「ブギウギ」を見終えて
少し前のことになるが、NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」が終わった。朝ドラはちゃんと見る作品と見ない作品があるが、「ブギウギ」は全話を見届けた。
わたしが笠置シズ子に出会ったのは小学生の頃だ。父がNHK-FMの「ひるの歌謡曲」という番組をエアチェックして何十本もテープを作っていたのだが、その中の一本に「買物ブギー」が入っていて、気に入ってよく聴いていた。
1970年代後半の放送を録音したものだと思うが、「わしゃ聞こえまへん」のところは修正前の、差別語を含む歌詞だったのをよく覚えている。
「買物ブギー」を歌っている人と、「やっぱりカネヨンでんな」のCMのおばさんは同一人物だと分かっていたので、きっと父に教えてもらったのだろう。
ドラマ「ブギウギ」は、全体をつうじて演技も歌もすばらしく、物語の展開も好みでとても面白かった。大スターでありながら、街で取り囲まれたり、黒塗りの車で送迎されたりといった分かりやすいスターっぷりがまったく描かれないので(当時でも多少はあったと思うが)、スターの等身大の生活感がよく伝わり、自分も身内のような親近感を味わった。
ただ、ひとつだけ納得できなかったのが、娘の誘拐未遂事件をおこした小田島親子を庭師に雇い、食事をともにして半分家族のようなつきあいをしていたことで、彼らが食卓に映るたびに、ああ、彼らがいなければいいのにという不寛容さが心の奥からわいてきた。大野さんとター坊が食卓にいるのは全然いいのだけれど、小田島親子はどうしてもムリだった。
血がつながっていなくても、義理と人情で結ばれていれば家族のようなものだというのがブギウギのテーマで、実家の風呂屋もそうだったし、小田島親子の件もそれに沿っているのだろう。それはステキなことだと思うけれども、わたしは共感できない。きっと、わたし自身が血のつながった家族の愛に包まれて育ち、それ以外の家族のかたちをイメージできないからだろう。映画やドラマは、観る人の価値観や、大切にしているものを浮き彫りにする。
茨田りつ子が歌う「別れのブルース」を聴いて、この時代の人々は、知らないとか、見えないとか、分からないとか、ないないづくしの世界を生きていたんだなあ、と実感した。
メリケンがどんな国なのかも分からないし、出船がどこに行くかも分からない。昨日のあの人がどこに行ったのかも分からない。いちど別れたら二度と会えない。何も分からない中でもがき苦しむのが人間で、だからこそこの曲が生まれたのだろう。
いまは調べれば何でも分かる、ような気がする。メリケンの詳細はググれば出てくるし、出船がどこに向かうかは、きっとそういうのを調べるアプリがある。本気を出せば、昨日のあの人のSNSを特定できるかもしれない。
でも、分かったような気がするのは錯覚で、もしかしたら、何も分からないまま生きる人間の本質は変わっていないのではないか。
「別れのブルース」にじっくり耳を傾けると、けたたましい情報の騒音から解放されて、ないないづくしだった頃の人間にちょっとだけ戻れるような気がする。
スズ子が引退会見のとき「思うようなパフォーマンスができなくなった」と言っていて、パフォーマンスという単語はこの時代にあったのかなと首をひねる。一流のスタッフによる時代考証をクリアしてるのだから、あったのかもしれないが、うーん。SNSでも疑問を呈する人が何人もいた。
「朝日新聞」1981年1月21日朝刊14ページに、パフォーマンスについて次のような解説がある。
パフォーマンスという概念は1980年代のはじめに日本に入ってきて、昔のハプニング芸術とか、草間彌生とか、オノ・ヨーコ的なものを含みつつ、既成の枠組みにとらわれずに展開する身体芸術をパフォーマンスと呼ぶようになったのがはじまりだと、わたしは理解している。
その後、身体表現を実施・遂行することを全般的にパフォーマンスと呼ぶようになり、さらに、注目を集めるための見せかけの行為もそう呼ぶようになった。
そういう理解だったので、1950年代の中ごろにこの言葉が出てきてとても違和感があったのだが、どうなんだろう。私はあまり詳しくないので、勘違いかもしれないが。