レストランをやめた当時の僕が感じていたこと 1
今日は、レストランを退職した当時の僕の心境、当時の状況を僕なりに整理できたことがあるので、少しづつ振り返っていきます。
2019年6月30日、
僕はレストランの店長をやめた。
2014年9月から、大阪にあるVolareというイタリアンレストランにアルバイトで入社して、大学在学中に店長になり、そのまま卒業後も正社員として入社し、店長を2年半させていただいた。大学の講義中は、ほとんどその日に来店される方のコースメニューを組み立てたり、販促物をデザインしたり、次の売り上げ計画を立てたり。そして、大学からレストランに向かってディナー営業をしていました。5日ほど店に泊まり込んで、一人で合宿してたこともあります。お風呂は厨房のお湯で入ってました。まぁとにかく必死でしたし、仕事が楽しくて仕方なかったです。
僕にとってレストランの店長は、強い憧れのある仕事でした。20歳の頃に出会った「やすさん」に憧れて、僕は飲食業を志しました。ロサンゼルス留学時に日本食レストランで皿洗いのアルバイトをして、その時に出会ったのがやすさんでした。僕を家族のように可愛がってくれて、めちゃくちゃかっこよくて、いつかこんな人になりたい!と心から感じました。
店長になった僕は、当時のやすさんを思い出しながら、とにかく情熱的に自分が正しいと信じる方へ突き進みました。経験が十分にないので、インプットしながらアウトプットし続ける状態です。自分の給料から飲食コンサルに申し込んで月に一度東京の講習会に勉強にいき、給料の半分をインプットに使っていました。猛スピードで進んで行く中で、良いこともありましたが大半は失敗です。嬉し泣きも悔し泣きもたくさんしました。ただ、失敗の分だけチームも徐々に強くなっていき、徐々に売り上げは伸びていきました。赤字が当たり前だった店が黒字で落ち着きました。これまで積み上げてきたことが結果となって現れた時、本当に嬉しかったです。
そして、お店が順調に回り出したころ、お店をリニューアルしました。2018年10月、当時Volareのコンセプトであった「オーガニック」をより強くして、「発酵」「免疫力」を中心としたメニューに変え、店名をSEKAHEに変えました。
ここからが本当に上手くいかなくて...
SEKAHEは地球環境まで配慮したサステナブルレストランをコンセプトにした未来型のレストランのイメージで出発しました。ただ、サステナブルで、しかも体に良い食材だけでリピートしたくなるほどの美味しいメニューを生み出し続けるのは当時の僕には正直無理でした。周りに美味しいものがありすぎたし、まだまだコンセプトが受け入れられるには時代が早すぎたのかもしれません。わざわざSEKAHEに来る理由がない...今振り返るとそう思います。
売り上げはみるみる下がってしまって...
必死に次の来店に繋ぎとめようとすればするほど、コンセプト説明や商品説明が増えてどんどん苦しくなっていきました。焦って改善を繰り返すうちに、完全に周りが見えなくなっていました。
いつの間にか理想と真逆にいた自分
そして、気づけば毎日のように料理長を怒鳴りつけるようになっていました。ミスが起こるたびに何度も、「お前なんかいらん!帰れ!」と怒ってました。本当の本当は一番帰ってもらったら困る方です。毎日深夜12時ごろまで次の日の仕込みをしてくれてましたから。必死に堪えてやるべきことをやってくれていました。皆んな必死でした。でも、この頃の僕はもう完全に狂ってました。
そんな最悪な状態が約6ヶ月くらい続いたと思います。
ある時、僕は部下と事務所で「これからどうすればいいか」について話していました。たぶん1時間くらいだったと思います。彼はすごい優秀な部下で、いつも優しく僕の話を聞いてくれました。1時間ほどの間、僕は後輩の目の前で悩み続けていました。その時にふと「あ、もうこのチームに自分は要らないんだ」と感じました。この時のことはよく覚えています。自分よりも有望で成長の可能性がある後輩を前にして、ふっと肩の荷が降りました。自分が憧れたかっこいい店長とは程遠い場所にいる自分に気がつきました。
店長になった頃は、スタッフが無断で飛びまくってる荒れたチームだったのでトップダウンの情熱ワンマンリーダーが必要だったんですが、成長したチームにはお互いに能力を引き出しあうバランスの取れた柔らかいリーダーが必要でした。僕はすでに絶対的なポジションにいましたから、誰も文句を言えませんし、全員が指示に従うしかありませんでしたし、誰も失敗できなくなっていました。つまり、成長したチームには、もう鬼軍曹の僕は邪魔だったんです。
そう感じた次の日に、部下の二人に「これから、次のリーダーはあなたたちだから準備をしよう」と話して、僕はバトンタッチの準備を始めました。チームの皆んなには「僕は海外に出て、もっと沢山の経験をするために卒業します」と告げました。そして、その約1ヶ月後に退職して、実家に帰りました。退職日には、スタッフや関係者、友人が集まってくれて、サプライズ送別会をしてくれました。とても嬉しかったです。
「もう僕は要らない」と感じたあの時の判断は100%正しかったと言えます。僕がこのまま在籍しているよりも必ず良い店になることは確信していました。何より、僕自身が良くなるまで時間が必要でした。「まだやれることがあるんじゃないか」「ここでやめたら逃げたことになるんじゃないか」みたいな感情はもちろん出てきましたが、僕はとにかく潔く辞めることに集中して、スピード退職しました。
その後、退職してから約半年以上、僕はある感情に苦しみました。
何か挑戦しようとする度に、前に進もうとする度に、頭の中に「人を怒鳴りつけるような奴に何ができるねん。また失敗するぞ。まだ償いきれてないだろ。」みたいな声というか感情が無限に湧いてきました。その度に僕は「ごめんなさい」と頭の中で連呼してました。この頭の中のやりとりは1万回くらいしてるかも。あの時、必死すぎるあまり周りが見えなくなり、沢山ひどいことをしたこと、本当に後悔しました。人生で初めて、自分が嫌いになりましたし、自信を全て失った状態でした。
続く
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