2019年Facebook投稿抜き書き

誰にも頼まれてないのに、毎年年末年始の休暇にやっているfacebook投稿をほぼ全部抜き書きしたアーカイブを今年も。

2019年1月6日 · 

投資的観点でいうと騰落の予測の確実性が高ければ生き残れる。事業的観点でいうと自社の収益なり株価なりが落ちることがどんなに確実に予測できても生き残れなくて、どう騰げるかの勝ち筋が見えないと不確実性が高く感じる。
不確実性の程度を議論する時に案外ここで立場によって評価が変わるんだなというのがとても腑に落ちた。

2019年1月8日

「解から問いへ」
問うてくれれば解けるよ!だと問うコストがかかる。でも適切な問い自体を生み出してくれたら最高だ。問われれば解ける人はたくさんいるから、問いが発されさえすれば解は遅かれ早かれ出される。
解く力自体はコモディティ化してる。新たな問いを生み出す力が足りなくて成長のボトルネックになってる。
そして市場やプロダクトや組織が成熟し洗練されると解くとインパクトのある問いは既存の延長線上には少なくなる。
だからこそ非連続だけども適切な問いを生む能力がないとインパクトが出せなくなる。適切な問いを生むためには現場で体を動かして、一緒に働き、コミュニケーションを取るのが手っ取り早い。僕は大体その分野の現場に入り込んで一番下っ端の雑用仕事を手伝わせてもらいながら体で状況を感じながら問いの素材を短期間に一気に吸収してる。問うための材料は往々にして本やgoogle や社外の識者の中にではなく現場にあるんだよね。本やgoogle や識者は問いを解くために活かさせてもらうほうがいいと思う。

2019年1月15日 · 

様式美ベンチャーという謎だけどなんかワクワクするパンチラインが爆誕した!

2019年1月19日 · 

昨日のサンマリノ大使の話で面白かったのは、男女の人口比で男性が多くなると治安が悪くなる。移民受入で問題になるのは移民が増えることではなくて男性が増えてバランスが崩れること。日本が治安が良いのは男女の人口比のバランスが良いからだ、女性が多い国は平和で治安が良いと言っていたこと。
あと日本の宗教で世界でも特徴的なのが神道の主神がアマテラスオオミカミという女性だということ。世界の宗教で見るととても珍しいけどの、とても素晴らしいことだと言ってた。
面白いなあ。

2019年1月19日 · 

先日の雑談の覚書
チャーミングな人とは、周囲をチャームしようとしてる人ではなく、周囲の世界にチャームされてる人である。周囲の世界にチャームされてるさまこそがチャーミングなのだ。
多分チャーミングをセクシーに置き換えてもきっと同じ構造。

2019年1月21日 · 

マネジメントしたい、リードしたい、と思うなら今日から勝手にポジションがどうあれマネジメントしたらいいし、リードしたらいいと思うんだよね。今の体制、今のチームの成功のために。
マネジメントするのにも、リードするのにもポジションも許可もいらないよね。
そしてそれがたしかに貢献になってればポジションは普通についてくるでしょ。それまでのタイムラグなんて誤差。そのポジションになったらやろうと思ってる人にはなかなかチャンスが来ないよね。

2019年1月30日 · 

自分の直下に人が増えると、ビジネス的な意味があり、かつやる本人も楽しくやれる仕事を新たに考えないといけなくなるので、仕方なくコンフォートゾーンの外にあって以前から手をつけることを考えてはいたけど、上手く出来る気がしなくて棚ざらしになってたようなイシューに手をつけざるを得なくなるという効用があるよね。つくづく人にやらされないと自発的に動けない体質のオレや。

2019年3月2日 · 

世の中からの評価って遅行指標だったりすることが多いので上り調子の時は取るに足りない存在と扱われるし、ピークアウトした頃が一番持ち上げられる。だからよく知らない人に褒められるのが一番怖く感じるんだよなあ。まあピークアウトしてるんなら、それはそれで受け入れつつ少しでも楽しくなるようにやってけばいいんだけど上り調子は楽しいからなあ。

2019年3月6日 · 

仕事してると、対処に苦慮する問題が毎日のようの起きるし、それにうまく対処できてる自信もないし、他の人はもっと上手に対処してるんだろうな、自分は向いてないのかなと不安に震えながら経営してるわけだけど、そういうギリギリ踏ん張ってる感じを続けてるから、ギリギリ頑張ってる人と共鳴しあう経験ができる。やっぱり僕もそういう人に興味があるし、そういう人に興味を持たれたい。しょぼくてもよいから現場で、一線でやり続けてることの役得ってやっぱりあるんだよね。

2019年3月7日 · 

06年から会社を始めてプラグマティックにではなくロマンティックに経営することが有力な選択肢の一つだということを証明してみたいというのが僕が経営を続けてこれた動機付けだった。昨今同じロマン主義の信奉者に見える人たちがたくさん可視化されて、生き生きと経営し社会からの支持を受けているのを見るととても嬉しいし、世界は捨てたもんじゃないなと思える。

2019年3月13日 · 

良いブランドを長期的に育てて、長生きさせるには大胆さは不要で、慎重だが勇敢ではあるここが肝だと思う。エッジを立てて極端さで得た求心力はさらなるエッジを求めてエスカレートする定めにあるので長持ちしないことが多い。何事も過ぎたるは及ばざるが如しというスタンスが大事。
ただ世論は常にエッジをフィーチャーし、短期的に称揚するのでそこから付かず離れずたてつかず、良い塩梅で穏健なポジションで居続けることのほうがエッジを立てるよりはるかに難しいチャレンジになる。
多動力も素敵だけど、不動力も悪くないとおもいます。

2019年3月14日 · 

インプットやディスカッションや分析は大事だが、それはマラソンを走る前の準備体操や給水所みたいなもので、やらなければいけないことだがそれを限度超えていくらやってもゴールにはたどり着かない。走ろう。走ることこそを愛そう。結果はどうあれレースを終えよう。

2019年3月14日 · 

管理ゼロな自律的な組織は目指すものというより、組織の生産性や創発性が高まることを目指して努力した先に、むしろ管理する方が生産性が下がるという状況が生じて、純粋にマネジメント的観点から管理しないことを選択せざるを得なくなるものだとだと思います。
王政の国が共和制にシームレスに移行できる場合に似てる。経済成長が著しく、国民の教育レベルや市民意識が高まり、自負心と同時に責任感を持つ人が一定数を超えると王政や封建制のままだと革命によって国体が保てなくなる危険があるので立憲君主制に移行するなど段階をふみつつ共和制になって行く。
一部のエリートが理想主義的イデオロギーを振りかざして準備のできていない国に無理やり共和制を導入するとどうなるかは過去の革命の歴史を見れば明らか。まずは生産性を上げ、教育レベルを高め、責任感と自負心を持つ人たちの集団になることを目指す。それが自然と共和制の実現に繋がる。

2019年3月21日 · 

知ると考えるのバランスについて考えてる。たくさんの「知る」を集めれば「考える」必要が低減する。「知る」が少ないと「考える」をたくさんしないと答えにたどり着けない。とはいえ「知る」こそが「考える」のマテリアルなので少なすぎると「考える」が完成しない。料理作るときに冷蔵庫にどのくらいマテリアルが揃ってるかが「知る」の度合いで、どのくらい料理上手かが「考える」力量にあたるんだろう。どのくらい少ないマテリアルから最高に美味しい料理をつくるか。それが「考える」ことだ。ぼくは「考える」ことが好きだが、冷蔵庫がいつもパンパンなのはむしろ「考える」を邪魔する。バランスだなあ。

2019年4月4日 · 

要求することは強制することじゃない。自分が相手にしてほしいことを要求するのは大事なこと。それが要求しにくいことであるほど、勇敢に要求しなければ。相手に自由意志があることを尊重しつつ自分にもそれがあることを要求という形で示すこと。要求しないことは優しさや、賢さなんかじゃなくて、自分と世界を信頼する力と情熱の不足だ。一方で要求が聞き入れられないことに怒ったり、嘆いたりするのは子どもじみている。強制はできないと理解しつつ、勇敢に要求すること。「求め続けよ。さすれば与えられん。」

2019年4月5日 · 

内製か外注でやるかは実際仕事の質には関係ない気がしていて、どちらも真剣に仲間を選び、フェアに接し、手間暇かけてマネジメントすることから逃げずにやれば変わらない成果が得られるはず。
逆に外注だからと雑に仲間を選び、アンフェアに扱い、マネジメントする手間をおしめばそれはうまくいかないよねと。
ある人に「クラシコムには外部が存在しないかのように仕事してる人が多い」と指摘されたことがあって、それはある意味「内向き」という意味も含まれていたかもなんだけど、多分関わる全ての人を「クラシコム化」しようとしてるとも言える。
僕らは相手が社員だろうが、投資家だろうが、顧客だろうが、取引先だろうがウザいくらい関わるし、垣根なく仕事する。
だから結果的に外注先に任せたから失敗した仕事なんてほとんどないんだよ。
2019年4月10日 · 

企業価値をあげる広報ってなんだろうというディスカッションを社内でしていてそれは「期待値を高める」取り組みだなと(マイナスからゼロであれ、ゼロからプラスであれ)いう結論に至ったとたん、すごくやりたくない病が僕の中で発症したのは期待値を上げるのが苦手で、みんなから大したことないと思われてるポジションで飄々とやりたいからなんだなと。
確かに過去採用コンテンツでも「成長できる」とか「やりがいのある仕事」「社会を変える」「みんな仲良し」みたいなインセンティブを明示したことは全くなくて、いつも「余分なストレスはありません」みたいなことしか言ってきてない。
それも入社する人の期待値を上げるとこっちがプレッシャーだからなんだよなと。
ほんとベンチャー企業経営者には全く向いてないなと。

2019年4月16日 · 

なんか紙の出版が厳しくてこれからはデジタルメディアかみたいな議論があるけれど、僕的には論点はそこじゃないかもと思ってて、メディアが扱ってきた「コンテンツ」を細分化すると「コミュニケーション」と「インフォメーション」と「IP」があって、出版全盛の時代には「コミュニケーション」と「インフォメーション」でも稼げてたけれど、再現性や確実性が高いため制作とデリバリのコストがネットの登場で劇的に下がったことで競合が増して一気にコモディティ化したことで紙だろうがデジタルだろうが稼ぎにくくなったと。
だけど「IP」をつくっていればメディアやプラットフォームが変化しても長期的には対応できるので、おそらく同じ紙中心の出版社でも漫画やラノベの軸を太く持っているところは将来を楽観してそうな気がする。
一方ノウハウ等「インフォメーション」を中心に扱う例えばビジネス書を軸にした出版社は相対的に将来を悲観的に見てることが想像される。
つまり紙かデジタルかという議論ではなく「コミュニケーション」と「インフォメーション」を扱ってるのか「IP」を扱ってるのかの問題かと。
メディアやコンテンツをつくっている僕たちは自分たちがつくっているものが「コミュニケーション」なのか「インフォメーション」なのか「IP」足りうるものなのかを改めて意識した上で何をすべきかを考える方が良さそうだ。

2019年5月3日 · 

認知のバイアスを外して自分が無批判に受け入れている規範や常識を疑う作業を続け過ぎると、立脚する安定した土台を失うことにつながるので心理的にはどんどん不安定になる。
ある時代から哲学の上位に神学が来たのは疑ってはダメな領域(=100%信じて良い領域)を設定した方が生きやすいし、その他の領域は手加減なく疑って新しい真実に迫れるからなのかもなあ。制約を受け入れることで成果が出しやすくなる的な?
僕も二十代の後半くらいからこの分野はあえて疑わないみたいに設定する事で多少安定するようになった気がするし。

2019年5月15日 · 

コマースで売上を上げる容易な方法は当たり前だが1)原価率を高める2)取扱商品数を増やすの二つです。この二つをやればほぼ確実に売上増を見込めますが、1は利益を毀損し、2はキャッシュフローを圧迫します。なので資本力があればあるレベルまでは売上を上げるのが容易なのです。
ただ最初にこれをやってPMFを確認するのは悪手だと思っていて、利益が出しにくく、キャッシュフローも回りにくい構造でPMFしたとしても、伸びが落ち着いたところでここを調節したらPMFしなくなることがあるからです。これは怖い。伸びないのは怖くないが、伸びてから縮むのが難しいのが小売です。
なので僕としては資金があるなら適正利益設計かつ筋肉質のMDをつくり、マーケティングに投資することでトップラインを伸ばしていくことでPMFするかを見る方が良いのではと思っています。

2019年5月16日 · 

僕が人に頼らないと、人は僕を見たり、話を聞いたりするのを楽しんでくれるかもしれないけど、一緒にいると不安になるんだと思う。貢献させてあげることが、相手を癒す。依存することが、相手の居場所を作る。
依存しないのは美しいかもしれないけど、誰も幸せにはできないのかも。
ほんと集団のリーダーって依存しないことで傷を負わないようにするリスクヘッジさえ許されない生贄のような存在なんだな。
エブリデイ火ダルマが正義。

2019年5月19日 · 

全ての創業者はイグジットは避けられないというのが意外と人に言ってもパッと伝わらない。
IPOやM&Aだけでなく、承継や相続だって創業者からすればイグジットなんだよね。
だから僕にとってはIPOもM&Aも承継や相続も全てはフラットな選択肢だしどれも否定しない。

2019年5月25日 · 

先日ある飲み会で欧米では弁証法的により良い結論にたどり着くことがわりとポピュラーなので、テーゼに対してアンチテーゼを提示することは物事を前に進めていることになると評価されるが、日本だと反対意見、抵抗と評価されるので議論が深まりにくいという話を聞いて、なるほどなーと思った。
これは上司であるぼくがスタッフからのテーゼに対してアンチテーゼを提示するときにも全く同じことを感じることが多くて、議論を深め、より自身も多面的に納得して意思決定したいからそうしてることが多いのだが、雰囲気としては反対されてる、、となってアウフヘーベンが作用しないことがある。
Aというテーゼが提示され、それに対してBというアンチテーゼが提示されて、その矛盾や欠落を整合させるCという合が生まれるアウフヘーベンが機能するから人が膝を付き合わせて議論する価値があるはずだよな。
それを思うと自分の力量に合ったディスカッションパートナーがいるって貴重なことだよなあ。

2019年5月29日 · 

iccにおいて僕らは弁証法におけるアンチテーゼ的な存在で、新たなテーゼの提示ではなくてアウフヘーベンを起こしてテーゼをアップデートするためのきっかけとして存在意義があるのかなと思ったらすごく気がラクになったw
要するに場の議論を深めるための違和感出す役なので、変でありさえすれば貢献できる^_^僕らがm&aされるとしたらグループ内のテーゼアップデートのためのアンチテーゼ役として見込まれるパターンならお互い幸せになれるかも。
既存のテーゼに組み込まれるのも辛いし、新たなテーゼを期待されても辛い。
しっかり収支を合わせ収益貢献しつつもアンチテーゼとしての貢献なら期待に応えられそう。
アマゾンとザッポスの関係みたいな。

2019年5月29日 · 

僕らオルタナティブ勢はその時点でアンチテーゼにしかなり得ず、来たるべきテーゼは今のテーゼとアンチテーゼの間で起こるアウフヘーベンの先にある。アンチテーゼがイキってオレたちこそ来たるべきテーゼだっ!てやるのは恥ずかしい。僕らは来たるべきテーゼを生む土壌の肥やしでしかない^_^

2019年8月4日 · 

昨今の言論の争いを見ているとどこまでを身内と見ているかで異なる意見を受け入れられるかが変わるんだなと思う。国家という単位で物事を率いている人あるいは視点を同じくする人は、自分たちに反対する意見に与する日本人に対して自分たちが信じる正しさに向けて身を粉にして国を率いているのに、なぜ同じ日本人(身内)がその足を引っ張るのかと憤る。一方でその人たちの価値観と異なる価値観の人たちからすると、国家を率いている人たちとは価値観が違うがそれに追従してる人は身内なので正しい道に戻って欲しいと思って声を上げる。一方でそういう立場の人も例えば昨日まで共に運動や活動を支えていた人が組織内で「現政権がやっぱり正しいんじゃないか」と他の人を逆オルグしはじめたら、その敵対言論を放置できるかというと、「身内」のはずなのになんで足を引っ張るんだと憤りなんらかの強制力を持って制御しようとすることが多い。そして組織内で逆オルグしてる人も「身内」だと思ってるからこそ間違った方に行ってる仲間を軌道修正させたいと思う。いわゆる内ゲバというやつだ。なんというかこの身内の入れ子構造が果てしなくて、例えば一神教の世界観からするとそれぞれの宗派が「人類」が身内で同じ人類なのに間違った神を崇めていてけしからんとなって実はこれも身内の内ゲバの構造にも思える。その証拠に近いほど争う。一神教は基本ユダヤ教同根だし、カトリックとプロテスタント、シーア派とスンニ派の争いの方がキリスト教対イスラム教の戦いより苛烈に見える。全ての争いは身内の拡大解釈によって生じる内ゲバなのかもなあ。誰のことも自分の身内だと思わないくらいじゃないと僕含めてこの構造から抜け出すのは難しそうだ。。

2019年8月21日 · 

一心不乱に一日中ゲームしてる息子を見てて、最高に没頭して遊んでる時って側から見ると遊んでるようには見えない真剣さが漂うなと。しかもフォートナイトでキルされて怒ったり、勝ってぶち上がったりと喜怒哀楽も激しい。遊んでるように見えるってのはほんとは十分遊べてないのかもなという仮説。
遊びにはルールの明確化や成果の見える化みたいなことが大事でKPI設定してPDCA回してってのは実は「仕事の遊び化」の取り組みだったのかなと。そしてもしかするとだけど。改めてルールや成果が見えにくい中で「仕事を仕事」として没頭せずにやるってのが今「遊ぶように働く」と言われてることなのかも
データ・ドリブンとか含めて近年の「科学的に仕事する」=「遊ぶように働く」だったから成果が出るという以上にやってて「楽しい」からこれほど普及する考え方になったと。でもそろそろ楽しくなくても「大人がやれやれと思いながら仕事する」必要が出てきたのが意味大事、直感大事の世界なのかも。
「遊ぶように働く」という言葉も実は遊ぶを極めるとバランス崩す(ex息子w)から、大人力を発揮して「遊ぶ"ように"働く」のが大事ってのが本質なのかも。

2019年8月26日 · 

「ウザくなるのを恐れるな」という新しいテーマを手に入れた。ちょっとずつウザくなっていくかもしれません。でもそれは長い目で見て自分と周りを幸せにする気がします^^

2019年9月12日 · 

ホラクラシー、ティールといわれる組織構造を導入すると成功しやすい企業や事業って1)優秀な人材が集まっており粒のばらつきが少ない2)個々に与えられる仕事の難易度は高いが事業構造はシンプルで外部環境の変化も緩やか3)事業を成り立たせるためにカバレッジするべき専門性の分野が少ないなどの要件を満たしていて、つまりは素晴らしい安定したドメインを選択し、堅牢な事業構造を構築できてるが、経営者にとって直近の難易度が下がり内外から退屈に見られがちなリスクを、事業構造のシンプルさや安定感を毀損せずに組織運営の方法でリスクをとって見せることでワクワク感を取り戻すことを本質的には志向してるんだと思う。アクティビティとしてワクワクを維持するに足りる難易度に全体として着地させる枠組みを作ることは経営者としては一番の腕の見せ所だよね。なのでデカコーン目指すぞ!もティール目指すぞ!も100年続けるぞ!もオンリーワン目指すぞ!も全部は望む難易度に調整するための手段なんだよなー

2019年9月12日 · 

結局僕らの世代のカルチャー野郎たちは小山田圭吾になる人生に憧れてんだよなあ。
オザケンと渡辺満里奈を取り合って、カヒミカリィと付き合って嶺川貴子と結婚して離婚して、でも息子の米呂はティーンの時代からレコ屋でバイトして親父に新しいバンド教えてくれたりするそんな一生。

2019年9月20日 · 

周囲への批判的視点は時間差でブーメランとなって自分を縛ることが自意識過剰な自分をつくる、というオードリー若林さんの本で読んだ真理を最近しばしば思い起こす。他者や社会や世界という外部を肯定的に捉えることが自分の行動の許容範囲を広げ自由になる。日々その方向にはにじり寄ってるとは思うので、なんとか死ぬまでにはたどり着きたいなー

2019年10月3日 · 

「適応課題」に直面しているのになんとか「技術課題」として取り組もうとして行き詰まってる例ってたくさんある。いわゆる「正論」が通らない、「正解」がないと言われている状況は全て「適応課題」だ。「センス」とか「人間力」とか言われているものが必要とされる状況はなんであれ「適応課題」だとすると、ある程度以上の責任を持たせられるかどうかは「適応課題」を引き受ける覚悟と能力があるかどうかにかかってくると。

2019年10月9日 · 

ブログの登場以降SNSなどでも「書く」能力の民主化が起こったと同時に、「書く」能力の高い人が活躍する10年だった気がするが、youtubeやポッドキャストの台頭いよいよ「話す」能力の民主化が起こり始めた。かつて「書く」能力が一部のライターや作家のものだったのと同様に、「話す」能力もアナウンサーやタレントの専売特許のようなものだったところから、話せる人がどんどん増えている。改めて当たり前のことを書いてる気がするがこの「書く」から「話す」への変化の波はこれまで企業がSNSの運用担当者や書ける広報担当者を囲っていたように、話せる企業内アナウンサー、企業内タレントのようなポジションを作っていく事になるだろうなと。

2019年10月9日 · 

創業者って0→1をやるときに「適応課題」しかなくて、ある程度軌道に乗ってきたときに「適応課題」の一部を「技術問題」化できるようになり「技術力」がドライバーになる。なので「適応課題」に向き合えるオレすげーとは思っておらず「技術問題」解けない!!誰か助けて!!うわすごいスキルの人が仲間になってくれた!めっちゃ事業伸びる!!「技術問題」解くスキル神!!オレが今までやってきたような「適応課題」に取り組む仕事なんてほんと誰にでもできる素人仕事だよな。。と思ってたりする。
ところが従業員としてキャリアを始める人はまず「技術問題」から取り組み、それが上手に解けるようになるにつれポジションが上がり、それによってある段階から急に技術で問題が解けない「適応課題」に直面し、まじ「適応課題」無理、あれに向き合える奴らまじメンタル鬼強!ってなる。
なのに創業経営者からすると「適応課題」に向き合うなんて人間だったら誰でもできる最低レベルの仕事だよね。。みたいに見えてたりするので、ここに組織の「適応課題」の縮図みたいなものが発生するのですよ。。

2019年11月18日 · 

毎日楽しみなことも、心配なことも、嬉しいことも、イラつくことも全部やってくる。ただ不思議と将来に対する漠然とした悲観だけはない。会社を始める前には前者はあまりなかったが後者はものすごく大きかったな。

2019年12月10日 8:23 · 

素人なりにいろいろ話を聞いたり考えていく中で、管理部長とCFOってエンジニアとUIUXデザイナーくらい違う職能なんだなと思った。
CFOはむしろCMOとかCXOに近い。投資家というユーザーに株式という商品を買ってもらうことを目指す株式会社というサービスのUIUXを最適で魅力あるものにするのが仕事なのかな。

2019年12月26日 22:50 · 

ある程度大人になるともはや器自体は出来上がっていると思ってよくて、お碗をお皿に変えるような変化は望めない。
そこからさらに価値を高めていくには「磨く」と「活かす」が鍵になる。
「磨く」は摩擦。つまり人と向き合い、違いを乗り越えてすり合わせ、共に成果を目指す活動の中で人は人に磨かれる。人に向き合い、悩み、葛藤を続けている人は実は客観的に見るとそんなふうには見えず充実感を持ってキラキラ輝いて見えるものだ。
そして「活かす」は器の違う活かし方を試すこと。お椀に白米しか入れてなかったけど、スープも入れられるかな、シリアルも?思い切って花器として使って見ようか?などなど、自分という器の新しい使い道を試すこと。そうやっていくつになっても不慣れな何かにチャレンジしてオロオロする様はチャーミングだし、瑞々しい。
他人の器を羨ましがって、別の器になろうとするのではなく、勇敢さを持って人と向き合い、境界を広げることで自分の器を「磨く」「活かす」のアプローチでより魅力的なものにしていきたいものです。

2019年12月27日 14:18 · 

ビジネスがアート化してるのに、ビジネスの評論を経済文脈でする評論家しかいないから、アート文脈で評論する評論家の登場急務じゃね?アーティストってだいたいこの評論家にだったら評論してもらいたいなっていう人いたりするじゃない。でも考えたら僕にはそう思える評論家が全然いないのよね。

2019年12月27日 17:48 · 

今日インタビューに答えながら、僕は顧客の情緒的課題を解決するサービスを作りたいんだなと思った。
ずっと「作品」じゃなくて「課題を解決」する「サービス」を提供している意識でやってるんだけど、そういうと「便利グッズ」みたいなものをイメージされていや違う、違うんだと言ってきた。
でも僕らは「情緒的な課題」を解決すると仮置きすると、商品からコンテンツまで全てがそのためのサービスであり、作品ではないとはっきり言えるなと。
僕らの作品性や作家性は商品やサービスにあるのではなく、事業や企業のあり方や、それを成り立たせているエコシステムにあるのであって商品やプロダクトにはそんなものは一ミリも入れたくない。


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