「態々」って読める?
忖度(そんたく)は、すっかり日常的に使われる言葉になった。
2017年の森友学園問題で、官庁が権力者の意向をくんで自ら動いたことを「忖度」と表現して、ちょっとした流行語になった。
前年の2016年にも、天皇陛下の「お気持ち表明」をうけた生前退位の議論の中で、直接的な言及を避けられた陛下のお気持ちを「忖度」する、という表現が用いられている。
このあたりから、私たちは忖度という言葉を気軽に口にするようになった。しかし、それ以前、忖度はたまに本で見るていどの珍しい言葉で、難読の部類だったと思う。
私は、博士課程のときに読んだ『境界の美術史』という本で、はじめてこの言葉と出会った。なんと読むのか分からずに、辞書を引いたのを覚えている。難しい言葉がいっぱい出てくる本だった。
難読なんだけれども、わりと使われる言葉というものがある。読書をしていると、数年に一回くらいの頻度でそういう言葉に出くわす。
「あ、これ前に読んだ本にもあったな」とすぐに分かるのだが、なんと読むかは思い出せない。そのつど辞書を引いて、3回目か4回目でようやく覚える。たとえば次のような言葉だ。
陋巷(ろうこう):路地などが狭くごみごみしている様子
睥睨(へいげい):周囲をにらみながら見回すこと
囲繞(いにょう・いじょう):ぐるりと取り囲むこと
吝嗇(りんしょく):けちんぼ
径庭(けいてい):ふたつのものにへだたりがあること
忖度も、もとはこういう、マイナーだけどたまに使われる単語の仲間だったのに、いまやすっかりメジャーになってしまった。
応援していたインディーズバンドがメジャーデビューして、攻めた楽曲がすっかり影をひそめ、売れ線になってしまったような寂しさを感じる。
学生のレポートで、日常的に使う言葉をいちいち漢字に変換して書く人がいる。わざわざを「態々」、おもねるを「阿る」、すがるを「縋る」、もたらすを「齎す」、やぶさかを「吝か」、わだかまりを「蟠り」など。
陋巷や睥睨など、言葉自体が難しいものを使っていれば、「おっ!知ってるねえ~」と感心するのだが、言葉自体は誰でも知っているものを、わざわざ漢字に直してもポイントは低い。ワープロの変換機能で誰でも出せるのだから、書き手の知性を示してはいない。読みにくいからやめてちょうだい。
他に、レポートでよく見かける漢字変換は、寧ろ(むしろ)、殆ど(ほとんど)、概ね(おおむね)、徒らに(いたずらに)、強ち(あながち)、須らく(すべからく)、遍く(あまねく)など。副詞が多い。
副詞は、今はなるべくひらがなで書くように推奨されている。本の仕事をするときの執筆要項にも、副詞はひらがなで書くように指示が書いてある。
しかし数十年前まで、副詞の漢字表記は日常的に使われていた。私の世代だと、寧ろや殆どは若いころよく見かけたし、自分でも使っていたので、とてもなじみぶかい。
ただ、同じ副詞でも態々や偶々(たまたま)など、送り仮名のつかないものは同時代の文章であまり見たことがなく、なじみがない。昭和10~30年代の本にはときどき出てくる。
自分の中では、寧ろや殆どは「こないだまで現役だった表記」、態々や偶々は「だいぶ前に引退した表記」で、両者のあいだにはけっこう明確な線引きがある。同世代のみなさんはどうだろうか。
若い世代ににとっては、寧ろも態々も、「知っている言葉を難しい漢字で書いたもの」で、いっしょくたかもしれない。「寧ろはいいけど態々はダメ!」とか言ったら、はぁ…と困惑した顔をされそうだ。