかしい姿も全部まとめて連れて行くんだ。どんだけ濁っていても、必ずポジティブな世界を生み出す強烈な力に転換することができるから。
僕らはどんな自分も許すから、カイシャはまとめて受け入れるから、ついでにみんなを一緒に乗せていっちゃうから。
自分で前に進んでいこう。僕らがその一歩をしっかりと見ているから。
これからもよろしく。
そんな気持ちを、カイシャの脱皮に込めていきます。