見出し画像

「エグい」はやってる?

去年からだと思うのだが、SNSで若い人が「エグい」をやたらと使っているのを見かける。

「まって!〇〇くんリアコすぎてエグい」
「〇〇の歌唱力、エグない?」
「これひとつで一日分のビタミン摂れるのエグい」
「雨あがりの夕日ほんまエグい」
「彼氏の向上心エグい」
「朝から行列ならぶのエグい」

Xからの引用と、私の創作が混ざっているが、だいたいこんな感じの使い方だ。

お笑いコンビ・エルフの荒川さんは、関西のギャル語をデフォルメ気味に使いこなすが、彼女はTikTokでこんなことを言っていた。

「マジで思うねんけど、マジで生きてるって最高。エグい。マジでエグい」

ここまでくるとなんだかよく分からないけれど、まあとにかく、めっちゃスゴいとか、スゴすぎて言葉もないとか、そういうニュアンスなのだろう。使い古された「ヤバい」の言い換えのようでもあるが、そこに収まりきらない意味の厚みも感じる。

こうしたエグいの用法は、オタクが推しを愛しすぎたときに出る言葉として、オタクの界隈でけっこう前から見かけた気もするのだが、ここにきて若者言葉として定着したようだ。


『新明解国語辞典』(三省堂)によると、「えぐみ」とは、「あくが強くて、のどがひりひり刺激される感じ」の意。青い実や、煮えてない山菜を食べたときなどに感じる、口中がつっぱるような不快な苦さが「えぐみ」である。

そこから転じて、スポーツの世界では、引くほど強烈な印象を与えるプレイやテクニックを、昔からエグいと形容していた。小野伸二のボールのビタ止めエグい、伊藤智仁のスライダーエグい、最近だと大谷の打球音エグい、などとよく言う。

スポーツ以外でも、モデルの脚がとんでもなく長いとか、クイズ王の知識がとんでもなくすごいとか、尋常じゃないポテンシャルやスキルをエグいと評する。これもだいぶ前から使われてきた。

バラエティでは、無茶なロケを強要された芸人が、「ちょっとまって!エグいてコレ!」と悲痛な叫びをあげるのはおなじみだ。「ヤバイよヤバイよ」と意味は似ている。常軌を逸した演出に対するツッコミである。

そんな感じで、常軌を逸しているもの、尋常じゃないもの、異様なほどすごいものを目の当たりにして、こちらの心にザラリとした感触が残ることを、全般的にエグいと言う。これは今に始まったことではない。


私が去年から見かける「エグい」も、こうした長年の使用実績を踏まえて使われているのだが、対象となるできごとの多くは、別にそこまで常軌を逸しているようには見えない。どうして、そんなささいなできごとにエグいを使うのだろうか。

可能性はふたつあると思う。ひとつは、わざと大げさに使っている可能性である。

弱い使用場面にあえて強い言葉を使うことで、意味のズレが生じて、それがいいニュアンスを出して面白い響きになる。ちょっとしんどいだけなのに「死ぬ」と大げさに言うと、おかしみが醸し出されるのと同じだ。

もうひとつは、最近の若者が、ひとつひとつの経験に対して本当にエグみを感じている可能性である。

若者にかぎらず、最近の私たちは、情報やコンテンツを絶えず浴びつづけて、やや不感症気味になっているところがある。だから、夕日が美しいとか、推しが尊いとか、日常のなにげないできごとに心を動かされたとき、急に人間らしさを取り戻したような感覚が体の内側から呼び覚まされて、一瞬「オエっ」となる感じというか、鳥肌が立つというか、そういうのはたしかにあると思う。

それをもし「エグい」と表現しているのなら、現代の情報社会、デジタル社会を生きる私たちの本質をついた言葉といえなくもない。あんがい、深い言葉なのかもしれない。

ちなみに、私が最近エグいと思ったのは、梅雨明けまもない日の午後2時、買物に行こうと家を出た瞬間、湿り気を帯びたとんでもない熱気に全身を包まれて、気絶しそうになったときです。みなさん、熱中症にはお気をつけください。