『ザ・キラー』:中身も裏方も完璧主義者
『The Killer』(2023年)★★★☆。
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フィンチャー自身のキャリアを体現したような映画。完璧主義者らしい、ディテールと哲学に満ちたストイックな殺し屋を描く。フランスのグラフィック・ノベルの映像化という意味では、製作元であるNetflixだけでなくフィンチャー自身も適切な原作に白羽の矢を立てたものだと感じさせる。
退屈な待機時間を坦々と過ごし、仕事をまっとうするのに最適なタイミングをひたすら待ち続ける男(マイケル・ファスベンダー)。向かいのマンションの何者かに狙いを定める彼は冷たい目をしていて、表情を決して崩さない。そんな男がモノローグで饒舌に語るのは、ヒットマンとして良い仕事をするのに必要な素養、哲学、準備、経験。延々と、仕事論と人生論を語る無口な男。
途中で慌てる場面もありながら、やがて機が訪れる。これだけ口数が多いのだから、よほど良い仕事をするのかと思うと…。
そこから展開する章仕立ての物語は、男の殺し屋としてのリソース、プライベート、そして仕事論の妥当性を賭けたミッションになる。終盤まで、すべてが業務。まるでマニュアル通りにカスタマーサービスをこなす、サービスカウンターの電話対応のような仕事ぶり。その機械的とした対応が、フィンチャーらしい暴力の血生臭さと痛々しさとのコントラストで描かれるのが気持ちいい。
完璧主義は一見、そうとはわからない舞台裏の撮影、美術、編集にも通底する。冒頭の空き廃ビルで待機するシーンの作り込み方は、もはや絵作りへの執念だ。向かいのビルはすべて別撮りし、見える予定の部屋を個別で撮影。編集で組み合わせ、それを廃ビルでの撮影現場で役者にライブで見えるように再生してあげる。手数からして尋常でない。
ヴェスパでの逃走シーンも、CGの使い方を知ると呆気に取られる。スクーターで走る「だけ」に思えるショットで、乗り手をまるごとCGで作ったとは俄かに信じ難い。それも、LEDステージで撮影したフッテージが使えないと判断しての無理矢理な対応らしい。苦笑するしかない。夜間で、雨降り後で、街灯がヘルメットのガラスに反射する様子を徹底的に再現するための処理。作中の主人公以上の凝り様が、制作者から伝わる。
物語に話を戻すと、消費者全般への皮肉めいた形でブランドが多用されていることも印象的。廃ビルが元We Workのオフィスだったり、Hertzや一般の業者で殺し屋稼業に利用するレンタカーやバンを借りていたり、Amazonの宅配ボックスを活用して資材を調達したり。闇販売人から銃器を現地購入するのも、コマーシャリズムの抜け穴を巧みに利用して殺しに励む、という皮肉が強調できている。
そこへきて、ラストシーンのセリフが主人公の言ってきたことをすべてひっくり返すのにも、呆然とする。これだけ唯一無二なプロフェッショナリズムを力説してきた男も、コマーシャリズムのピースのひとつに過ぎないということなのか。終始、頭をひねらせる。
いわゆる派手なアクションではないかもしれないが、抑制の効いた強烈なスリラー。味わい深い。
(鑑賞日:2023年11月17日 @Netflix)